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「黒い雨」訴訟の控訴に抗議する

金大中、NHK取材班(構成・訳)『わたしの自叙伝 日本へのメッセージ』

わたしの自叙伝―日本へのメッセージ

わたしの自叙伝―日本へのメッセージ

先に読んだ『戦後日韓関係史 (中公叢書)』に出てくる人名は、日韓両国とも政権にいる人物のものが多く、日本側の野党政治家やいわゆる「進歩派」文化人がたまに出てきても扱いが冷たかったりする。それはそれで考えさせられるところがあるのだが、韓国側の金大中氏の名前が出てくるのは1972年の拉致事件の被害者としてと80年の軍事法廷の被告としてくらいだったことに不満が残った。『戦後日韓関係史 (中公叢書)』のオリジナルが出版されたのは87年の韓国の劇的な民主化以前なので仕方のないこととはいえ、韓国側の国内事情をもうちょっと知りたいと感じたので、本書を手にとってみた。
後に大統領に就任しノーベル平和賞を受けることになる著者が、92年の大統領選挙で金泳三氏に敗れた後、引退を表明して一時的に政界を退いた期間にNHKから取材を受けてまとめた、いわば「早すぎた自叙伝」。5つ星。Amazonで品切れのため恒例の書影がつけられないのが残念。ただしNHK取材班のつけたタイトルはどうかと思う。誰の自叙伝でも著者にとっては「わたし」の自叙伝だ。
本書によると、著者は国家によって5回殺されかけたという(うち2回が72年と80年の事件)。なぜ一介の野党政治家がそこまで歴代の軍事政権から憎まれたのかという疑問を持たずにはいられないが、著者の政治的主張はいつでも「中庸」「平凡」、あるいは語弊を恐れずに言えば「凡庸」であると私は感じる。そしてこの「凡庸」であることが意外と難しいのだ。A5版700ページの厚大な本書中からほんの一例、60年代前半に朴正煕政権が日本との国交再開を目指して日韓交渉を重ねていた頃、著者の当時所属していた野党民政党は尹潽善(ユン・ボソン)党首以下「日韓交渉はなにがなんでも絶対反対」(p199)一色だったという。だが著者は「日本との国交の正常化は絶対にしなければいけない、ただ当然ながら、韓国が不利益をこうむるようではいけない、そのために政府案に対して野党も対案を出して戦うべきだ」と主張したという(p200)。今日の目から見たら著者の主張の正しさは一目瞭然だが、時流に反してそうした主張を貫くことの難しさは、例えば嫌中、嫌韓的言辞の氾濫する現在のネット上で「経済ひとつとっても日本が中国や韓国との協力関係なしにやっていけると思うのか?」と発言するだけでもちびっと勇気が必要なことを考えると、ちっとは想像がつくのではないか(スケールが違いすぎるけど(^^;)。
著者は80年9月に光州事件を首謀したとの罪状で軍事法廷から死刑判決を受けるが、このことで全斗煥政権は国際的な批判を浴び、結局著者は二年の獄中生活の後、治療の名目でアメリカに出国する。アメリカでさらに二年を過ごしたのち、著者は帰国を決意する。周囲には「もう政治生命は終えた」「もう過去の人物だ、昔の人だ」(p554)という声もあったというが、85年2月著者が帰国した際には30万人の支持者が金浦空港に集まったという。
我々は20世紀後半に、いくつかの国で民主化が達成される劇的な瞬間の光景を目撃した。その立役者たちに共通するのは「過激」さではなく「凡庸」さではないかと思う。また完璧ではなく欠点をいくつもかかえた、スーパーマンより普通の人間に近い人物だったのではないかという気がする。そのことが、歴史の真の推進者ある「無名の民衆」の支持を集結することに成功した秘密なのではないかと思う。欠点があったっていいんだよね。例えば南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領やアメリカの公民権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング師は、よく「すけべえ」であったと言われる。金大中氏によく貼られるレッテルは「ウソつき」である。私はその真偽を確かめる術を持たないが、少なくとも本書に関連して一度は「ウソ」をついたことになる。政界引退を撤回したことである。だがもし主張や実績ではなくそうした瑕疵にのみ捕らわれて批判を展開しようという論者と対面したら、それこそネット語を使って「それが何か?」で済ませてしまっていいのではないかと考えるのである。
戦後日韓関係史 (中公叢書)

戦後日韓関係史 (中公叢書)