1911年、辛亥革命前夜を時代背景に、「天才的詐欺師」と称される主人公が、日中韓の多国籍の仲間とともに、日本陸軍の保有する武器弾薬を中国の革命勢力に渡す計画のため活躍するピカレスク(悪漢小説)である。
主人公は詐欺師と言いながら、金を持って偉そうにしている相手しか狙わない。また、上海の租借地で荒稼ぎをしているイギリス人商人を狙って不動産詐欺を企てたときには、おそらくは解雇されるであろう屋敷付きの中国人使用人に次の職を用意したり(p82〜83)、日本の裕福な貴族から、上海の貧しい子どもたちのために学校を建てるという名目で大金を巻き上げたときには、本当に学校を作るために使ったりしている(p217〜218)。
いらんことを書くが、現実の詐欺師は、多重債務者とか、弱い相手を標的にする。
また新たなカモを狙うため以前に中国に建てた学校を材料として使おうとして、学校に通う学童の作品と偽るための作文や図画を作らせるくだりがあるが、学校が実在するなら面倒でも本物の学童の作品を取り寄せるべきではないのか?嘘は多ければ多いほど破綻の可能性が増える。真実を積み重ねてぎりぎり最後の一枚のところで嘘をつくのが「天才詐欺師」というものではないのか?
と、意地悪な突っ込みはいくらでもできそうだけど、登場人物のほとんどが勢ぞろいするクライマックスへの誘導と、最後のどんでん返しの繰り返しは、見事の一言である。特に、ほんの端役として前後数ページだけの登場ながら主人公グループの計画に無くてはならない役割を果たし、ラストで意外な正体が暴露される作中人物が、私には特に印象的だった。
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