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幸先詣(さいさきもうで:初詣を前倒しし年末に参拝すること)は近所のありふれた神社で済ませた

google:幸先詣〔さいさきもうで〕という新語があるそうだ。初詣を前倒しして、年末のうちに神社仏閣に参拝を済ませることらしい。

なるほど合理的だとは思う。大都市圏の有名社寺の初詣はメッチャ混むのだ。屋外だから三密ってことはないだろうが、それでもノーリスクではあるまい。

ケンタの売上はクリスマス期間だけで年間の約5%、チョコの売上はバレンタインデー1日で年間の10%以上と言われるが、想像するに初詣による賽銭収入もそんなものだろう。もともと初詣という習慣は、明治期の私鉄各社によるキャンペーンの結果定着したものだそうで、いわゆる「新しい伝統」の一つだそうだ。幸先詣も、それから確認のために検索したら「分散参拝」なんて語もヒットしたが、これらには確実に仕掛け人がいるのだろうと思う。

 

分散参拝といえば、こんなニュースがあった。市民に分散初詣(分散参拝)を呼びかけながら、自分は堂々と初詣をすると宣言した某200万都市バカ市長の件である。

mainichi.jp

 

こいつの周辺からは、年末に入ってまたぞろ芳しくないニュースが次々と報道されている観がある。もともと碌でもない奴だと思っているが、これとか…

this.kiji.is

あまりに胸糞悪いからリンクは貼らないけど、リコール共同首謀者であった高須克弥医師の、この件に対するツイートがまたとんでもなくて「はてな」でもホッテントリ入りしたりしている。よく高須クリニックなんかで自分の体にメスを入れる気になるもんだ。

 

いかんいかん、縁起もののエントリーなのに腹の立つ話をしてしまった。リコール騒動に関しては、あとで独立したエントリーを起こすかも知れない。

 

とは言えあくまで私の場合だが、ときどき勝手にやる代参を除けば、あんまり自分のご利益を祈ったことはないなぁ……主観的には「ご挨拶」というのが近いと考えている。やや大げさになるが、ともすれば頭をもたげる驕り、思い上がりを鎮めようとすること、自分が生きる上でいかに多くのものを必要としまたそれらを実際に受け取っているか、かりにそれらに対して自分が報じられるものがあったとしてもそれがいかに僅かであるかを自覚すること、そして感謝すること、それが祈りなんじゃないかと思う。

 

うむ、文字にしてみるとやっぱり大げさだった。特別なルールを自分に課さない限り、お参りほど楽なことはない。

在宅仕事はごっそり持ち帰っているが、勤め先での年内の仕事は昨日で終わった。拙宅アパートの掃除をざっと済ませ、不用品を近所のリサイクル業者の事業所に持って行き、そのついでに市内の神社を3社ほど回ってきた。

 

たぶん拙宅からいちばん近い坂部神明社。

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新年の準備はまだ始まってないようだった。ポスターが古いままだった。余計なお世話かな?

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高鴨八幡宮。

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年越しのテントや焚き火の準備が進められていた。ブルーシートの下は、ちらりと見えたところによると薪である。

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そして拝殿前には立派な門松が設置されていた。

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こういう様子を見ると、神社はやっぱり元旦だなという気がする。

いっぽうでご近所とはいえ氏子ならぬ身としては疎外感を感じないでもないが、田舎の実家を想像すると、高齢者が同調圧力だかやりがい詐欺だかによって氏神の神事祭礼に動員されている事情も見当つくわけで、積極的にかかわりに行きたいようにも思えない。

こういうのも一種の「ヤマアラシのジレンマ」だろうか?

 

八劔社。「初詣」の幟がいくつもはためいていた!

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ただし目を引いたのは幟だけで、その他の正月準備はこれからなのか、それともこれで終わりなのかはわからない。

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