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安丸良夫『神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈』(岩波新書)

神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)

神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)

慶応4年4月1日、比叡山麓坂本の日吉山王社に、諸国の神官出身の志士や人足など百二十人ほどの武装した一隊が押しかけ、神殿の鍵をこじあけて神体として安置されていた仏像や、仏具・経典をとりだして散々に破壊し焼き捨てたという(p52〜53)。
隠岐では慶応4年6月以来、神官や壮士が先頭に立って全島で仏教排斥を実行し、島後に46あった寺院はすべて廃絶、島前のかつて後鳥羽上皇の行在所にもなった源福寺では、壮士たちは本尊の大日如来の首をおとし、仏像経典を破壊して糞尿をかけたという(p91)。
著者は、王政復古や祭政一致の思想は、武力クーデターにより成立した維新政府を権威づけるイデオロギーで、クーデター首謀者である岩倉(具視)や大久保(利通)にとって不可欠なものだったとする(p48)。一方で、冷徹な政治家である岩倉や大久保と、神道復古の幻想に心を奪われた国学者や神道家の間には、越えることのできない断絶があったはずだとも書いている(p48)。
慶応4年2月の官制で定められた神祇官の職掌では、上代の令制にあったような「御巫(みかんなぎ)・卜兆(ぼくちょう)」による国家の政策への関与は認められておらず、祭政一致がタテマエだったとしても実際上は祭祀と宗教政策と国民教化が活動を許された領域だったという。それだけに、彼らの許された領域での活動には情熱とエネルギーが傾注されたのだという(p50)。
何というか、いつの時代局面でも他者への配慮を欠く当事者の一方的な「善意」は、地獄への一本道に敷きつめられた花束にしかならないものだろうか。
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