しいたげられたしいたけ

空気を読まない、他人に空気を読むことを求めない

松本零士『ミライザーバン』と「ニューカムのパラドックス」(中編:マシュマロ実験との相似)

前回の記事に「ニューカムのパラドックス」に対する私なりの解釈を二つ思いついたと書いた。当初、前後編に分けて後編に二つの解釈を一気に書くつもりでいたが、書き始めると長くなりそうだったので、それぞれ別の記事にすることにした。

ニューカムのパラドックスを、野崎昭弘『逆説論理学』(中公新書)からの引用にて再掲する。

宇宙の彼方から、超能力生物ミライサー・パンがやってきた。彼は人間の行動を、ひじょうに正確に予測することができる。その彼が、あなたに次のような提案をした。
「ここに箱がふたつあります。こちらのAの箱には必ず千円入っています。こちらのBの箱は、空っぽかもしれませんし、百万円入っているかもしれません。これをあなたにあげようと思うんですが、あなたはBの箱だけ取ってもいいし、AとBの両方を取ってもかまいません。ただ、私はあなたがBの箱だけ取ると予測したときにはそこに百万円入れておきます。またですね、あなたが両方の箱を取ると予測したときにはBを空にしておきます。ではお好きなように、お取り下さい。二千年たったらまたお会いしましょう。ではさようなら。」
あなたはどちらの取りかたを選ぶだろうか?

『逆説論理学』P37~8

ただ一つの正解が存在しないパラドックスまたは思考実験を考えることは、一般的にあまり爽快感を感じられるようなものではない(「じゃ何で好き好んでそんなことをするのか?」という突っ込みは黙殺する)。だがこのニューカムのパラドックスは、なにかしら独特の「いやらしさ」のようなものがあるような気がして、ずっと気になっている。

 

私が『逆説論理学』を最初に読んだのは、初版が出て間もない頃だった(うわもう40年近くも前だよ!)。その頃はネットなんてなかったが、今はネット経由で大量の情報が手に入るようになった。久しぶりにニューカムのパラドックスを考えてみて、新たに思いついたのは「マシュマロ実験」というものとの類似性である。

マシュマロ実験とは、1970年にスタンフォード大学で行なわれたという、次のような実験である。被験者の4歳の子どもを部屋に入れ、目の前に子どもが好みそうなマシュマロを一つ置いて、こう告げる「もしこのマシュマロを15分間食べないで我慢したら、もう一つあげるよ」。そして子どもを一人で部屋に残し、その様子を隠しカメラで観察するのだそうだ。

「監獄実験」といい、スタンフォードは根性極悪な実験ばかりやってるな。

根性極悪というのはもちろん冗談で、実験の意図は理解できるつもりだ。1988年に行われたという追跡調査の結果も興味深い。ただし追跡調査と言えば、つい最近、3ヶ月ほど前にも、こんなニュースがあった。しかし追試、検証も当然含めての科学である。それらにより当初発表された結果が覆されたとしても、実験の意義は揺るがない。

gigazine.net

ちなみにスタンフォード大学は米国カリフォルニア州に位置する名門大学で、歴史、在籍者数、予算、ノーベル賞&フィールズ賞受賞者数で日本の京都大学とほぼ拮抗し、敷地面積と世界大学ランキングで京大をはるかに凌駕する。ぐぐって調べたらいい勝負しててちょっと面白かったが、あのレベルの大学が他にもごろごろあるアメリカって何なんだよ??

 

話を戻して、とはいうものの個人的感情としては、記憶も定かでない幼少期であるにしろ、こんな実験の被験者になるのは御免だと思わないではいられない。

ニューカムのパラドックスを考えるときに感じる不快感は、「もし自分がマシュマロ実験の被験者にされたら」と想像したときに感じる不快感と似ているように思うのだが、いかがでしょうか?

ニューカムのパラドックスは、成人を対象とし、期間を無限大に延長したマシュマロ実験だと考えることはできないだろうか? 表にするまでもないかと思ったが、一応まとめてみた。

  マシュマロ実験  ニューカムのパラドックス 
被験者 4歳児 成人? 
確定された報酬 1個目のマシュマロ 1000円 
未確定の報酬 もう1個のマシュマロ 100万円 
我慢する期間 15分  2000年?

報酬額や期間は『逆説論理学』に依拠しています。

相似性は明確だと思う。強いて違いを探せば、マシュマロ実験では被験者は確定された報酬を確実に入手できるが、ニューカムのパラドックスでは入手するかしないかは被験者の意思に任されていることくらいだろうか? ひょっとしたら、この違いが本質的なものかも知れないが。

 

ニューカムのパラドックスにおいて、「勝ち」とか「負け」とかを定義するのが適切かどうかはよくわからないが、被験者が100万円の報酬だけを得られれば「勝ち」だと考えるなら、被験者側の戦略はそんなに難しくないような気がした。なにせこちらは成人だ。4歳児とは違うのだよ。

もし1000円の入ったAの箱をずっと目の前に置いておかなければならないのだとしたら、ふと魔が差したり、何かの間違いで開封してしまうことがあるかも知れない。だが少なくとも野崎の紹介した問題文には、そのような制約は書いてない。試験者であるミライサー・パンは、「2000年後にお会いしましょう」とだけ言い残して立ち去ったことになっているのだ。だったら例えば街頭募金をやっている人を探して「1000円入っているよ」と箱ごと寄付してしまえば、それで済まないか?

1000歩だか100万歩だか譲って、「Aの箱は、ずっと自分の家に置いておかなければならない」とルールを強化したとしても、どうだろう? こちらは成人なのだ。自分の家の中を見回すと、いつから開封していないかわからないガラクタの詰まった段ボール箱が大量に保管されている。過去の確定申告の書類、膨大な積ん読本、はるか過去にもらった結婚式の引き出物、とうにデッキの方を処分して見られなくなったVHSビデオ(捨てろよ!)…などなどが入っているはずである。それらと一緒にAの箱をどこかに放り込んでおけば、たとえ余命が2000年あったとしても、余裕で開封しないように思うのだが、どうだろうか?

成人が4歳児よりマシだとは思えなくなってきた。

 

ではもし被験者が100万円と1000円の両方を得られる場合を「勝ち」と定義したら、どうなるのか? つまり試験者のパンを、どうやったら出し抜くことができるかということだ。そうすると、難度はぐんとアップする。

前回も貼った 夜中たわし さんのエントリーは、そのように定義して考察を行っている。

www.tawashix.com

言っといてなんだが、このように定めたケースにおいて、私は開陳するに足る案を持ち合わせていない。

代わりにと言うか、こんなことを考えた。たわし さんのエントリーには、次のようなブコメを投入した。

難問「ニューカムのパラドックス」対 特殊能力者 - 夜中に前へ

これ特殊能力者を主体とした利益の最大化問題と考えると、「何も与えない」という最適解がただちに判明し、「一億円かたわしのどちらかを与える」は不自然な制約による双安定な局所解に過ぎないとわかるんですけど。

2017/06/04 00:20

b.hatena.ne.jp

時間をおいて読み返すと、我ながらスノビッシュな(知ったかぶった)いやらしいコメントだが、直截的に書き直すと、「特殊能力者はなんの得があってこんなことをするのか?」と言いたかったにすぎない。

愚考を巡らすことにも、ご利益はあるものだ。試験者ミライサー・パンの正体がわかったぞ! パンは2000年後のスタンフォードから来たに違いない!

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