これは恐るべき本ですよ…当たりの柔らかい敬体(ですます体)で綴られてはいるが、一つ一つの話題について、短めの断言的な段落が並び、夥しい注釈番号がつけられている。私にもちっとは見当がつくのだ、一つの段落、一つの注釈の背後には、何冊もの本が踏まえられていることが。
自分の拙い経験を語るのもおこがましいが、えてして自分が苦労して学んだことのエッセンスは、短い言葉で要約することができるものだ。
つまりこの本には、「政治学とは何であるか」が書かれているのではなく、「いかにすれば政治学を学ぶことができるのか」あるいは「政治学を知りたければ、どのような本をどのような態度で読めばいいのか」が書かれているのだ。
本書には「古典を読む」ことの重要性が説かれている。例えばマックス・ウェーバー(第二章 暴力)。例えばホッブズ(第三章 主権)。「あとがき」では古典のことを、「生もの」に対するという意味で「干物」という言葉を使って表現している。新しいニュースは時々刻々伝えられるが、10年というスパンで見直してみると、新しいと思ったものが意外と古かったり、違う衣装をまとったにすぎなかったりということが発見でき、そのような見方ができるのもバックグラウンドに「干物」すなわち古典の裏づけがあればこそなのだという(p169〜170)。
私は自分の知力の脆さを自覚しているつもりであり、それに対して常々不安を感じていることを隠すつもりもないのだが、そうなった理由の一つに(元々の地頭の悪さはおいといて)「古典を徹底的に読み込む」というトレーニングを怠ってきたことがあるに違いないと、今さらながらに思った。ううむ…(-_-;
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