数学の未解決難問、いわゆる「ミレニアム賞7大問題」のひとつ「ポアンカレ予想」に関する一般向け解説書なのだが、ミステリ小説の体裁をとっている。ブルーバックスに小説とは珍しい!しかし小説というには、ずいぶんと風変わりな小説である。主人公は女子大生。彼女は友人から不思議な物体をもらう。
「僕の実現した多様体だよ。パイワンが消えているけど、三次元のスフェアと同相じゃない。とてもとても貴重なものなんだ。だから君にあげる」(p12)
友人はそういい残して、主人公の前から姿を消す。この奇妙なプレゼントの謎解きが、「ポアンカレ予想」の解説になっているのである。
前半は数学エッセイ風。分数同士の割り算はなぜ分子と分母をひっくり返して掛ければいいのか、負の数と負の数の積はなぜ正の数になるのか、等の話題が出てくる。おや、「ラッセルのパラドックス」も登場するぞ!(本書に対する不満を一つ言うと、この「ラッセルのパラドックス」とか、有名な元ネタは種明かしをしてほしいものだ。物語のクライマックスでは謎解きの道具として「自由群」が出てくるのだが、初読のときには私は「自由群」なんて知らなかったのがワケワカメのまま終わってしまった原因のひとつのような気がする。その他本書中に種明かしのなかっためぼしいところは、p64の図2-1「アレクサンダー=フォックスの反例」とか、p125の掛け軸のパズルとか…まあ後者はちょっと考えれば解けそうだけど)
物語の真ん中あたりでは、主人公が突然江戸時代にタイムスリップしたりする(この部分の意味が、今ひとつよく分からないのだが)。
後半は、いよいよ奇妙なプレゼントの謎解きで、実はこの部分が「ポアンカレ予想」のていねいな解説になっている。
恒例の暴挙、私なりの言葉への置き換え、チャレンジしてみます。
「四次元球体」というものがある(あるのか?)。その表面こそが「三次元のスフィア」である。これは江戸川乱歩の『鏡地獄』みたいなものである。ただし「三次元のスフィア」の中に人間が入ると、目の前に見えるのは、凹レンズに映したように歪んで見える自分の後頭部と背中である。鏡やレンズと違うところは、見えるものが「本当の」自分の後頭部と背中であるという点で、もし石を投げると自分の背中に当たる。
しかし「三次元の閉多様体」が「三次元のスフィア」しかないとは限らない。例えば立方体の部屋があったとする。この部屋の左の壁を右の壁にくっつけ、前の壁を後ろの壁にくっつけ、天井を床にくっつけたうえで、壁と天井と床を全部取り払う。するとできるものは「三次元の閉多様体」であるが、さきの「四次元球体の表面」との違いは、前方に見える自分の後頭部と背中は、凹レンズに映したようには歪んではいないことだ。そして右を向くと、右を向いた自分の左半身が見え、左を向くと、左を向いた自分の右半身が見える。上を向くと自分の足の裏が見え、下を向くと自分の頭が…いや、自分自身が下を向いているから見えるのは自分の後頭部とうなじであるのか(そうすると、部屋の中の人物はどうやって立っているのかという当然の疑問が浮かぶが、この部屋の中は無重力か、中の人は舞空術を心得ているものとしよう)。
この奇妙な部屋は、「三次元の閉多様体」であるが「三次元のスフィア」ではない。なぜなら立方体の12辺に不連続線が残り、ここに糸を巻きつけることができるからだ。「三次元のスフィア」には糸を巻きつけられる部分は存在しない。
糸を巻きつけられる部分が残らないことを、「パイワンが消える」と言うらしいのだ。
「ポアンカレ予想」とは「三次元の閉多様体で、三次元のスフィアと同相(幾何学的に等価)なもの以外に、パイワンが消える、すなわち糸を巻きつけられる箇所が存在しないものはあるか?(ないんじゃないの?)」ということらしい。
なお、四次元以上のポアンカレ予想はすでに解かれているのだそうである。驚くべきことではあるが、けっこう有名な話でもある。
で、それが何の役に立つのかって?私に聞かないでくれ私に…
追記:
ふと思ったんだけど、この鏡の喩えを使うと、これまでなかったタイプの多様体の一般向け解説書くらい書けないかな?
立方体の左と右の壁をつなげ、前と後ろの壁をつなげ、天井と床をつなぐということはできないけど、6面全部を鏡にすることはできる。そして座標とか関数とか群とか数学の道具を使って、6面が鏡である場合と「つながっている場合」の類似と違いを示せばいい。
「三次元の閉多様体」の別の例として、金属製の円柱の内部のようなものも思いついた。この場合は、天井と壁面および床と壁面の境界(もちろん円状になる)で、パイワンが消えない。
追記の追記(6/24):
いや、円状の境界は残らないのか!4次元空間で天井と床をくっつけるのだから。しかしパイワンが残るというのは正しいはずなんだよな…このへんで数学の道具を使わず直感に頼って考察を進める限界を強く感じる。
「何の役に立つのか」に対する私なりの答えなのだが、ユークリッド空間を4次元以上に拡張するという考えは、数学的にきわめて自然な発想である。4次元以上の量を持つものはいくらでも存在するのだから。ところがそうした拡張をおこなったとき、我々の直感を裏切る概念が次々と登場することが、快いのだ。
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