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杉山登志郎『発達障害の子どもたち』(講談社現代新書)

発達障害の子どもたち (講談社現代新書)

発達障害の子どもたち (講談社現代新書)

作者の並々ならぬ子どもたちへの愛情と特殊支援教育に対する熱意が、紙面から伝わってくるような気がします。自分的五つ星。
本書の、特に後半では、発達障害を抱える子どもたちに対する「最悪の対応」は「放置」だということが、繰り返し強調されている。ネットの困ったちゃんに対する「最善の対応」は「放置」なんだけどね。いらんことは言わないほうがいいか。
特に、通常学級に通っているが学習に支障をきたしている児童を、通常学級では対応できないと見て特殊支援学級に移そうとすると、児童自身が特殊学級に「落とされた」と認識し、プライドを傷つけられたと感じ、非行に走るなど事態をかえって悪化させることがあるという(p13、p200他)。
現在の特殊支援学級は、障害に応じた研究が進んでおり、早い時期に対応すればかなりの支援が期待できるという。中には高齢の教員が一人で対応しているなど、明らかに不適切なケースもあるようだが。
本書では、精神遅滞(第三章)、自閉症(第四章)、アスペルガー(第五章)、ADHD(第六章)そして虐待(第七章)…著者は虐待も発達障害という立場をとる…という分類で、それそれのケースが論じられている。
どれも興味深いものがあるが、私には、特に自閉症のケーススタディが興味深かった。自閉症児は、それなりの世界認識を持ち、それなりの社会対応の方法を持っているのだという。その方法が、社会全体から見たら小数派にすぎないのだという。
例えばIQ130を誇る小学5年生の自閉症児は、抽象的な思考が不得手である。または抽象的な思考に興味がない。例えば「遠足について作文を書け」と言われると、「遠足」がわからないという。「バスに乗って」「バスの中でゲームをして」「目的地に着き」「観察をして」「お弁当を食べて」…と説明されると、難なく作文が書けるという(p86〜87)。これは自閉症児の典型的な特徴の一つなのだそうだ。
本書から話はずれるが、私は中村哲医師の主催するペシャワール会の会員だったりもする。会員と言っても、なんのことはない、年会費を払って、会報を定期購読しているだけだが。
『ペシャワール会報』No.94最終ページの「●事務局便り」は、海上自衛隊によるインド洋上の給油活動に関して「給油活動を中断すると日本に対する国際社会からの信用が失墜する」といった類の論説に対して、こうした議論における「日本」の実体とは何なのか、「国際社会」の実体は何なのかという異議申し立てを行っている。未曾有と言われるアフガニスタンの干ばつなど異常気象を受けて、聴診器の代わりにユンボをあやつり、井戸を掘り用水路を拓く中村医師らボランティアのメンバーには、「日本」や「国際社会」といった抽象概念が、どんな実体を指してるのか実感が全く感じられないのだろう。個人的には、多分、外交官とか政治家とかごく一部の人々によって構成される閉鎖的なサークルがあって、その内部における、格付けの上がり下がりのことを言っているのにすぎないのではないかと思う。
もし「自閉症」と診断される人々が多数派で、「健常者」と自称している側こそが少数派の社会があれば、我々の知っているものとはまるで違った歴史や文化が成立しているかも知れない。そしてそのような社会は、少なくともいつ果てるとも知れない戦渦に晒されているアフガニスタンの人々にとっては、現実の社会より住みやすいかも知れない。
本書でものすごく印象に残った言葉を、そのまま引用する(p213)。

 歴史学者、市井三郎氏の次の言葉によって、この章を閉じたい。
「歴史の進歩とは、自らに責任のない問題で苦痛を受ける割合が減ることによって実現される」
 発達障害とは、明らかに自らの責任で子どもたちが受けたものではない。それをきちんとサポートするシステムこそ、歴史の責任である。

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