小島アジコ 先生のホッテントリに投入させてもらったブコメの自己解説つか「今のどこが面白かったかというと」みたいな蛇足です。
生きるのつらい絶対殺すマン - orangestarの雑記
岩波新書『鑑真』によると、仏典にはgoogle:勿力難提〔もつりきなんだい〕という大刀を持った僧が登場してだな…
2016/07/13 18:56
「勿力難提」の検索結果をちゃんとチェックしてからブコメつけたわけじゃないので、後で見直してみたところ、日本語でヒットするのは 私のエントリー と他の方の2件のみで、いずれもソースは岩波新書『鑑真』、あとは軒並みオリジナルの漢文のようだった。しかもどれも「勿力難提」ではなく「勿力伽難提」と表記されていた。
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「そういえば」とピンときた。なぜか次のような本を持っていることを思い出したのだ。 いやこの本を買った時のことは覚えているが、少し長くなるしそれなりに面白い話になるんじゃないかと思うので、次のエントリーに仕立てようかなと思います。
追記:
書きました https://watto.hatenablog.com/entry/2016/07/16/100000
パラパラとページをめくると、本文ではなく補注に、次のような箇所を発見したので引用する。
第三 殺戒(「断人命戒」manussa-viggaha-pārājika)(四11)
因縁譚は、釈尊が毘舎離の獼猴江辺に在られた時、諸比丘のために不浄観を説いた。比丘たちは「不浄観*1を習い、定より覚め已りて身命を厭患〔えんげん〕し、愁憂して楽しまず」、刀を求めて自殺しようとした。そこへ勿力伽難提〔もりぎなんだい〕比丘が、手に利刀を持って来たので、比丘たちは自分の衣鉢を与えて、殺してもらった。勿力伽難提比丘は、心に悔恨を生じた。時に一天魔が現われて、「善い哉、汝、今、大功徳を獲たり。度せざるものを度す」と讃ずるを聞き、悔恨滅し、自ら比丘たちに死を勧誘して、日に六十人もの比丘を殺して、その衣鉢を取得した。このことがあってのち、釈尊は厭世観を生ぜずに心を静められる阿那般那三昧*2(数息観)を教えた上で、この戒律を制定されたことを伝えている。
(上掲書P242)
比較・対照のため、『鑑真』より、今回は要約ではなく原文をそのまま引用してみる。
あるとき仏陀は、婆裘園〔ばきゅうえん〕というところにあった僧団を訪ね、僧たちに、肉体や肉欲のけがらわしさを厭い恐れなければならないことを説法し、静かにそのけがらわしさに思いを凝らす修行をするよう説き聞かせました。そうすると修行に熱心なあまり、僧たちの中に、生きていることに疑問を抱くものが出てきました。そこへ勿力難提〔もつりきなんだい〕という僧が、大刀を持って現れたので、自分の罪深さに悩み、世をはかなんでいた一人の僧が、衣服や持物は差し上げるから、その刀で自分を殺してくれと頼みます。勿力難提は、その願いに従って殺してしまいました。勿力難提は、いったんは自分のしたことを悔やむのですが、天魔にそそのかされて、救われない人を救ってやったのだと慢心し、悩んでいるものがいたら、自分が殺して救ってやると声をかけて回ります。修行を積むにつれ、希望者は増え、ついにはその僧団で六十人もの僧が、勿力難提の刀にかかって殺されました。この異常事態に、僧団の近隣の村は、僧団との往来を絶ってしまいます。あるときここを訪れた仏陀は、僧の数が減ったのをいぶかしく思い、改めて理由を知ります。それで仏陀は、このような行為が許されるはずはないことを説き、次の戒律を定めました(訳文は、北川智星『邪淫戒 新訳小乗四分律』の訳に加筆しました)。
僧でありながら、故意に手ずから人を殺し、刀を人に与えて殺させ、または死を賛美し、死を勧め、不愉快な生存は、死の幸福にしかずと考え、あるいはそう考えて人に勧め、もしくは何らかの方法で死を勧め、死を称賛したものは、波羅夷〔はらい〕の罪とする。
上掲書P11~12
地名など細かい異同はあるが、同じ原典を解説したものであろうと想像される。なお「勿力伽難提」と「勿力難提」の違いについては、岩波新書の方の誤記じゃないかな?
6年前の弊エントリー に書いたとおり、岩波新書の著者がこのエピソードを紹介した目的は、インドにおける僧団は俗界の全き埒外に置かれた治外法権であって、古くから強力な王権が確立していた中国や日本ではオリジナルのインドと同じ意味での僧団は存在しえなかったことを述べるためであるが、これはこれで独立したエピソードとして興味深いのではないだろうか。生きるのが苦しくてたまらないと感じていた人間は、紀元前のインドにも存在したってことで。
それと、折につけ思うことではあるが、ネットの世界がいかに広大になったとはいえ、ネットからは得られない情報はまだまだ多いのだなと今回もまた思った。こういうエントリーを書くことによって、書籍の情報をネットに書き写しているだけとはいえ、ネットを検索してヒットする情報をほんのちびっと豊かにすることにはならないものだろうか。
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