しいたげられたしいたけ

空気を読まない 他人に空気を読むことを要求しない

高坂正尭『文明が衰亡するとき』(新潮社)

文明が衰亡するとき (新潮選書)

文明が衰亡するとき (新潮選書)

著者(故人)は有名なタカ派の政治学者。民主党前原代表の師匠で、学生時代の前原氏に「君は学者になるほど頭は良くないから」という意味のことを言って政治家になることを勧めた、というエピソードが最近有名になった。そう言えばこの人の本は読んだことがないな、と思って読んでみた。
古代ローマ、中世の地中海世界に覇を唱えたヴェネツィア、それに1980年代までのアメリカを扱った本。「あとがき」には「比較的軽い気持ちで書いた」(p272)と書いてあるが、ページを追うごとに著者の博識には圧倒されるしかない。だが、膨大な材料を並べてさて分析にとりかかると「あれ、それでいいの?」と思うような箇所が、ちらほら…ほんの一例だが古代ローマや近代イギリスのような洗練された文明が「野蛮な勢力の攻勢」にさらされると壊れやすいと述べたくだりで、イギリス帝国が(比較的)長続きしたのはイギリス人に野蛮なところが残っているからとの考察を述べ、その証として彼らが机の上でダンスを踊ることや、ラグビーというスポーツの「野蛮さ」を持ち出している(p77〜78)。野蛮さなどというものはどこに基準を置くかによっていくらでも変化するもので、机の上で踊ることもラグビーも弁護しようと思えばいくらでも弁護できるように思うのだが…しかし著者はこのようにして、ローマの衰亡についてもヴェネツィアに関しても、いくつかの説を紹介してはそのうちのいくつかを批判し退け、いくつかを(保留付きのケースもあるが)受け入れたりしている。
もとよりこの本は研究書ではなく一般の読者向けの本なのだが、政治学という学問はこれでいいのだろうか、これで通用しているのだろうか、という疑問が頭をよぎる。政治的にはやはりタカ派で知られたフォン・ノイマンが、経済学を「科学」にするためにといってゲーム理論というジャンルを開拓したことを想起する。ノイマンの試みが当初の目的を達成したかどうかはともかく、数値化によってそれまで見えてこなかったものが見えるようになったことは疑いを入れない。あるいは「何が科学で何が科学でないか」の判別を主要な目的のひとつとする科学哲学というジャンルもある。
この本に関して言えば、このようなタイトルの本を手に取る読者の主要な関心は「アメリカは衰亡するのか?衰亡するとしたら、いつ衰亡するのか」ということに尽きると思う。衰亡しなかった文明はないと言ってしまえばそれまでだが、それが10年先のことなのかニ〜三世紀も先のことなのかでは我々の対応はがらりと変わる。しかし後世の史家はいずれの場合でも「アメリカは衰亡した」と書くであろう。