しいたげられたしいたけ

空気を読まない 他人に空気を読むことを求めない

子どもと真剣に向き合うのは難しいから子どもと真剣に向き合おうとしている人への尊敬度が高いこと

前回の拙エントリー には多くのスターやブックマークコメントをいただきました。ありがとうございます。その関連で、あまりまとまっていませんが書きたいことが出てきたので、断片集として書いてみたいと思います。

 

子どもと真剣に向き合うのは、たいへん難しい。こちらが提供した話題に興味がないと、それこそ鼻もひっかけてくれない。いっぽうで彼らが興味を抱いたものを否定しようものなら、ざっくりと傷ついてしまう。だからこそ、子どもと真剣に向き合おうとしている人には尊敬度高く感じる。

 

何日か前の 自由ネコ(id:gattolibero)さんのブログにこんな記事があった。言及失礼します。

gattolibero.hatenablog.com

ダチョウ倶楽部 の人気芸「熱湯風呂」にゲスト出演した 小島よしお が、熱いはずの風呂の中で「そんなの関係ねぇ!」をやっちゃって、実は熱くないのをバラしてしまったというエピソードが紹介されていた。

なんだか観た記憶があるぞ。何かの特番だったような気がするが、記憶が定かでない。そして楽屋ではなくその場でメチャメチャ突っ込まれていたから、あれはあれでネタだったのだと思う。

しかしその 小島よしお は、子ども向けライブを年間100本以上もこなし、現在「子ども向け芸人」ということで人気を博していることも、よく知られていると思う。

もちろん「芸人の生き残り戦略」と言う人もいるだろう。しかし、それを長く続けるのは並大抵のことではないし、長く続けられるということは「本物である」ことの証明でもあると思う。

 

似た例で、「絵本読み聞かせ」を長く続けている 志茂田景樹 のことを思い出した。奇抜なファッションでバラエティ番組に登場し、本業の作家業では口述筆記による粗製乱造(と当時は思った)をやっていた時期には「こりゃすぐ消えるな」と思っていたが、絵本読み聞かせ活動の評判を聞き知るに及んで、個人的評価が一変したことがある。

 

子どもは、大人がまともに相手してくれているのか適当にあしらわれているのか、わかるものである。そしてまともに相手をしてくれた大人に対する評価は、ずっと長く続く。

 

私の個人的な思い出を語ると、話が思いっ切り古くなるが、ご容赦いただきたい。真っ先に思い出したのが、先代の林家三平(二代目の実父)である。夏休みの子ども向け特番の司会などをして、子どもの間での人気も高かったと思う。

私がブログやブコメでよく使うギャグ(のつもり)の一つに「今のどこが面白かったかと言うと…」というのがある。この源流の一つが林家三平である。確認したらウィキペにも記述があった。

「――このネタのどこが面白いかと言いますと……」と現在でいう「スベリ芸」を先駆けるネタも用いたことでも知られている。

林家三平 (初代) - Wikipedia より

 

ウィキペにはこんなことも書かれていた。

「こうやったら笑って下さい(と額にゲンコツをかざす)」

同種のテクニックを催眠商法の業者が使っていることを、ロバート・熊(id:robakuma)さんが著書の『あやしい催眠商法 だましの全手口 身近な人を守るために知っておくべきこと』(自由国民社) 中で紹介していたことを思い出した。これはあんまりいい話じゃないけど。

f:id:watto:20190211185719j:plain

『あやしい催眠商法 だましの全手口 身近な人を守るために知っておくべきこと』 P9 より

 

そんなわけで、生前は古典落語を至上とする落語ファンからは軽んじられていたが、54歳という若さで世を去ったとき、その早世を惜しむ声が洪水のように溢れたこともよく覚えている。「天才は生きているうちに褒めろ!」という絶叫のような言葉を発したのは、誰だっただろうか? 

あやしい催眠商法 だましの全手口  身近な人を守るために知っておくべきこと

あやしい催眠商法 だましの全手口 身近な人を守るために知っておくべきこと

 

 

子どもの頃からのファンは、長じても応援してくれるのだ。

一昨日(2/9)から昨日(2/10)にかけてのホッテントリに、こんな記事があった。

nlab.itmedia.co.jp

この記事に、マンガ家の 御厨さと美 がいるから知ってるというブコメがいくつかついた。御厨さと美は(多分)駆け出しのころ、小学館の学習雑誌『小学六年生』の読者投稿ページを、同じくマンガ家の 六田登 とともに何年も担当していた。検索すると1970年代前半だったようだ。少し後で御厨が『ケンタウロスの伝説』や『裂けた旅券(パスポート)』で、六田が『ダッシュ勝平』や『F』で人気を博したのは、その頃からのファンが一役買ったのではないかと想像する。

 

御厨はどこかの記事で、当時の読者からの投稿にはすべて目を通していたと語っていたように記憶している。例によってソースは探せなかったのでうろ覚えだが。私の学年の年度末の号に「子ども扱いしないで真剣に相手をしてくれたことに感謝します」という意味の投稿が載ったのを覚えている。これもソースは確認できない。

 

学年別雑誌の話題は、世代間で継承されにくいのがつらいな。一回りくらい下の世代(現在40代くらい?)だと、「ジャンプ放送局」の さくまあきら や 土居孝幸 が、「桃太郎伝説」「桃太郎電鉄」シリーズでブレークした事例が想像しやすいだろうか? 「少年ジャンプ」はメジャーだから、ジャンプに連載を持った時点でブレークと言えるかもだが。

 

『小学六年生』の話を、もう少ししたい。御厨は「みく・さとみ」を、六田は「のぼ~る」を名乗り、読者ページ中に登場する自画像は二頭身、三頭身のギャグマンガタッチのものだった。だから後に彼らの本来の絵柄が当時でいう劇画タッチであったことを知ったのは、大いに意外でもあり、なぜかちょっと嬉しくもあった。

絵柄はギャグタッチでも、70年代のことで内容は今でいうサブカル臭がどことなく漂っていた。いつの時代でも一つ上の世代に憧れる子ども心には、それもまた魅力に映った。

 

それで思い出した。ごくま@mtchac(id:go_kuma)さんが一昨日(2/9)のエントリーにアニメ『黄金バット』のことを書いていた。

gokumatrix.hateblo.jp

黄金バットの原作は紙芝居で、作者は 加太こうじ という人である。のちに『思想の科学』という雑誌の編集長や日本福祉大学の教授を務めたガチ知識人である旨を、ブコメに投入した。いらんことを言うと「進歩派」色がそうとうに強い。

さらにいらんことを言うと、子ども向け特撮『月光仮面』、『レインボーマン』、『ダイヤモンド・アイ』、『コンドールマン』等の 川内康範 は、ガチ民族派・国粋主義者として知られる。右派とか左派とかは関係ない。問題は子どもと真正面から向き合ってくれたかどうかだけだ。ところでウィキペを読み返したら、川内を規定するなら国粋主義者より日蓮宗のほうが興味深いかも。「ダーイバ ダッタの たましいやどーし♪」。『法華経』「提婆達多品第十二」。あかん、話がどんどん他人に通じにくくなる。

 

古い話ばっかりだな。無理に新しい話をしようとすると外す恐れが強いけど、頑張ってみる。何週か前に完結した『HUGっと! プリキュア』、先週で完結した『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』のネットでの評判が、ほぼ絶賛状態である。いわゆる「ニチアサ」を踏まえたNHKドラマ10枠の『トクサツガガガ』も、受けがいいよね。

プリキュア、戦隊もの、そして仮面ライダーシリーズに関しては、かつての視聴者が、脚本家や監督など制作者側にまわって、「自分の作りたいシリーズを作る」という好循環が成立しているようである。

 

「何かを褒めるとき別の何かを貶すな」とは言うけど、つい比較せずにはいられない。お笑い芸人の話に戻るが、昔はお笑い芸人といえば当たり前のように子どものものだったように思う。お笑い芸人が子どものものとは言えなくなったのは、いつの頃からだっただろうか?

タモリ や ビートたけし が出てきたばかりのころ、タモリであれば CM に「小タモリ」というのが登場したり、たけし であれば「タケちゃんマン」というのを演ったりして、子ども向けの顔もあるというポーズはとっていたが、やはりどこか無理があったような気がしている。

他人と雑談しているとき話が出たのだが、バブルの頃の とんねるず あたりが画期だったかなぁ、子ども向けというポーズがなくなったのは。大人のコンパの乗りというか、体育会の乗りというか。

子どもの相手をする ダウンタウン って、想像できますか?

 

バブルの時期に『オレたちひょうきん族』(1981~89:ウィキペ調べ、以下同じ)、『笑っていいとも』(1982~2014)、『ねるとん紅鯨団』(1987~1994)などで我が世の春を謳歌していたフジテレビが、今日苦戦を伝えられている一因として、成長した子どもが制作者側に回るという好循環を作れなかったことを考えるのは、ちょっと無理があるだろうか?

フジテレビとテレビ朝日は、今日においても資本金や従業員数など企業規模において歴然と差があるのだが、目下テレ朝が業界トップの日本テレビ相手に健闘が伝えられていることと、つい比較したくなってしまう。

 あの当時としては斬新だったかも知れないが、結果として楽をしちゃったんだよね。

 

私は古い人間なので、どうしても古い話になってしまう。かつて土曜午後8時枠はフジテレビとTBSが視聴率トップをめぐって激しく争っていた時間帯だった。『ひょうきん族』はTBSの看板番組『8時だヨ! 全員集合』(1969~85)にぶつけたものだった。それ以前には萩本欽一の『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(1975~80)をぶつけたこともあった。もっと古い話をすると、フジテレビの『コント55号の世界は笑う』(1968~70)というのがこの時間帯のチャンピオンで、TBSが『全員集合』で王座を奪ったのだった。

萩本欽一がコント55号で世に出たことは、もはや説明が必要な時代かな?

 

今は土曜午後8時枠に「子ども向け」というイメージは薄い。辛うじてテレビ東京に不定期で登場する 出川哲郎 が思い浮かぶくらいか。ここで比較したくなるのは YouTube である。子どもの関心がユーチューバーに向いていることや、テレビ全体が凋落していることに思いを巡らすには、もう少しエビデンスが必要だろうか?

 

局は違うが萩本欽一は日テレ『欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮想大賞』などで今も現役として活躍している。言うまでもなく『仮想大賞』はファミリー向け、子ども向けを強く意識した作りになっている。パートナーの香取くんも「慎吾ママ」が忘れられない。40代の男をつかまえて「くん」付けもないもんだけど。

やっぱり彼らは偉いと思う。

スポンサーリンク