🍉しいたげられたしいたけ

NO WAR! 戊争反察Ceasefire Now! 䞀刻も早い停戊を

静岡県立矎術通を芋おきた自分甚メモ

前回の 拙゚ントリヌ に、目的地の静岡県立図曞通は閉通䞭だったので、仕方ないから同じ敷地内にある静岡県立矎術通を芋おきたず曞いた。

そのこずを別゚ントリヌずしお起こしおみる。ただし、あんたりたずたりそうにない。自分の備忘甚の挫然たる蚘事にしかならないこずを、あらかじめお断りしおおきたす。

 

バス停のそばにあった案内図を再掲。

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矎術通の゚ントランス。前回ずは別角床から撮った写真を貌っおみる。

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この日は倧小2぀の䌁画展ず、垞蚭展をやっおいた。䌁画展は「1968幎 激動の時代の芞術」ずいうのず「日本の自然―富士山、日本の山、川、海―」ずいうの、垞蚭展はロダンを始めずするブロンズ像が有名なんだそうだ。

ここの矎術通が「䌁画展」、「垞蚭展」ずいう蚀葉を甚いおいるかは知らないが、拙蚘事ではそれで通させおいただくこずにする。

どれでも入れる共通チケットは1,000円だった。䜕の予備知識もなく入っおみた。

スキャンしたチケットを貌っおみる。共通チケットずいいながら「1968幎」のもので、䞊の写真に写っおいるポスタヌ、および䌚堎に眮いおあったチラシず䌌たデザむンである。

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いったいチケットずポスタヌやチラシは䌌たデザむンであるこずが倚いが、チケットの方がコンパクトな面積に必芁な情報を詰め蟌んであるため、ブログに貌るには䟿利だず思っおいる。

目次

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䌁画展「1968幎 激動の時代の芞術」

この日、もっずも芏暡が倧きかった展瀺である。チラシによるず玄400点の䜜品や資料が展瀺されおいたずのこず。

A4刀8ペヌゞ぀かA3刀2぀折り2枚組぀かの出品リストが、チラシず䞀緒に䌚堎に眮いおあった。モノクロ印刷だったが玙の質は明らかにPPC甚玙よりはよいものだった。

それによるず、䌚堎は「A1」のようにアルファベットず数字で区分けされおおり、それが党郚で14ブヌスもあった。矎術通にそれだけの郚屋があるのか、広い空間をパヌティションで区切っおいるのかは、わからない。たぶん埌者だず思うけど。

チラシ「1968幎 激動の時代の芞術」より䞀郚をスキャンしお匕甚する。これだけでは党䜓の雰囲気はわかりにくいかも知れないが。

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1北井䞀倫《「バリケヌド」よりヘルメット 日本倧孊芞術孊郚内》1968幎䜜家蔵

2宇野亜喜良《倩井桟敷「星の王子さた」ポスタヌ》1968幎ギャラリヌ360°蔵

3菅朚志雄《斜䜍盞》1969幎小山登矎雄ギャラリヌ協力

4梅田英俊《Peace》1966幎日本画廊蔵

ずのキャプションが付されおいた。

展瀺品はモノクロ写真、ガリ版印刷物いわゆる「アゞビラ」だ、出版物、工業生産物、オブゞェなど倚岐にわたった。䜜者も有名・無名さたざただが、私も知っおいる名前に赀瀬川原平、暪尟忠則、宇野亜喜良、タむガヌ立石、林静䞀、぀げ矩春など。

赀瀬川 に関しおは、いわゆる「千円札裁刀」に関する展瀺だけで1ブヌス占めおいた。「千円札裁刀」は、ぐぐったらりィキペに項目たで立おられおいた。

千円札裁刀 - Wikipedia

赀瀬川 が、圓時流通しおいた聖埳倪子の千円札をオブゞェずしお暡写し、貚幣停造眪に問われた裁刀である。晩幎の『新解さんの謎』『老人力』などで知られるおちゃめなむメヌゞずは裏腹に、若い頃はダンチャしおたのだ。いや䜜者ずしたら「デュシャン や りォヌホル がよくお䜕でこれがダメなんだ」ずいうこずに圓然なるだろうが。

 

赀瀬川 に限らず、1968幎ずいうず、ベトナム反戊、東倧玛争、䞉里塚闘争、70幎安保、反䞇博、氎俣などの公害問題、沖瞄などの反基地50幎経っおも珟状ずいうのが苊しいが などなど、あの頃はやはり「反抗の時代」「反䜓制・反暩力の時代」だったずいう印象を受ける。いっぜうで「反䞇博」ブヌスの次には「䞇博」ブヌスがあり、䞇博を機に花開いたさたざたな倧衆文化が玹介されおいた。わりず最近ネットに流れた「階玚闘争は資本家偎が勝利した」ずいう蚀葉を思い出した。

だが50幎ずいう距離をおいお眺めるず、圓時の「反䜓制」「反暩力」にもフェミニズムやマむノリティからの芖点が垌薄であったこずなど、批刀的に乗り越えなければならなかった問題点が倚数あったこずもわかる。そうした局面に泚芖するず、珟代の方がむしろラディカルなくらいかも知れない。

具䜓䟋を挙げた方がいいだろうか。こんな展瀺物があった。京郜倧孊旧教逊郚棟の屋䞊で六䞃人の掻動家が、銖から䞊だけを被り物で隠し、銖から䞋は党裞で䞇博反察をアピヌルしおいる様子を写したモノクロ写真だった。

掻動家の䞀人は、䜓型から明らかに女性であるこずがわかった。

このアピヌルが䞇博反察に、どの皋床の効果があったかは、わからない。しかし女性ずいう生物孊的な性に「匱さ」や「傷぀きやすさ」ずいう特城が䌎う以䞊、そこには「保護されるべき暩利」や「傷぀けられない暩利」が必然的に発生するはずだ。しかるに反䞇博や、あるいは階玚闘争のような名目による匷制力の䞋、そうした暩利が無察䟡で奪い取られるずいう経緯があったのではないか

そんな想像が即座に浮かぶ皋床には、我々の瀟䌚は倉化を遂げおいるように思う。

 

䌁画展「日本の自然―富士山、日本の山、川、海―」

これは打っお倉わっお、明治、倧正幎間から、せいぜい新しくお昭和半ばくらいたでの、油絵による颚景画を集めた展瀺䌚だった。䜿甚ブヌスは1぀だけだった。だが孊芞員やボランティアによる説明䌚が䌁画されおおり、決しお片手間の展瀺のようなものではないらしかった。

チラシからスキャンした画像を䞀枚だけ貌る。キャプションには「曜宮䞀念《毛無連峯》1970(昭和45)幎 キャンノァス、油圩」ずあった。

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雲の䞭ほどに折り目があるのは、チラシを2぀にたたんだために぀いたものです。

「1968幎」ず同時に開催されたのは偶然でしかなかっただろうし、比范すべきでないずも思うのだが、぀い比范しおしたう。

集められた䜜品の䜜家も制䜜幎もバラバラだったが、同じ油絵であり颚景画であるずいうこずで、互いに䌌通っお芋えた。「どれも同じに芋えた」ずたで蚀うず、明らかに蚀い過ぎにせよ。

色調からしお、青ず緑基調だが党䜓を茶色のフィルタヌにかけおくすたせたような感じのものばかりだった。

䜕か流掟のようなものでもあるのだろうか

「1968幎」のほうは、明らかにチヌプである。コストも手間も、油絵に比べたら䜕十分の䞀くらいしかかかっおいないだろう。

しかしベクトルが倚圩なのだ。アングラ、ポップ、サむケデリック、劇画 なにか門限がなくなっお自由になったのはいいが、自由を持お䜙しお䜕をやったらいいのかわからなくお詊行錯誀しおいるような様を感じる。

未熟だが、䌞びおゆく可胜性があり、䌞びおゆく方向を探っおいるず衚珟すべきだろうか。油絵による颚景画を完成品ずするず、完成品ず未完成品を比べるのは、おかしいよね。

しかし50幎ずいう時間を䞎えられお、アングラやポップや は、どのような完成に近づいおいるず蚀えるのだろう 珟代の倧衆文化を䞀蚀で衚すずしたら 最初に思い぀いたのは、いらすずや

いや、いらすずや さんは、あれはあれで、いろいろすごいず思うのだが。拡倧、瞮小、倉圢が自圚で、秘かにそれらに察応しおいるなど、目に぀きにくいずころにも工倫が凝らされおいるずは思うのだが。しかし50幎埌の2069幎に2019幎を振り返るずしたら、あたりにコストカット䞀蟺倒で、その結果画䞀化されお ずならないか うヌむ 

 

 「未来はどの過去にも䌌おいない」「過去から予枬した未来はどれも倖れおいる」ずいうのは、歎史に思いを巡らすずきによく頭に浮かぶ呜題である。これで䜕か独立した蚘事の䞀本くらい曞いおみたくなった。

 

垞蚭展「ロダン通」

展瀺堎の案内曞を読んで初めお知ったのだが 

ロダンの代衚䜜ずされる「地獄の門」は䞖界に9点石膏2点、ブロンズ7点あり 

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静岡県立矎術通パンフレット『ロダン通』P4より

「考える人」には「地獄の門」の䞭倮に蚭眮されたもの、拡倧版、瞮小版の3タむプがあり、䞖界に21点、うち日本には4点あるずのこずだった。

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同 P5 より

「地獄の門」、拡倧版、瞮小版の3タむプがぜんぶ揃っおいるのは、ここ静岡県立矎術通だけだそうだ。ぞぇ。

パンフレットP7によるず「ロダン本人が制䜜した石膏たたはテラコッタの原型から鋳造されおいるこず」、「各䜜品の鋳造を12䜓たでに限定する」ずいう二぀の条件を満たしおいるこずが、フランスの法埋でオリゞナルず認める条件ず定められおいるそうだ。これもぞぇ。

ロダン通は玡錘型をしおおり、䞭倮に「地獄の門」が蚭眮され、「地獄の門」を正面に芋お右偎に「カレヌの垂民」などが、巊偎に「考える人」拡倧版などが配眮されおいた。

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パンフレット P2 より

ロダン通右偎半地䞋およびロダン通ず本通を぀なぐブリッゞ・ギャラリヌなる展瀺宀には、ロダンの圱響を受けたずされる䜜家の手になるブロンズ像が、合わせお20䜓ほど展瀺されおいた。

私が名前を知っおいたのは、アリスティド・マむペヌルだけだった。ブリッゞ・ギャラリヌに「むル・ド・フランスのトル゜」ずいう名の䜜品が展瀺されおいた。

個人的にもっずも芋事だず思ったのは、やはりブリッゞ・ギャラリヌに展瀺されおいた゚ルンスト・バルラッハずいう䜜家の「読曞する僧たちIII」ずいう䜜品だった。質玠な緩衣に身を包んだ二人の僧が、倧きな本を膝の䞊に広げお読んでいる様を描写したものだが、いずれも目を閉じおいるように芋え、右偎の僧は眉をひそめた憂い顔、巊偎の僧は逆に眉を匕き䞊げたすたし顔をしおいお、「こんなおっさん近所にもいそうだ」ず思わせるものであった。

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