🍉しいたげられたしいたけ

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お百度参り四社め(35/100)

近所の神社に、勝手にやってるお百度参りのシリーズである。なぜこんなことをしているか、ときどき書いている三箇条を再掲すると…

  1. 医学的には、参詣は病状になんら影響を与えない。難病と闘う方のご家族には、どうか一秒でも一瞬でも長く、そばにいてあげてほしい(そしてまさしくそれをなさっているのだが)。
  2. 代参は、誰がやってもいい。赤の他人が勝手にやっても何の問題もないのだ。
  3. 難病と闘っている方のご家族は、どうしても何かの後悔を感じることを免れない。差し出がましくも他人が代参を買って出ることにより、たった一つ「お参りをしておけばよかった」という後悔を除くことができれば、上出来である。

なお、私は「信仰を持つ」タイプの人間である。ただし私の信仰というのは、これもたまに書いているが、三箇条でまとめると…

  1. 不完全な人間に、完全な存在を正しく認識できるわけがない。
  2. 真理の高みは一つである。真理を目指す道が違うだけだ。
  3. 不完全な人間が、真理を目指す道の違いを巡って争うことほど、愚かしくも悲しいことはない。

という、それ以上のものではない。今回のエントリーには、ややオカルチックな内容が出てくるので、念のために書いてみた。

 

お百度参りを始めてから、ほんのささいなことだが、身の回りに幸運というか、ちょっとラッキー♪ と感じることが、しばしば起きるようになった。仕事のエクセルで範囲指定するとき、適当にドラッグしたら過不足なく一発で範囲指定できたというのが何度か続けて起きたとか、その程度のことなのだが。

「いやいや、ご利益は私にではなく…」と思わないでもなかったが、つい先日は「少し調子がいいようです」というDMをいただいたりした。

「仏の三不能」という言葉があるそうだ。やや詳しくは 2007年3月のエントリー に書いた。その中に「仏といえど因果の法則を変えることはできない」というのがある。「物理法則に反する超常現象は起きない」ということだろう。

私のまわりのプチラッキー現象は、「願いを聞いてやってるよ」というメッセージなのかも知れないと、ポジティブに解釈することにしよう。免疫システムに加勢してガン細胞撲滅に協力することは、じゅうぶん守備範囲内のはずだ。

週に一度、半日程度のお参りが、「運動・瞑想・野菜350g」のうち二つをカバーしている効果の可能性が高いんだろうけど、と一言多いいつもの悪癖。

 

今は神明社という神社に参拝しているが、お百度の経路として前回から戦人塚という史跡を折り返し点に変更した。拙宅からは、その戦人塚の方が近くにある。今回は、戦人塚から先に参拝することにした。

小高い丘の上にあるのだが、坂になっている様子が写真からわかりますでしょうか?

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ただし正面に見える形のよさげな丘ではなく…

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その左手にある、木立ちが寂しいほうが戦人塚だ。

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戦人塚が、このあたりの地名である「仙人塚」の起源になったのは以前も書いた。

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いっぽう、小高いピークには名前がついてないことが多い。ないわけではないのだが。この近所だと「二村台〔ふたむらだい〕」というところがある。たぶん本当に二つの村の境にあったのだろう。

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一応、文字起こし。

永禄3年(1560年)
 桶狭間の戦いでの戦死者
  約2500人を供養した塚

 

坂を上りきる最後の石段。この石段自体は、たいして高いわけではない。普通の民家の二階に上る程度だ。だが何度も往復していると、馬鹿にならない大変さを感じた。

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塚を目の前にして、なんとなく感謝の意を示したくなった。そこで『般若心経』を誦してみようかと思った。

こうやって自らハードルをどんどん上げたがるのは無能な奴の特徴というのは、前回のお百度参り記事 に書いた通り。

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これまでは神社ばかりを参拝していたから機会がなかったが、私はなぜか、いくつかの経典が暗唱できるのだ。『般若心経』の他に『観音経』、『正信偈』、そして『阿弥陀経』。

なんでそんなことができるかというと、それぞれ理由があるのだが、『般若心経』に関しては、かつてNONブックスの『般若心経入門』という本がベストセラーになったことがある。それを父親が買ってきて、当時小学生だった私は、読んでいるうちになんとなく覚えてしまったのだ。

検索したら新装版が出ていた。

般若心経入門-276文字が語る人生の知恵 (祥伝社新書183) (祥伝社新書 183)

般若心経入門-276文字が語る人生の知恵 (祥伝社新書183) (祥伝社新書 183)

 

しかし経典は、かりに暗唱できてもあえて読誦するものだという知識もある。さいわい手元にはスマホがある。検索して読んでみたのだが…

ぎゃぁぁぁぁっ、40年間、間違って覚えていた!!

一箇所だけ、「般若波羅蜜多故」を、「故」を飛ばして「般若波羅蜜多」と覚えてしまっていたのだ!

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 File:Hannya shingyo.png - Wikimedia Commons より。CC0 につき一部加工しました。

 

「経典は読誦すべき」というのは、「人間の記憶はあてにならぬもの」という古人の知恵の一つかも知れない。

ただし長年、間違えて覚えていて、どんな不都合があったかと振り返ってみると、とりたてて思い浮かばなかった。『般若心経』が暗唱できて何か役に立ったことがあるかというと、サラリーマン時代、ヘンな疲れ方をして何度か金縛りにあったことがあり、その時に誦したことがあった。なにオカルチックな意味はない。金縛りというのは、脳幹の一部が覚醒して一部が入眠したままのため起こる現象だと聞いたことがある。それを覚醒させるためのつもりだった。

すみません、他人にはどうでもいい話でした。

 

高台から坂道を下るところ。

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高台には名前がついていない代わりに、低地に「狭間〔はざま〕」という地名が付いていることが多く、「桶狭間」もその例であることは、以前も書いた。

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道路と駐車場の仕切りに、栽培花とも野花ともつかぬ色鮮やかな花が咲いていた。

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「栄華を極めたソロモン王でさえ、野の花の一つほどにも着飾ってはいなかった」というのは福音書で大好きなフレーズの一つであるというのは、最近も書いたな。

いろんな宗教のいいところをつまみ食いしているので、こういうことも言えるのだ、と開き直り。

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国道一号線沿いのパチンコ屋の店頭に行列ができていた。何事かと思ったら新装開店だった。

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大型店舗の駐車場から見た神明社の拝殿。

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「神祇不拝」と言って、本当は弥陀一仏を本尊とする浄土真宗では神社に参拝してはいけないことになっているのだが、気にしない。さらに言うなら浄土真宗は『般若心経』を読まないのだけど、これも気にしない。

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しかし、やはりハードルを上げすぎたかも知れない。『般若心経』はいいとして、経路往復1,400mはこれまで最長である。これまで通りの休日の半日を費やすペースだと、一度に10回ほどしか参拝できなかった。今回は参拝10回プラスで合計35回。

10kmや15kmくらい、毎日ランニングしてる人はいくらでもいるのだろうけど。

なおそれに加えて腕立て伏せ100回、上体起こし100回、スクワット100回を毎日やるとワンパンマンになれると聞いたことがあるが、真偽のほどはさだかではない。

ネタ漫画「DB×ワンパンマン」続き : ドラゴン画廊2

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