しいたげられたしいたけ

道を間違えているのが明白なのに、「きっと他の道はもっと間違っている」と進み続けたら、どうなる?

「あいちトリエンナーレ2019」をありきたりの現代美術展として見に行った(その3:愛知芸文センター8F)

長いエスカレータで10Fから8Fへ移動した。愛知芸術文化センターの10Fはもともとは愛知県美術館で、8Fは愛知美術館ギャラリーなんだそうだ。どう違うのかは、よく知らない。9Fは吹き抜けだったはず。

 

パンフレット3P下半分をスキャンした画像を貼る。A18cとA19以降が8Fブースである。

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10F の「顔」がパンフレット表紙にもなっている A06「孤独のボキャブラリー」だとしたら、8F のそれは A19 "「tsurugi」「peak」" だろうか。

10今村 洋平(A19) | あいちトリエンナーレ2019

「シルクスクリーン」という版画の手法を用いて制作された作品の数々と、それを産み出した印刷機材が展示され、制作過程のビデオが上映されていた。

作品は1枚の紙に印刷されたものもあれば、10数cmもの厚みを持つものもあった。パンフレットによると後者は「1万回インクを刷って重ねると地形図のような造形が生まれる」とのこと。

「1万回!? すごい!」と思う一方で、これは「その2」で述べた「作品と虚心坦懐に向き合うべしというのは虚構」という考えの補強材料だなとも思った。もしそうなら制作過程や機材は展示されるべきではない。

 

ところであまり関係ないかもだが、トリエンナーレ会場では家族連れをよく見かけた。A19 ブースでは、学齢期前の幼児を伴った家族が2組ほどいたのだが、そのお子さんたちが制作過程のビデオの前で、何を興奮したのかぴょんぴょんと飛び跳ねていた。かわいい。

 

ガソリンを撒くと犯行予告をした奴を、絶対に許さない!

 

 A20 "《日常の演習》 《トゥモローランド》"

73袁廣鳴(ユェン・グァンミン)(A20) | あいちトリエンナーレ2019

かなり大きなサイズのスクリーンで上映される動画が2題。いずれもエンドレス。

「日常の演習」のほうは、巨大な都市の、高層ビルの狭間の片側4車線もある道路や、河川か運河か港湾のようなところをえんえんと空撮した映像。奇妙なことに、ずっと無人である。車も走っていない。

解説によると、ここは台北市で、1978年より続く「萬安演習」という防空演習なのだそうだ。

字幕やナレーションは一切ない。大都市の風景を眺めていること自体は快いことだが、政治や国際情勢へも自然と思いが向かう。

 

「トゥモローランド」は、ミニチュアの遊園地が爆破されるスローモーションが、順送りと逆回しでリピートされる映像。観覧車、メリーゴーラウンド、シンデレラ城のような城。

こちらは政治性は直接的には感じられないが、不安をかき立てる点では「日常の演習」と似ているかも。いや、不安というのは違うかもしれない。破壊という行為は面白いのだ。

 

A21「チャイルド・ソルジャー」

55パク・チャンキョン(A21) | あいちトリエンナーレ2019

写真展のブース。北朝鮮(?) を思わせる軍服に身を包んだ少年兵の、山林での生活の様子を写した写真。ただし銃を構えている構図はなく、銃が一緒に写っているものすら数えるほどしかなかった。生きていくことこそが第一だったと示したかったのだろうか?

 

ここで  keroyon(id:zaihamizunogotoshi)さんからのDMに気づき、同じフロアにいることを知った。しかし電波状態が不安定だったため、合流にやたらと手間取ってしまった。お待たせしてすみませんでした。

それから A23 「表現の不自由展・その後」のブースに入るべく、長い行列に並んだ。keroyon さんはすでに一度ご覧になった直後だったのに、同行していただきました。こちらもすみませんでした。つかありがとうございます。

61表現の不自由展・その後(A23) | あいちトリエンナーレ2019

開場は午後6時までだったが、「表現の不自由展・その後」に関しては4時半で入場打ち切りとのアナウンスが繰り返し流れていた。後日の朝日新聞の記事によると、閉場直前には400人ほど(!) が列に並んでいたとのことだった。

 

内容については、今回の展示でこれほど多方面から言及されているブースはない。

一件だけ、ホッテントリになった あままこ(id:amamako)さんの記事へのリンクを貼らせていただきます。なお同記事のブックマークによると、あままこ さんの Facebook に友達申請すると、クローズドな場で写真を見られるとのことでした。申請したところ承認いただきました。ありがとうございます。

amamako.hateblo.jp

 

私自身のレビューをきちんと書こうとすると、それだけで1つのエントリーになりそうなので、今回は手短に。

「表現の不自由展・その後」と他のブースを比較すると、違いは他の多くのブースでは一人の作家が一つのブースを占有しているのに比べこちらはオムニバスであることくらいで、それ以外に本質的な違いはないな、というのが率直な感想だった。

 

よく聞こえてくる批判として、「表現の不自由展・その後」が稚拙で芸術に値しないと言うなら、他の多くの現代美術も稚拙で芸術に値しないであろう。

 

「表現の不自由展・その後」が芸術に政治を持ち込んでいるというなら、あからさまに政治をテーマとしたブースは他にもいくつもあった。

 

公金を使うのがいけないというのであれば、あいちトリエンナーレが存在しないどころか、愛知芸文センター自体が更地になってしまう。あいちトリエンナーレに投入された予算のほとんどはイベントを成立させるために使われ、ほぼすべての作家は持ち出しであろう。

もし公金投入を口実に選別と排除が行われるのであれば、それはまさしく検閲というものである。

 

 短く言えば「見てない人、わかっていない人ばかりが批判していないか?」ということである。

 ちょうど今しがたホッテントリ入りしていた記事へのリンクを。現実は想像のさらに斜め下だった。トリエンナーレは3年に一度の開催である。念のため。

buzzap.jp

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それから見たところは、A27「歩行者」。

57ハビエル・テジェス(A27) | あいちトリエンナーレ2019

混乱が続くベネズエラから脱出した難民へのインタビューをまとめたビデオである。

政治的云々を言うなら、前述の「あからさまに政治をテーマとした作品」の一つだろうし、ベネズエラ政府から見たらまさしく反政府であろう。

内容については keroyon さんのエントリーが詳しいので、弊ブログにリンクを貼るのは2度目ですが紹介させていただきます。

www.zaihamizunogotoshi.com

keroyon さんとはここまで一緒で、鑑賞後にお別れし別行動となりました。ありがとうございました。お疲れ様でした。また機会があれば。

 

A30「テート・モダン・ヒュンダイ・コミッション」

44タニア・ブルゲラ(A30) | あいちトリエンナーレ2019

何重かの透明なビニルカーテンで仕切られた、白い壁だけが目に入るほとんど何もない展示室だった。ただし内部の空気には、かなりきついメンソールの臭いが充満されていた。目や鼻の粘膜に刺激を感じ、息苦しい。

入室する直前に、観客の手にナンバーのスタンプが押される。スタッフによると「これも企画の一部です」とのことで、断ることもできる。

私は押してもらった。

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あとで洗ったら簡単に落ちるものだった。

作品解説によるとこの数字は、2019年に国外へ無事に脱出した難民と、国外脱出が果たせずに亡くなった難民の合計人数だそうだ。

手の甲にスタンプが押されることと、メンソールの息苦しさや目の痛みを手がかりに、難民の苦しみを共感しろというのだろうか? わからなくもない。しかしそれだけの苦痛で、難民の苦痛を共感したことになるのだろうか…?

 

それはさておき、このブースも「政治をテーマとした作品」の一つであろう。難民を送り出した国にしてみれば、それぞれの国にとって反政府的な作品であろう。

ほとんど何もなくてメンソールだけが満たされた部屋が芸術に値するのかともし誰かから問われたら、少なくとも議論は発生するだろう。

公金を投入する価値があるかと問われたら、やはり議論の余地はあると言うしかない。しかしここでも言えることは、作家にとっては確実に持ち出しであろうということだ。

それでも私としては、もし批判するものが現れたら、現代美術というものはそういうものだと擁護の側に立つしかないと考える。

念のために書いておきますが、この A30「テート・モダン・ヒュンダイ・コミッション」そのものを擁護しているんじゃないですよ。 A23 「表現の不自由展・その後」を擁護しているんですよ。

 

この日、最後に見たのが A33 「キャンディス・ブレイツ」だった。終了時刻の午後6時までいた。

21キャンディス・ブレイツ(A33) | あいちトリエンナーレ2019

映像作品である。男女二人が、難民として祖国を脱出した経験を語っている。作品解説によると男女はプロの俳優で、彼らが語っているのは実際の難民たちの体験談だそうだ。難民たちは、脱出した国も目指した目的地のバラバラである。

ここも

  • 政治をテーマとした作品である
  • これが芸術かと問われれば議論が生じる可能性はある
  • 公金を投入することに反対する人もいるだろう

の三箇条が当てはまりそうだ。

お得意の天丼である。もし批判する者が現れたら、私は擁護する側に立つしかない。

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