その後2008年2月、ウォルト・ディズニー・ジャパン前会長の星野康二が社長に招聘され、著者はふたたびプロデュースに専念できるようになったそうだ。
ところで、プロデューサーって何をする仕事なんだろう?監督というのが絵コンテを描きまくる商売であることを一般に知らしめたのは、他ならぬ宮崎のように思うのだが、本書をつらつら眺めるとプロデューサーというのは、企画書を書き、予算を積み上げ、提携先を探し、スタッフを集め…と、一般企業でいうところの管理職のようなことをする人のようである。ただし、おそらく本書の書評のほとんどが言及しているであろう、『ナウシカ』をやるときに宮崎が飲み屋でポロポロ涙をこぼしながら「高畑勲がプロデューサーでなきゃやらない」と固執するシーン(p41。なおこの時点で著者はまだ『アニメージュ』の編集者)を読んだりすると、「一流のプロデューサー」と「凡百のプロデューサー」には越えがたい壁があるようである。もしその違いが見極められるものであれば、見極めてみたいと思わずにはいられない(違いの見極めこそが何よりの難事だとは思うんだけどね。悪い点は誰でも気がつくのだけど、良い点を見分けるのには努力が必要だ)。
著者は徳間書店に入社して最初に『アサヒ芸能』に配属される。そこで当時企画部長で後に『アニメージュ』初代編集長となる尾形英夫と出会う。尾形は『アニメージュ』立ち上げ直前にそれまで仕事を頼んでいた編集プロダクションとケンカ別れし、発売三週間前(!)という時点で著者に「やってくれ」と全権を委任したのだという。高畑・宮崎コンビとの出会いは、『アニメージュ』の取材がきっかけなのだが、最初に高畑に取材を申し入れた時に、なんと電話で一時間半かけて(!)、取材を受けない理由を説明されたのだそうだ(p17)。
さらには「スタジオを作りたいがお金がない」と言うと「金は銀行にいくらでもある」(p124)というものすごい台詞を吐いたという「借金王」徳間康快社長であるとか、学生時代に「まりちゃんズ」というバンドを作って二年ほど休学後、博報堂に入ったら「いつのまにか偉くなっちゃった」という藤岡藤巻の藤巻直哉であるとか(p178)、一流の人物には違いないけど一風どころか二風も三風も変わった人間たちが、次々に登場する。
モビルスーツ乗りはモビルスーツ乗りを呼び寄せ、スタンド使いはスタンド使いと引き合うと言われるが(そりゃそういう設定だ!)、リアルでも一流の人は自然と一流の人同士で集まるようにできているんだろうか?
追記:
ちょっと嫌なことを思いついたんだけど、一応書いておこう。
そうじゃなくてひょっとしたら、宮崎駿がこれだけ世間から評価されるためには、鈴木敏夫、高畑勲、そして徳間康快との出会いは必要不可欠だったんじゃないかとも思う。
逆にもし宮崎に匹敵する才能の持ち主が他にいたとしても、たまたま不運にも鈴木・高畑・徳間のような相手と出会うことがなければ、その才能を発揮する機会に恵まれず、空しく引きこもってたりブログ書いてたりするかも知れないんだよね。
追記の追記:
あれ?出会いと言えば、本書には久石譲があんまり登場しないな…?したっけ?
手塚アニメと冨田勲、円谷特撮と伊福部昭、ガンダムと三枝成章、ドラクエとすぎやまこういちのような、奇跡としか言いようのない組み合わせが、なぜかこんなにもしばしば実現する不思議。
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