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的場昭弘『マルクスだったらこう考える』(光文社新書)

マルクスだったらこう考える (光文社新書)

マルクスだったらこう考える (光文社新書)

何かを知りたいと思って一冊読むと、たいていわかったことよりわからないことの方が増える。
ロシア革命史―社会思想史的研究 (中公文庫)』を読んで、自分がマルクスについて全然わかっていないことに気づいた(いや、前から知ってたけどね。改めて気づいたのだ)。例えば第一次世界大戦以前のドイツ社会民主党において、「マルクス主義の俗流化」なるものが進行したことについて、少なからぬページが割かれている。「マルクス主義の俗流化」とは何ぞや?著者の猪木正道氏は、例えば「マルクス・エンゲルスを哲学と無縁なものとして理解しようとする」(p52)などと説明する。しかし「マルクス・エンゲルスの哲学」とは、どんなものなのか?
そんなわけで、もう一冊読んでみた。本当はこんな読書態度は間違っているということは、よくわかっているつもり。マルクス・エンゲルスを知りたければ、『資本論』はじめマルクス・エンゲルス自身の著作と格闘すべきであるのだ。
果たして、やはり「わかったこと」より「わからないこと」の方が増えた。
マルクス主義が、後に現れた「構造主義」「ポスト・コロニアリズム」「フェミニズム」などの挑戦を次々と受け、原形を留め得ないほどに解体されたということはわかった。しかしその「構造主義」「ポスト・コロニアリズム」「フェミニズム」というものは、ほかならぬマルクス主義を胚芽として生まれたものであり、マルクス主義なくしては現在の姿はなかったという。
すなわち、マルクス主義はその外殻を次々と打ち破りながらも、その核の部分は依然影響力を失っていないということなのだろうか。
何かで読んだことがある。どのジャンルにせよ、偉大な学者というのは、問題を解決した学者ではなく、他の学者に解決すべき問題を与えた学者なのだそうである。例えばソシュールがそうだ。ソシュールが言ったことは、煎じ詰めて言えば「ある言葉は、その言葉が示す概念とそれ以外の概念を区別するために存在する」ということだと思うのだが、このソシュールの問いかけが、後世の夥しい学者から失業の機会を奪った。あるいは数学者のガロアは、後世の数学者を少なくとも500年は退屈させない問題を与えたたといわれているが、19歳にして世を去ったこの大天才の偉大さを、恥ずかしながら私は未だに理解できないでいる。
ロシア革命史―社会思想史的研究 (中公文庫)

ロシア革命史―社会思想史的研究 (中公文庫)