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本当のことを言った大臣を左遷した古代中国の皇帝・隋の煬帝

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中国古代史のエピソードに似たことがあったような、うろ覚えの記憶があった。秦の胡亥か隋の煬帝じゃなかったかなと思って、手持ちの本をちょっと調べてみた。

隋の煬帝のほうだった。

隋の煬帝 (中公文庫BIBLIO)

隋の煬帝 (中公文庫BIBLIO)

  • 作者:宮崎 市定
  • 発売日: 2003/03/01
  • メディア: 文庫
 

時代背景として、隋王朝末期は、大運河建設など大掛かりな公共事業による国内の疲弊と、不満を外に向けさせるために企てた高句麗遠征の失敗により、中国全土で反乱が相次いでいた。

 臆病な人間はまた猜疑心の強いものである。朝廷の大臣や大将を、ほとんど消耗品のように考え、古いものを棄てては新しいものに取りかえてきた煬帝には、ほんとうに信頼できる大臣というものがなかった。このころには、ただひとり残った宇文述ぐらいが相談の相手になっていた。煬帝は地方の反乱のことは、聞くのは怖いが、また聞かずにはおれぬほど心中では怖かった。宇文述に向って、いつも、

「近ごろ盗賊はどのような状態か。」
と聞くと、宇文述はきまって、
「ご心配には及びません。だんだん少なくなってまいりました。」
と答える。その答を聞いて、やや安心するのであった。蘇威という大臣は元来、内股膏薬で節操のないことが評判の男であるが、さすがにたまりかねて口を挾んだ。
「だんだん少なくなりましたが、困ったことにだんだん近くへやってきました。」
煬帝は顔色をかえて、それはどういう意味かとなじると、蘇威は、
「昔は賊が盛んだったとき、泰山の向う側あたりで騒いでいたと聞きましたが、近ごろは、すぐそばの黄河の対岸まで賊の住み家になりました。このごろ地方官からの報告はいつわりが多くて信用できません。」
と答えた。煬帝はほんとうのことが知りたいくせに、ほんとうのことを言われると機嫌を悪くし、それ以上のことを聞かなかった。煬帝の左右には追従ものの大臣が多い。
「蘇威という男ははなはだ不届きであります。いったい、天下にどうしてそんなにたくさんの盗賊が起こるはずがありましょうか。これは天子に対する不敬罪になります。」
と焚きつけると、煬帝は、
「彼奴はそういって朕を威嚇して自分の意見に無理に従わせようとしたのだ。その腹の中はちゃんと見えすいている。朕はよっぽど彼奴の横頬を殴ってやろうと思ったが、年寄りに免じて我慢したのだ。」
とは答えたが、陰で蘇威の落度を探させ、裁判にかけて、本人と子と孫と三代の官爵を剥奪して平民の地位に落した。

 上掲書P189~190より。ルビ省略しました。改行位置変更しました。

 

その後の皇帝と隋王朝の運命は周知だと思うが、念のためウィキペへのリンクを貼る。ちなみに手を下した宇文化及、智及兄弟は、引用中に名前の出た宇文述の子である。

ja.wikipedia.org

追記:

いよいよ事態がのっぴきならなくなった煬帝は、都を捨て南方の江都(揚州)への避難を試みる。
それを諫めた家臣は、もはや左遷ではすまなかったそうだ。

 真先に揚帝を諌めたのが、近衛軍の大将の趙才というものだった。
「ただ今は人民は疲弊のどん底にありますし、朝廷の財政は赤字つづきです。盗賊は各地に蜂起して、政令は地方に及びません。こういう時には早く国都の長安に帰って、人民を安堵させて下さい。江都へ行幸なさるなどはもってのほかです。」
と言ったので、煬帝は怒って趙才を裁判にかけさせたが、十日ほどたつと機嫌を直して、赦免してやった。しかし次に、ずっと下級の官吏で任宗という者が上書して諫めたときには、その言葉が激越だったせいか、即日百官の並んでいる前へ引き出して杖殺した。
 つづいて崔民象というものが上表したときには、その口を切りさいたあとで斬罪に処した。

上掲書P192より。

 

あと最新のニュースへのリンクも追加しておこう。

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