期間限定トップとして「憲法解釈変更に基づく安全保障関連法案に反対します」というのを掲げながら、ブログのエントリーではまだ何も書いたことなかったな。ブコメでは意見をいっぱい書き散らしてるけど。
今、住んでる自治体は人口7万弱の地方都市だけど、駅前で安全保障法案に反対の集会をやるというチラシが入っていたので、行ってきた。
これまで自治体名をはっきり書いたことはあまりないが、写真でバレバレやな。いや別にこのくらい構わないけど(検索したら「豊明」っていっぱい書いてとるやんけ!)。
「9条の会」の横断幕に、民主党ののぼり。呉越同舟と言うやつか。写真は撮らなかったけど全労連の垂れ幕もあった。あとでスピーチが始まってわかったのだが、国会議員一人と市議会議員六人が参加していた。
参加者は、ざっと数えたところ60人ほど。人口7万の都市でこの数字が大きいのか小さいのか。市議会議員さんの数で割り算すると一人当たり10票だから、当落を左右するほどではなさそうだな、などとさもしいことも考えてしまった。あと年配者多いねやっぱり。
「アベ政権を許さない」のプラカード。配られたので持ってた。
あとで知ったのだが id:tamasuji さんのブログ http://tamasuji.hatenablog.com/entry/2015/07/18/144408 によると、澤地久枝さんの呼びかけによる一斉アクションだったらしい。
集会の内容は、希望者を募っての連続スピーチののち、プリントで配布された決議案を参加者全員で掲げて採択するというもの。お定まりのフォーマットというやつである。
議員さんとか、NPO職員さんとかの、いわば手慣れたスピーチのあと、最後の方でスタッフに「若い人も一言」とかなんとか言われて引っ張り出された20代くらいの女性が、こんなことを口走った。
「私は親がカツドウやってたので(この集会があることを)知ったんですけどぉ…」
内心少しずっこけた。いいなあ、こういう予定調和破壊(^▽^;
だかこういう断面にこそ、日本社会の抱える集団心理の病根が端的に示されるような気もするのだ。
意識しているとしていないとに関わらず、日本人が「普通」を求めるエネルギーには、異常なものがあるように常々感じている。多くの日本人は、自分の感性を研ぎ澄ませて「普通」とは何かを見極め、それに自分を合わせようとする。最も重要な判断基準を「普通か普通でないか」に置くのだ。「カツドウ」のような「普通」でないもの(or「普通」でないとレッテルされたもの)は、真っ先に排除される。
そして少なくともこれまで政治とか選挙という場面においては、そうした心理作用の利益を最も享受してきたのが自民党だったと思う。ネット上の民主党その他に対する猛烈なバッシングは、バッシングの主たちの脳内では、民主党は「普通」ではない、というレッテルを貼られてしまっているのが一因ではないだろうか。あとやはりネットでよく見られる「どっちもどっち」という言説は、自分を「普通」に置きたいという願望の表れという一面もあるんじゃないかな?
ただし問題は、その「普通」が我々を正しい結論に導いてくれるとは限らないことだ。またその「普通」は、日本から一歩外に出たらまるっきり通用しない。私も英会話ネイティブ講師経由とか細い葦からしか外界を覗いてないんだけど、たいてい日本人の彼女のいる彼らが付き合ってて「なんでそうなるのー!」となることは一再でないとか(^_^;
自民党はこれまでずっと、国民に自分たちのやることが「普通」だと思い込ませようとする戦略をとってきたんだと思う。そしてこれまでは相当な程度、それに成功してきたのかも知れない。
今度ばかりは、どうなんだろう?
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