🍉しいたげられたしいたけ

NO WAR! 戦争反対!Ceasefire Now! 一刻も早い停戦を!

阿部重夫『イラク建国』(中公新書)

内容的には、文句なしの私的五つ星。だけど読むのに時間がかかった。歴史物を読むとき特有の、なじみのない固有名詞の山に圧倒されるのである。しかも、どの名前が重要でどの名前が単に言及されただけなのかは、少し読み進まないとわからない。
第一次大戦前夜、帝政ドイツはオスマン帝国と結び、ベルリン−イスタンブール(ビザンチウム)−バクダードを結ぶ、いわゆる「3B鉄道」を推進していた。大幅に遅れをとっている植民地獲得競争で、先行する英露などの間に割って入るためである。
英国もやすやすとはそれを許さない。いわゆる3C政策で対抗する。ドイツは、大英帝国の支配下にあったペルシャ・アフガニスタン・インドなどのイスラム教徒を煽り反英の「聖戦」に駆り立てるという秘密計画を立案し(当時の外相の名を取って「ツィンマーマン計画」と呼ばれる)、中東各地にエージェントを送り込む。
ドイツの策略は第一次世界大戦の敗戦によって実を結ばずに終わるが、オスマン帝国崩壊後の中東には、ようやく反英感情と独立運動が燎原の火のように広がる。英仏間で結ばれたオスマン帝国分割の密約「サイクス=ピコ協定」、オスマン帝国支配下にあったアラブ人に、反乱を促す代償として主権国家を与えるという「フサイン=マクマーン書簡」、ユダヤ人にイスラエルを与えるという「バルフォア宣言」など、大戦中に英国が乱発した相互に矛盾する空証文の存在が、混乱に拍車をかける。
バクダッドに駐在する英国の女性政務官ガードルード・ベルは、メソポタミアの地に、スンニ派、シーア派、クルド人の連合から成る人工国家を構想し、ムハンマドの血を引くメッカの名族ハーシム家から王を招くことを計画する。
その際、とりあえずの治安維持のため都市部の裕福なスンニ派に主導権を与え、人口では多数を占めるが地方の貧困層が多いシーア派を封じ込めたことが、長くイラクに祟ったとも言えると著者は語る(p144)。クルド人に独立国家を与えなかったのには、シーア派をイラクの絶対多数としないためという側面もあったという。
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