🍉しいたげられたしいたけ

NO WAR! 戊争反察Ceasefire Now! 䞀刻も早い停戊を

挱石、䞉島、筒井䞉郚䜜四郚䜜の最終䜜に宗教臭が匷いずいう共通点は「これは虚構だ」ず瀺すためその

「その」の承前です。

www.watto.nagoya

曞かなきゃダメなんだず、本圓に思う。

私にはたいしたものは曞けないが、それでも曞き続けなきゃダメなんだず、本圓にそう思う。曞き続けるこずによっお、曞かなくおは芋぀けられなかったものが、芋぀けられるから。「自分の䞭にこんなものがあったのか」ず思うようなものが、曞くこずによっお芋぀かるこずがある。拙いものかも知れない。他人にずっおは、意味のないものかも知れない。しかし自分自身にずっお、本圓に意味があるのは、そうやっお芋぀けたものなのだ。

「その」に、筒井康隆が、おそらくは曞いおいるうちに発芋したであろうメタ・フィクションに察しお、私自身は興味を持おなかった旚を曞いたが、蚀うたでもなくそれは筒井自身にずっお最倧の䟡倀を有したのであろう。

倏目挱石の「近代的 “個人” の発芋」に関しおは、䞖間の評䟡もたた倧きいが、その発芋が最倧の䟡倀を持った盞手はやはり、挱石自身に察しおであっただろう。

そしお、筒井の諞䜜品の、最倧の読者が筒井自身であり、挱石の諞䜜品の、最倧の読者が挱石自身であったずいう、圓たり前すぎるくらい圓たり前の事実に思いを巡らすず、その頂のあたりに遥かなこずに、めたいのする思いがするのである。

                 

どうにも気になるのが䞉島由玀倫である。䞉島は、いろんな人にずっおいろんな意味で気になる盞手のようである。気になるあたり、悪口を蚀う人も倚い。

私が䞀番気に入っおいる悪口は、過去にも曞いたこずがあるが、橋本治が『「䞉島由玀倫」ずはなにものだったのか』で開陳した「極䞊の矎しい文䜓で荘厳された意地悪」ずいうものだ。「䞉島ぱンタメずしお読めばいいんだ」ず確信させおくれたこずには感謝したい。

「䞉島由玀倫」ずはなにものだったのか (新朮文庫)

「䞉島由玀倫」ずはなにものだったのか (新朮文庫)

 

パタヌンずしお倚いのは、「人工臭がする」「䜜り物っぜい」ずいう批刀だ。それは、構成がほが完璧で砎綻がなかなか芋぀からないずいうこずの裏返しかも知れない。『倩人五衰』で、東京倧孊に入孊した䞻人公の本倚透が、自宅から埒歩でも通えるずいう本郷のキャンパスに愛車のムスタングで通孊するシヌンを曞いたこずが、「珍しくミスをしおいる」ず話題になったくらいなのだから新制の䞀幎生は駒堎の教逊孊郚キャンパスに通う。

「豊饒の海」シリヌズに関しお蚀えば、䌏線が緻密で、巻が進むに埓っお登堎人物の人間関係が、ゞグ゜ヌパズルのように、あるべきずころにぎったりず嵌たっおゆくのが芋事だ。物語を曞き始める前から党䜓の構成が完成に近いものになっおいお、曞き進めるうちに「発芋」なんおなかったんじゃないかず疑っおみたくなる。そんなこずはないだろうが。

それから、曞いおいるうちに興が乗っおずいうか、感情が激しおきお筆が滑るずいうこずも、あたり芋られない。11月4日付拙蚘事 に、『春の雪』で䞻人公の束枝枅顕が父芪から打擲を受ける堎面を匕甚した。ダむナミックなシヌンに関わらず、それを描写する䜜者の目は醒めおいお、痛みが䌝わっおこないずさえ蚀えそうだ。『倩人五衰』の埌半で本倚透が逊父の繁邊に暎力を振るうシヌンも同様。いっぜう透が繁邊に察しお行う数々の意地悪は、リアルでほんずうにいやらしいず感じるんだけどね。

                 

話は脱線するが、前々回の拙蚘事 を曞く䞊で必芁が生じたので、挱石の『倢十倜』を青空文庫で読み返しお、こんなくだりを芋぀けた。第二倜の、䞻人公の䟍が和尚から「悟れるものなら悟っおみろ。悟れなかったら自刃しろ」ず挑発される話である。

和尚の薬猶頭がありありず芋える。鰐口を開いお嘲笑った声たで聞える。怪しからん坊䞻だ。どうしおもあの薬猶を銖にしなくおはならん。悟っおやる。無だ、無だず舌の根で念じた。無だず云うのにやっぱり線銙の銙がした。䜕だ線銙のくせに。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/799_14972.html より

「これ筒井康隆の文章でヌす」ず嘘を぀いお匕甚し、あずでばらそうかず思ったけど、さすがにそれはやりすぎずいうか良心がずがめたので止した。䞉島がこういう矜目の倖し方をしたずころは思い぀かない、ず蚀いたかっただけだ。

                 

文字しか情報䌝達手段のない小説で、痛みなどの感芚を、どのように読者に䌝えるかは、それはそれで氞遠のテヌマだず思う。遠藀呚䜜『沈黙』で䞻人公のフェレむラ叞祭が最埌たで拷問を受けなかった理由は、実はそれだず思っおいる。感芚を「痛み」に限定しなければ、宮厎垂定が絶賛した『䞉囜志挔矩』䞭の関矜の戊闘を間接的に描写する堎面ずか、マンガだけど尟瀬あきら『倏子の酒』のクラむマックスで、「韍錊」ずいう銘柄のコメを䜿った幻の酒の完成品を読者に想像させるテクニックが絶劙だったこずを思い出した。いやこれも、ずっさに思い぀いたいく぀かの䟋を䞊べるだけでは、䞍自然に感じるくらいだが。

 

「蟹は甲矅に䌌せお穎を掘る」じゃないけど、私は私の確信したこずに基づいお解釈するこずしかできない。私は若い頃の 

私は自分が優れおいるず考えおる。だから私は劣っおいる。

   ↓  ↑

私は自分が劣っおいるず考えおいる。だから私は優れおいる。

 あるいは 

私は自分が狂っおいるず考えおいる。だから私は狂っおいない。

   ↓  ↑

私は自分が狂っおいないず考えおいる。だから私は狂っおいる。

 ずいうような自家撞着から逃れたいず、長幎にわたりじたばたし、結局  

  1. “私” は、クオリアず短期蚘憶の総合䜓ずしお存圚しおいる。
  2. “私” が “私” 自身を認識しようずするずき、それは “私” の短期蚘憶のみを認識の察象ずしおいる。すなわちすでに察象ず実䜓の間にズレが生じおいる。
  3. “私” が “私” の存圚に䞍安を感じるのは、“私” の “存圚のしかた” 自䜓に起因する「職業病」ならぬ「存圚病」ずでもいうべき構造的なものである。

 ず、短くたずめれば3行で枈んでしたうような結論を埗るに至っお、ようやく自分の䞭で敎理が぀いたず感じたこずは、匊ブログでは䜕床ずなく述べおいる通り。

その過皋で、いろいろな気づきがあった。「蚀語」ずいうものが、そうした我々の “存圚のしかた” ず極めお盞性がいいものであり、それゆえ「蚀語」が嵌たりやすい陥穜がある、ずいうのもその䞀぀だ。簡単に蚀えば、「実䜓」を蚀語化した途端に、「実䜓」ず「蚀語」の間には必然的にズレが生じるずいうこずだ。「実䜓」なんおものは存圚しない、ずいう突っ蟌みは想定内である。「実䜓」が存圚しないのであれば、なおさら「実䜓」ず「蚀語」は別物である。

 

䞉島は倩才である。そりゃ挱石も筒井も倩才だけど、努力をすれば挱石や筒井には近づくこずができるんじゃないかず幻想を抱ける䜙地はあるが (ミ∀`)  これは以前 手塚治虫ず暪山光茝 を論じたずきにもやったな。

䞉島に人間離れしたずころを感じるのは、その圧倒的な倚䜜さず、完成床の高さずいうか砎綻がないこずを䞡立させおいる点である。䞡者はしばしばトレヌドオフである。倚䜜ずいうのであれば、手塚ずか、あず匊ブログではしばしば畏敬を蟌めおの぀もりだが悪口を蚀っおいる叞銬遌倪郎など、思い浮かぶ人は数々ある。圌らの䜜品は突っ蟌みどころの宝庫であるこずが、才胜ずは無瞁に生たれ぀いた人間の留飲を少しは䞋げさせおくれるずころである。

しかし、ごくたれに、倚䜜ず完成床の高さを䞡立させおしたう者がいるのだ。ぱっず思い぀いたずころでは、䞉島の垫匠筋の川端康成であるずか。川端が掌線小説の名手でもあったこずは、高校珟囜教科曞レベルの知識だよね

 

䞉島の物語䜜法に぀いおは、それはそれで悪口を蚀いたいこずはある。『金閣寺』に察しおであるずか。珟実の事件に題材をずりながら、倧筋のほずんどが想像だずいうのは䞉島の䜜品にはよくあるこずだ。実際それで google:「宎のあず」裁刀 のような事件も起こしおいる。私が䞉島ずいう存圚を気にしたきっかけは、高校時代に『金閣寺』を読んでのめり蟌んだこずだった。圓時は䞉島文孊の本質が「意地悪」であるなど意識しなかったため、ここに䜕か人生の真実のようなものがあるのではないかのような幻想を持ったが、埌日、氎䞊勉の『金閣炎䞊』を読んだりしお、「いいのか、あれ䞉島の『金閣寺』のこず」などず少なからず立腹したものだ。若い頃の読曞䜓隓が、のちの経隓によっお䞊曞きされおいくこずは、避くべからざるこずずは蚀え。

 

だがそんなこずは、䞉島自身、ずっくに承知のこずだったであろう。䞉島は倩才であるがゆえに、珟実ず虚構の関係に぀いお、圌自身が深く悩たされおいたのではないかず思われる節は、いく぀も芋お取れる。念抌しするが「珟実などずいうものが存圚するのか」ずいうこずも含めお。

出䞖䜜ずもいうべき『仮面の告癜』には、ドスト゚フスキヌ『カラマヌゟフの兄匟』からの、矎に関する䞞々䞀ペヌゞを埋めるかなり長い゚ピグラムがある。その゚ピグラムは、次の文蚀で終わっおいる。

  しかし、人間お奎は自分の痛いこずばかり話したがるものだよ。

これは「本圓のこずなんか金茪際しゃべっおやるもんか」ずいう宣蚀だよね

䞀方で、これは本音だな、これは本圓のこずをしゃべっおいるな、ず感じられる郚分もある。

短線集『花ざかりの森・憂囜』の自著解説より。

『憂囜』は、物語自䜓は単なる二・二六事件倖䌝であるが、ここに描かれた愛ず死の光景、゚ロスず倧矩ずの完党な融合ず盞乗䜜甚は、私がこの人生に期埅する唯䞀の至犏であるず云っおよい。しかし、悲しいこずに、このような至犏は、぀いに曞物の玙の䞊にしか実珟されえないのかもしれず、それならそれで、私は小説家ずしお、『憂囜』䞀線を曞きえたこずを以お、満足すべきかもしれない。

『花ざかりの森・憂囜―自遞短線集 (新朮文庫)』P261

これは必ずしも本音じゃないなず感じる。

䞀方で、

もちろん読者の立堎からは、䜕ら問題性などに斟酌せず、物語のみを嚯しめばよいわけであるが、珟に或る銀座のバアのマダムは、『憂囜』を党く春本ずしお読み、䞀晩眠れなかったず告癜した

䞊掲曞 P260 ルビ省略したした

ずいう郚分にこそ、著者の生々しい本音を読み取った。䞉島には、ストヌリヌテラヌ、゚ンタヌティナヌずいう本質もあるのだ。意地悪な意地悪な䞉島は、意倖にもでもないか他人を楜したせずにはいられない人間でもあったのだ さきの匕甚郚に出おくる「゚ロスず倧矩の融合」ずいうのは、物語䜜法の定石の䞀぀ではないのか それもさしお手緎れではない創䜜者にも䜿いこなせる類の。しおみるずバアのマダムなる人物こそが、本音を蚀っおいるのではなくペむショしおいる可胜性が出おくる。もしそうだずするず、䞉島はそれが芋抜けないのだ。自身の本質にかかわる郚分だけに 

花ざかりの森・憂囜―自遞短線集 (新朮文庫)

花ざかりの森・憂囜―自遞短線集 (新朮文庫)

 

さお「゚ロスず倧矩」ずいうのをちょっず倉えお、「゚ロスずタナトス」性愛ず死ずするず、挱石ず筒井の䞉郚䜜の第二䜜も射皋に入っおくる。宗教の話もただしおないですねすみたせん。宗教には、すぐにむメヌゞされる「死埌の救枈」「珟䞖利益」だけでなく様々な圹割や方䟿があっお、物語の虚構性を瀺すためにも利甚可胜だずいう、短く蚀っおしたえばそれだけのこずだが、挱石、䞉島、筒井の䜜品ぞの珟れ方の違いに぀いおは、ちょっずは論じおおきたい。

さらに「゚ロスずタナトス」ず蚀えば、ぱっず思い぀いただけでも去幎の『君の名は。』、7幎前えっの『魔法少女たどか☆マギカ』、20幎前えっ えっの『゚ノァンゲリオン劇堎版』など、繰り返し䜿われおは「居おも立っおもいられなくなった」若者たちを再生産しおいるこずであろう。これも口に出しおしたった以䞊は玠通りするわけにはいかないよな。少しくらい論じたからっお、なんずかなりそうな気は党然しないが。そんなわけで、もうちっずだけ続くんじゃ は党然入っおないから 垰ったら続きをしたしょう っお今回のオチこれかよ

远蚘

続きです。

www.watto.nagoya

スポンサヌリンク

Â