追加ヒーロー編は今回を入れてあと二回の予定です。次回が最終回の予定です。当初は今回で完結にしようかなと思ったのですが、書いてみたら長くなってしまったので二回に分けました。
「中国のヒーローの条件7か条」を再掲します。
その一…本人は何もしない
その二…部下が優秀・特に副将が優秀
その三…妻子を不幸にする
その四…放浪する
その五…口は達者
その六…体の一部分に特徴がある
その七…外国と戦う
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「中国のヒーロー」のリストは新しめの時代が手薄で、また王様以外の人も増やしておきたいと思い、誰かいないかなと探したところ、中国近代文学の父・魯迅が、かなりいい線いってるんじゃないかなと思いついたので、この際追加しておきたいと思います。
魯迅は文学者ですから「何もしなかった」わけではありませんが、本人が比較的平穏な人生を送り、代わりに阿Q、孔乙己〔コンイーチー〕、『狂人日記』の主人公の名前のない狂人ら、彼の生み出した主人公らが活躍することをもって「その一…本人は何もしない」「その二…部下が優秀」に牽強付会したいと思います。また阿Qは処刑、孔乙己は失踪など、彼の物語に登場する人物は、あまりいい結末を迎えていないことをもって「その三…妻子を不幸にする」に充てたいと思います。
「その四…放浪する」は、魯迅が日本の東京や仙台への留学歴があることが充てられそうです。また日本の中学国語教科書に多く収録されている『故郷』は、長く離れていた故郷を20年ぶりに、そして人生で最後の訪問になることを予感しつつ、訪れる物語です。
「その五…口は達者」は、作家ですから言わずもがな。ウィキペによると生涯に発表した文章で、分量的に最も多かったのは雑文だそうです。
順番をひっくり返して「その七…外国と戦う」に関しては、第一小説集『吶喊』の前書きに、次のような有名な文章があります。医学生として日本に留学していた時の体験です。
微生物の教授法は現在どれほど進歩したかしらんが、つまりその時は映画を用いて微生物の形状をうつし出し、それに拠って講義をするのであるが、時に一段落を告げ、時間がなおありあまる時には、風景画や時事の写真を挿込んで学生に見せた。ちょうど日露戦争の頃でもあるから、自然戦争に関する画面が多かった。わたしは講堂の中で、同窓の学生が拍手喝采するのに引ずられて、いつも喜んで見ていた。ところが一度画面の上に久し振りでたくさんの中国人に出逢った。一人は真中に縛られ、大勢の者が左右に立っていた。いずれもガッチリした体格ではあるが、気の抜けたような顔をしていた。解説に拠ると、縛られているのは、露西亜〔ロシア〕のために軍事探偵を働き、日本軍にとらわれ、ちょうど今、首を切られて示衆〔みせしめ〕となるところである。囲んでいるのは、その示衆〔みせしめ〕の盛挙〔せいきょ〕を賞鑑〔しょうかん〕する人達である。
この学年が済まぬうちにわたしはもう東京へ来てしまった。あのことがあってから、医学は決して重要なものでないと悟った。およそ愚劣な国民は体格がいかに健全であっても、いかに屈強であっても、全く無意義の見世物の材料になるか、あるいはその観客になるだけのことである。病死の多少は不幸と極まりきったものではない。だからわたしどもの第一要件は、彼等の精神を改変するにあるので、しかもいい方に改変するのだ。わたしはその時当然文芸を推した。
青空文庫 魯迅 井上紅梅訳 「吶喊」原序 より。 つまり魯迅にとっての文芸活動は、遅れた中国が欧米日の植民地主義に抗するため国民の精神改造を目的とするものだったのです。
引用した訳文は著作権フリーのため文体が古いですが、もし興味の湧いた方があれば、続きの部分もぜひ一読をお勧めします。魯迅の最初の試みが、あっけなく挫折する旨が語られていますが、その語り口の苦さに、100年前も今も変わらぬ時代を超越した普遍性のようなものを感じます。
私は岩波文庫の竹内好訳で読みました。こちらは訳文がもう少し現代的で読みやすいです。
さて、後回しにした「その六…体の一部分に特徴がある」ですが、『狂人日記』は「食人」すなわち自分が食われるのではないかという妄想を抱いた人物が主人公です。阿Qは疥癬を病んだため禿があることを苦にしています。
また『吶喊』には、『髪』というタイトルの短編も収録されています。
…わけじゃなくて、同短編は弁髪をテーマにした作品です。辛亥革命による新時代到来の証として弁髪を切ろうとする若者たちと、わずか200年前に異民族王朝である清朝により強制された弁髪を、千古不変の中国の伝統のように考え、全力で抵抗する世代の対立を描いています。
これもごく最近の、夫婦同姓規定合憲判決に際し、この法制がわずか150年ほど前にプロイセンの制度をまねて制定されたものにすぎず、また厚労省調査によると今日では夫婦同姓を法律で強制している国が日本以外に見当たらないという事実があるにもかかわらず、なんだかわけのわからない強制的夫婦同姓擁護論がわらわらと湧いて出る状況を見るにつけ、やはり魯迅の時代の中国も今日の日本も、あまり変わらないなという感を強くします。
『吶喊』の話ばかりが多くなったので、他の作品集に収録されている小説の話も一つだけ。『故事新編』は中国の古い民話の再話を集めたものです。このうち『剣を鍛える話』(旧題『眉間尺』)は、なんと同じ話が約900年前に日本で成立した『今昔物語集』にも収録されています。
あらすじは以下の通りです。
主人公の眉間尺の父は剣作りの名人でしたが、ずば抜けて出来の良い剣ができたので時の王様に献上したところ、疑い深い王様はこれ以上に出来の良い剣が作られることを恐れて父を殺してしまいました。
実は眉間尺の父は二本の剣を作っており、そのうち出来の良いほうの剣(=雄剣)を隠して、出来の良くないほうの剣(=雌剣)を王様に献上したのでした(『今昔物語集』では、父は雌剣を差し出したことがばれたため殺されたことになっています)。成人した眉間尺は雄剣を携えて、父の仇をとるために王の居城へと旅に出ます。
ところが眉間尺は、容易に王のもとに近づくすべがありません。
そこへ正体不明の「黒い男」が現れ、「お前の首と剣を俺によこせば、必ず仇を取ってやる」と申し出ます(『今昔物語集』では「刺客」)。
驚いたことに眉間尺は、その正体不明の「黒い男」の申し出に従って、われとわが首を刎ねてしまうのです!
「黒い男」は、雄剣と眉間尺の首をたずさえて王に謁見します。そして言います「これを鼎〔かなえ〕で煮てください」(『今昔物語集』では「釜」)。
王は「黒い男」の言う通り、鼎を用意させ、眉間尺の首を煮させます。王が鼎を覗き込んだとたん、「黒い男」は王の首を斬り落とします。王の首と眉間尺の首は、鼎の中で噛み合いの争いを始めます。それを見た「黒い男」は、なぜか自分の首も鼎の中へと斬り落としてしまうのです。かくして鼎の中では、王の首と、眉間尺の首と、「黒い男」の首の、三つ巴の争いが、いつ果てるともなく続くのです…
「なんだこのわけのわからん不気味な話は?」ということになるのですが、その解釈は次回「追加ヒーロー」編最終回への伏線ということにしておきたいと思います。