しいたげられたしいたけ

空気を読まない 他人に空気を読むことを求めない

こんなご時世でも花は咲くので花を見てきた(その3:木曽長良背割堤の桜並木)

「その1」「その2」は身内と同行したが、今回は単独行である。

木曽三川公園センターとの往還に、長良川西岸の堤防道路を使った。そこから対岸の桜並木がよく見えた。あそこにも行ってみようかと提案したが、身内は乗ってこなかった。

それで翌日、アパートに帰宅するときに方角が同じなので寄り道してみた。むか~し来たことはあったがブログに書いたことはないから、ネタにしようという不純な動機である。

木曽川の河川敷に、無料駐車場といくつかの案内プレートがあった。

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上の写真の左側の案内プレートを接写。

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右側。

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文字が小さくなってほとんど読めないが、右のほうに赤地に白抜き文字で「桜堤サブセンター」とあるあたりが現在位置である。

真ん中あたりの赤地に白抜き文字は「木曽長良背割堤」と書いてある。地図に描かれている川は、下から木曽川、長良川、左端のほうにちょっとだけ描かれているのが揖斐川で、長良川と揖斐川が合流すれすれになるあたりに木曽三川センター公園がある。

これら三河川は、合流しそうだが河口まで合流しない。人工的に分流したのだ。

 

イベント中止の大きな看板も出ていた。

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これらの左側に、かなり広い駐車スペースがあった。無料だった。でもガラガラ。

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駐車場を背に、堤防に上る階段と案内の看板。

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階段を上りきったあたり。車両通行禁止になっていた。

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上の写真の反対側に三川分流碑があった。

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説明書き。上の写真の左に見切れたあたりにある。

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文字起こし。ルビ省略しています。改行位置変更しています。

木曽川下流改修(明治改修)
 木曽川下流改修(明治改修ともいう。)は、木曽、長良、揖斐の三川下流部を対象に、(1)洪水の被害を防止する、(2)舟航の便を図る、(3)悪水の改良を行うことを主な目的として、明治二十(一八八七)年から同四十五(一九一二)年までの二十五年間に行われた。
 往時、木曽、長良、揖斐の三川は支派川を通じて互いに連絡していたため、「四刻八刻十二刻」と称される三川の出水時差の影響もあって、下流部は水害を重ねて受けていた。このため地区内の雨水やかんがい排水など悪水の排除も悪く、元来低湿地に多く存在する輪中は、水腐れの害を受け、その害も甚大であった。
 薩摩義士で有名な「宝暦治水」は、宝暦四(一七五四)年から二ヶ年にわたって行われたが、この工事によってこの種の被害は緩和されたもののなお抜本的なものでなく、やはり毎年のように洪水に苦しめられていた。
 このため、明治政府はオランダ人技師デ・レーケ氏を招聘し、木曽川下流改修計画を樹て改修工事に着手した。この改修工事は、いわゆる「三川分流工事」と称されるもので、洪水防御のためにも、また悪水の疎通を図るためにも三川を分流して高水、低水時ともに、互いの水位差による影響を断つのが得策であるとして、行われたものである。木曽川下流改修計画の主な内容は、①新川開削、派川および油島洗堰の締切りによる三川の完全分流、②舟運の便を図るための船頭平閘門の設置、③低水路を固定するための長大水制(ケレップル水制)の設置、④内水位低下を図るための牧田川、津屋川の揖斐川合流点引下げ、⑤河口部の導流堤設置等である。
 なお、この三川分流工事竣功を記念して、木曽川と長良川の背割堤上流端に「木曽三川分流碑」が大正十二年に建てられている。
  国土交通省

明治改修は地元の社会科の授業では必ず取り上げられるが、薩摩義士で有名な宝暦治水に比べると知名度はやや低いような気がする。全国的な知名度は、どんなものだろう? 明治に入ってからとはいえ、重機がなかったことでは江戸期と大差なかったはずで、四半世紀をかけてこれだけの巨大工事を完遂したことに対しては、感謝と称賛以外の感情を持ちえない。 

ただし三川分流が完了したからと言ってそれで終わりではなく、水位や流量の監視などの管理業務、そして改修は、現在進行形で行われている。

 

今回の「その1」~「その3」に隠れた共通テーマがあるとしたら、この三川分流工事だったかも知れない。「その1」で訪れた堤防のある大榑川は、この説明書きには名前こそ出てこないが「木曽三川分流計画図」中に下流で合流する中江川とともに河道が緑色でくっきりと描かれている。「その2」の木曽三川センターには、現役の管理棟があり、「輪中の農家(住居倉庫式水屋)」という建物がある。また「治水神社」というのが隣接している。

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断面が凸字状をした堤防の、一段低くなったところが遊歩道のようになっていて、桜並木が鑑賞できる。堤防 - Wikipedia 中の図解によると「小段」と言うらしい。なお同じページによると、堤防道路がある部分は「天端〔てんぱ〕」と言うそうだ。

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堤防 - Wikipedia より

 

桜並木を抜けたところを、振り向きざまに撮ってみた。

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写真からはよくわからないかもだが、とにかく木がどれもデカい。

堤防自体がとても大きいせいだろうか?「小段」も一段じゃなく、写真に見えるように何段もある。

比較するもんじゃないけど、「その1」の大榑川は、堤防も小さければ木も小さかった。

若者を大きく成長させたかったら、東京とか大都会に出したほうがいいのかなと、ずっと田舎で人生を送ってきた私なんかは思ったりする。新型コロナは怖いけど。

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接写。すでに盛り過ぎ気味なのか、葉っぱが芽を吹き始めている。

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 マップに物差しをあてると、三川分流碑から下流の立田大橋というところまで、約11kmに渡って堤防が続いていた。その全体にサクラが植えられているかどうかはわからないが、相当な規模であることは確かだ。

(あとで検索したところ、木曽川長良川背割堤の桜 | 海津市 によると植えられているのは約2kmに250本とのことだった)

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土手のタンポポも撮ってみた。

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菜の花と競い咲きしているところもあった。

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菜の花。

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なにやら古い河川設備があった。北から南に歩きつつ、光線の都合で振り向きながら撮ってます。

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このあたりでギブアップして引き返す。小段から天端へ上りつつサクラの枝を接写。

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天端の堤防道路から撮った長良川の川面と対岸の堤防。

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堤防道路はきれいに舗装されているが、前述の通り通行止めされているので車通りはない。ごくたまにロングライドの自転車が通りかかった。

北に向かって引き返していると、右側の木曽川にも設備があった。

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看板が立っていた。

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こちらから見て正面(右側)に

「木曽川水系 木曽川 国土交通省 木曽成戸 流量水位観測所」

と、側面(左側)に

「→河口まで24.4km 明治8年設置 中部地方整備局 木曽川下流河川事務所」

と書いてあった。

さすがに明治8年(西暦1875年)の設備オリジナルってことはなく、何代か代替わりしているだろうとは思うが。

 

もう少し引き返すと、5枚上に貼った写真の設備の看板があった。

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向かって右の面に

「←河口まで25.4km 明治33年設置 中部地方整備局 木曽川下流河川事務所」

と、左の面に

「木曽川水系 長良川 国土交通省 長良成戸 流量水位観測所」

と書いてあった。

 

巨大な堤防を眺め、何百年にもわたって建設と維持に費やされてきた巨額の労力と費用に思いを巡らせながら、ついいらぬ妄想に耽ってしまう。

例えばこの堤防と平時の水位を眺めて「これほど大きな堤防は無駄である。削ってしまえ!」あるいはもう少しもっともらしく「堤防の高さを7割にすればコストは0.7×0.7で半分以下に抑えらえる」などと主張する為政者が現れたら、有権者はどう判断すればいいだろう?

毎年のように各地が水害に見舞われている昨今、この架空の為政者の言舌に怪しさを感じない人は少ないだろう。

またしても新型コロナウイルスに関する話題だが、医療崩壊の危機が叫ばれる中、20年ほど前から日本の保健所の総数が一時期の約3分の2まで削減されたこと、また大阪などで統廃合や組織改編によってに公立病院のキャパシティが大幅に低下させられたことなどが、ネットでしばしば話題になっている。少なくとも私の観測範囲では。

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全国保健所長会|保健所設置数・推移 より

www.jcp.or.jp

 

この騒動のさなかに、病床削減が依然進行中という報道もあった。

www.nikkan-gendai.com

 

人類の歴史を遡ると、河川の増水と同様、パンデミックも繰り返し襲ってくることが記録されている。

「事後諸葛亮」というやつだが、パンデミック発生時に堤防決壊を招かない適切な余力はどれほどのものか、あるいは万一堤防が決壊したときの「プランB」にはどんなものがありうるか等々、せめて今回の新型コロナウイルスが収束してからでも、改めて考えていかなければならない必要性を感じた。そのためにはどうしたらいいか、素人の悲しさでとっかかりが掴めないが。

少なくとも治水に過去の水位や流量の記録が必須のように、今回の新型コロナウイルスに関しても正確なデータを残しておくことは最低限必要であろう。しかるに「データが適切に取得されていない(検査が限定的にしか行われていない)」「データが残っていない」というニュースがしばしば流れることに対しては、本気で「それはおかしい!」と言うべきだと考えるのだが、いかがなものだろうか?

 

通行止めのところまで戻ってきた。駐車場はこの写真の右に見切れているあたりの堤防下にある。

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