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岐阜県大垣市の金生山明星輪寺に参詣

5月4日付の拙記事「GWの京都・八坂神社と長楽寺は、つか京都はどこも、すさまじい人出だった(後編:長楽寺編)」は、久しぶりにスマートニュースさんに取り上げていただいたり「はてな」トップの「はてなブログ」に表示していただいたりしたため、たくさんの方にお読みいただきました。ありがとうございました。 

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同記事中に「隠れた名刹を自力で発見できるといいのだが」というようなことを書いた。それを試したというわけではないのだが、実家からほど近い(車で50分ほど)岐阜県大垣市にある金生山明星輪寺〔きんしょうざん みょうじょうりんじ〕に参詣してきた。

実態を書いてしまうと、身内が今年の正月に初詣の新聞広告でここを見つけ、興味を示したのだ。しかし山の上にあるため冬の間は何かとツラいんじゃないかということで、暖かくなるのを待ったのであった。身内は時々とんでもないところに連れて行けと言い出すこともあるが、GW最後の行事としてまあいいだろうと思った次第。

 

とは言うものの、カーナビを頼りにかなりの急斜面を上ることになった。途中経路に短いトンネルをくぐり、ループしてトンネルの上道を通ったなんて場所もあったぞ。

 

門柱。この手前に無料駐車場があった。ありがたい。

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上の写真の右側に、立派な五重の石塔があった。

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境内に向かう途中に、こんな看板が立っていた。

「鹿さんへ 花を食べないで下さい」て、シカは看板を読めるのか?

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右側の説明書きを接写。

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弊ブログ勝手に恒例文字起こし。改行位置変更しています。ルビが出てくる場合は省略します。以下同じ。

大垣市指定天然記念物
  金生山のヒメボタル
 ヒメボタルは本州・四国・九州に生息している陸生のホタルです。体長は四~六ミリ程度と小さく、フラッシュのように点滅するのが特徴です。
 金生山のヒメボタルは、金生山山頂の明星輪寺の境内地を中心に生息しています。これは岐阜県の天然記念物に指定されている金生山の陸貝や自然環境と密接な関係を有していることを表しており、非常に貴重な生息地です。
 かつては金生山の麓の藪の中でも見られましたが、現在は麓の藪がなくなり、山腹も削り取られて生息地域が限られてきています。岐阜県内では岐阜市や多治見市などでも生息が確認されていますが、大垣市内では現在のところ金生山のヒメボタル以外には生息は確認されていません。
 金生山のヒメボタルは、このように金生山の豊かな自然環境と密接に結びつき生息する貴重な生物です。
  大垣市教育委員会

 

左側の説明書き。

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岐阜県指定天然記念物
  金生山の陸貝と生息地
 陸貝とは、陸生の貝類のことであり、殻を作るために多くのカルシウムを必要とすることから、良質の石灰岩で形成されている金生山は日本屈指の生息地となっています。
 陸貝は非常に行動範囲が狭いため、その地域固有の種が群生し、金生山においても、クロダアツクチムシオイやオルサトギセルのような他所では発見されていないものを含め、ミカドギセル、イブキゴマガイなど約四十種類が確認されています。
  大垣市教育委員会

 

三枚上の写真の右奥に見えている山門と、説明書き。

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説明書き接写。

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 由 来
金生山明星輪寺(真言宗)
持統天皇の勅願により鎮護国家の道場として朱鳥元年(六八六年)役の小角の創立にかかり七堂伽藍を始め一山五坊を創建し本尊虚空蔵菩薩を安置す。その後衰退していたが空海(弘法大師)来山し諸堂を再建すこのとき恒武天皇は勅願を下し封戸三百石を寄進された。久安四年雷火の為に伽藍は残らず焼失したが時の住僧は八方に手を尽くし復興を図る。
その後慶長十四年美濃高須の城主徳永法印壽昌は本堂を初め諸堂を再建された。江戸時代に入って大垣藩主戸田家は代々祈願所と定め帰依し保護す、明治維新以降は新時代信仰の対象として広く一般参を迎え法灯を今日に伝えている。

行事
 一月一日~五日 初詣修正会
 一月十二日(終夜)~十三日初虚空蔵
 五月四日 永代経大般若
 十月第一日曜 永代経先祖供養

文化財
 地蔵菩薩半跏像一躰国重文
 如法経碑一面 県重文 算額一面 県重文
 梵鐘一囗 県重文 金剛力士二躰 県重文
 金生山陸貝と生息地 県天然記念物
 その他多数

 

山門正面の注意書き。

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県重文だという金剛力士。左側の吽形である。

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右側の阿形。

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 山門をくぐった正面にある、地蔵堂という建物。

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地蔵堂の手前にあった説明書き。

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接写。

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国指定重要文化財 木造地蔵半跏像
岐阜県指定重要文化財 石造如法経碑石
 この仏像は、檜材の寄木造で、平安時代の作と思われ、かつては彩色が施されていた。
 岩の上に蓮華座を重ねた四重座に腰をおろし右足を曲げ、左足を下げて蓮華を踏む姿は、地蔵菩薩としては極めて珍しい。穏和な顔つきをして左手に宝珠、右手に錫杖を持ち、薄い衣紋の中に腹帯を締める姿は、子安地蔵の特長で安産育児の菩薩としで崇敬されている。
 この碑石は、金生山産の石灰岩で造られており、碑石上部に大きく「如法経」、その下部に「久安・二二年」(1148)と二行に小さな文字が薬研彫りで刻まれている。久安・二二年とあるのは、四(死)を忌んだものと思われる。
 本来は、明星輪寺境内のいずれかにあった経塚の上に建てられていたと推測されている。
  大垣市教育委員会

 

地蔵堂内には、なぜか聖観音像が安置されていた。御前立だろうか? 木造地蔵半跏像の実物は見られなかった。

あとで検索したところ、木造地蔵半跏像の写真はこちらの「中日新聞プラス」の記事中に掲載されていたので、リンクを貼ります。拝観には事前予約が必要のようです。

chuplus.jp

 

地蔵堂の手前を右に折れ、本堂に向かう。

山腹の限られたスペースに、わりと多くの堂宇が建っていた。

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右にずっと進むと、眼下に大垣市街の広がる絶景が。

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建物の壁にかかっていた境内図。

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高いところに掲げられていたので、接写が難しかった。

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庫裏の手前の建物には、十三仏と言うんだっけ、不動明王、釈迦如来などの仏像がずらりと並んでいた。

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反対側(向かって左)には縁結び地蔵堂があった。「願いの叶った方は湯呑を持ち帰ってください」という看板が。こんなに残っているということは、叶わなかったの?

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本堂の手前に、案内板が2枚掲げられていた。

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左側の案内板。

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大垣市指定名勝
  金生山岩巣公園
 岩巣公園は、大自然の巧みな造形によるカルスト台地の縮小版として、無数の奇石・怪石が群立した自然岩公園です。
 古生代ペルム紀に造成された石灰岩層の露出面が、長期におよぶ自然風化の妙味を如実に物語っています。
 また、岩間にはクモノスシダやヒトリシズカをはじめ、ビワ、ハギ、桜、ナンテンなど、多くの草木類が密生し、濃尾平野の眺望に趣を添えています。
  大垣市教育委員会

 

かなり高いところまで上れそうだったが、同行者が足弱ということもあり上らなかった。

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右側、本堂手前の案内板。

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大垣市指定重要文化財
  明星輪寺本堂
 この本堂は、文久三年(一八六三)に大垣藩十代藩主戸田氏彬によって再建されたものであり、日本三大虚空蔵の一つである本尊の虚空蔵菩薩が安置されていることから「虚空蔵堂」とも呼ばれています。
 正面は入母屋造りで、唐破風の向拝がつけられ、背面は切妻で、本尊が祀られている岩窟を覆う屋根がつづいています。再建当時は茅葺きでありましたが、後に瓦に葺き替えられました。
 また、本堂の棟札には「慶長十四年(一六〇九)高須藩主徳永寿昌再建」、「明暦二年(一六五六)大垣藩主戸田氏信再建」と記されており、本堂再建の歴史を伺うことができます。
  大垣市教育委員会

 

本堂。

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 やや接写。ちょっと暗いけど内部に御前立の虚空蔵菩薩像が写っている 。

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御前立の明瞭な写真は、上掲の「中日新聞プラス」記事中に。

本堂内部には「蛇の頭」と札の掲げられた巨大な岩があった。本尊は岩窟の中にあるとのことだが、見られなかった。見せてもらえるのかどうかは、わからない。


本堂の反対側にあったレリーフ。

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レリーフの上あたりの木立ちの間から、濃尾平野を見下ろしてみた。

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イヌをつないでおく場所かな?

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帰途、目についたところを順不同で。大垣市は『奥の細道』むすびの地だからか、芭蕉の句碑が多い。

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 木立ちの間に大きな地蔵菩薩の石像があった。

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オオデマリかな? ちょうど満開だった。シカ食べるのかな?

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追記:

そうそう、このあたりはセメントの原料となる石灰石をものすごい勢いで露天掘りしているから、航空写真で見るとちょっとすごい。寺の周囲がまるで緑の孤島である。

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