前回のエントリー は、一回で完結させるつもりで書き始めたのですが、思いのほか疲労が蓄積しており、頭の中にあった内容の半分ほども文字にできないうちに挫折しました。すみませんでした。
倉敷市災害ボランティアセンターへは、新倉敷駅北口からシャトルバスが出ており、倉敷市災害ボランティアセンターから現場に近い中継基地へもバスが出ていた。
細かいことだが、シャトルバスはマイクロバスで、中継基地へのバスは大型の観光バスだった。
倉敷市役所真備支所前の広場に、テントが設営され、中継基地になっていた。なお中継基地というのは、私がこのブログで勝手にそう呼んでいるだけで、正式に何と言うかは知りません。
現地写真はここまで。上の写真はバスの車窓から撮った。倉敷市役所真備支所には、教科書と『火の鳥 鳳凰編』でお馴染みの吉備真備の大きな銅像もあったが、バスを降りてからスマホカメラをいじるのは自重した。
ボランティア参加者は、ここで5~6名のグループに分かれ、支援要請のあった被災者宅に向かった。
支援要請の登録カードのコピーを渡され「自力で行ってください」と言われてしまった。おいおい。
中継基地に張り出されたゼンリンの周辺地図と、スマホのマップだけが頼りだった。なんとかなったけど。
事前のオリエンテーションで、時計係を決め、20分作業したら、必ず10分の休憩を入れるようにと指示されていた。
今回の作業内容は、被災したお宅から、水に濡れたもろもろを運び出すというものだったが…
写真は撮れないけど、なんでだ? なんで二階から水に濡れた畳を下ろさなければならないんだ??
— しいたけ@しいたげられた (@wtnb4950) July 16, 2018
近年の日本の気象、マジヤバいかも知れん。
東日本大震災というのがあったから、「民家の二階が床上浸水なんて前代未聞」とは言えない。しかしそれにしても…もはや日本列島に住んでいる以上、どんな災害の当事者になっても不思議ではないと覚悟しておく必要があるように思われる。
水を吸った畳は重いし、暑いし、おまけに畳に限らず浸水して1週間も経つと、どんなものでも容赦ない腐敗臭を放つようになる。にもかかわらずこの日は、家主さんが伝手をたどって借りた軽トラックを、午前中で返さなければならないとのことで、畳など大物から積めるだけ積まなければならなかった。
20分作業、10分休憩のサイクルでもキツいわ、こりゃ。
なお被災地では、まだいろんなものが不足していますが、ゴミ搬出用の軽トラックも、数がぜんぜん足りていないものの一つだそうです。もし貸与可能な方がいらっしゃいましたら、どうかご一考を!
帰りのバスが真備支所前の中継基地を出るのが午後2時過ぎと聞いたときには、「ちょっと早いかな?」と思ったが、私の体力的にはそのくらいが限界近かった。体力ない。普段からもうちょっと鍛えておかなければ。
中国職能開発大学校の災害ボラセンに戻ったところ。「現場はバイ菌だらけだから」とのことで、ジェット水流で長靴の泥を落としてもらった。手袋やらなにやらは、タワシで洗い流すコーナーが設けられていた。
写真からはよく見えないけど、右のほうにいるスタッフの、黄緑色の蛍光色のビブスには「つくば市社会福祉協議会」と書いてある。「平成27年9月関東・東北豪雨」のおりの、ボランティア活動の知見を共有するために派遣された職員なのだろうか?
素人のボランティアが災害ボランティアセンターに参集して、それなりに動けるようにするためには、それを支えるスタッフの働きが不可欠である。ひょっとして大分から、熊本から、東北から、神戸から、経験を持ったスタッフが来ているのかも知れない。
そう想像して、内心少しうるっとしてしまった。と同時に、素人のボランティアの働きを過大に評価してはいけないとも思った。コーディネートがなければ、ただの野次馬と変わらない、とまで言ったら言い過ぎか?
体育館の中には、物資を集積したコーナーがあった。
写真は撮らなかったけど、狭いながらも更衣室が用意されていたことが、個人的には一番助かった。
つかセンターに戻って自分の荷物を開けたとき、一番上に新しいタオルを入れておいたことに「自分GJ!」と思ってしまった。わかっているからやったんだけど。
こういうとき乾いた布は、ハンカチ一枚でも役に立つことがあるのだ。逆にあんまり役に立たないのはポケットティッシュの類で、ドロドロ相手だととても間に合わない。
帰りのシャトルバス乗り場。バスの車窓から撮った。
中国職能開発大学校から新倉敷駅までは、10分ほどしかかからなかったと思う。
帰りの新幹線の車内で、ちょっと贅沢した。ヱビスビールは車内販売で300円だった。
駅弁のフタをとったところ。真ん中少し左の、錦糸タマゴに乗っている切り身は、ウナギではなくアナゴだった…と何を言い訳をする?
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