しいたげられたしいたけ

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一部意外と早く出た分散初詣の答え合わせと「DNAに組み込まれた初詣」とは?

前回の拙エントリーに「初詣の参拝者数は三が日が終わるか松が明けるかの頃に、各社から報道されるだろう」と書いたが、1月3日付朝日新聞朝刊に早くも元日の速報値が掲載されていた。

digital.asahi.com

 

名古屋本社版には熱田神宮のレポートも載っていたが、ローカルニュースだからか上掲の朝日新聞デジタルの記事中には見られなかった。

紙面をスキャンして貼ります。怒られたら消します。

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朝日新聞名古屋本社版2021年1月3日朝刊24面

左下の表は要ログイン部に掲載されているものと同じである。初詣は主要神社5社とサンプル数が少ないが、去年に比べて69~75%減というのは激減と表現してよさそうだ。

熱田神宮が他の神社に比べて5~6%多いのは、誤差の範囲であろうがご愛敬とも言えよう、市長への皮肉を込めて(しつこいね俺も

報道や論評は、これからも続々出てくるだろう。

 

ところで前回の拙記事には多くのアクセスとコメントやブックマークコメントをいただき感謝しています。ありがとうございました。

「そうまでして初詣に行きたいか」という意味のコメントが、自省、批判どちらもいつか目についた。

自分自身のことを振り返ると、いつどこでも祈ることはできるとはいえ、よく書いているように浄土教の教義に照らすと「南無阿弥陀仏と唱えるところ、いつどこでもそこが仏前」とはいえ、キリスト教でもイスラム教でも多分どの宗教でも「祈りは時と場所を選ばない」と言われているであろうとはいえ、やはり「お参りには行きたい」と言わざるを得ない。

何人かの人にリプした内容の再掲だが、なんでお参りに行きたいかと振り返ると、参道の飲食店や露店であるとか、受験の必勝祈願とか、幼少期以来の記憶がえんえんと蘇るのだ。

「これがDNAに刻まれるというやつかも」とも書いたが、よく考えるとDNAは先天的なものであり記憶は後天的なものだから、この比喩は明らかにおかしい。

だけど他の人がDNAを比喩に使っているのを何度も見たから、使いたくなるのは私だけじゃないのだろう。

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ちょっとだけ思い出語りをしたくなった。私の場合、初詣と分かちがたく結びついている神社は千代保稲荷、通称「おちょぼさん」である。

www.watto.nagoya

実家から車で30分くらいのところにあり、亡くなった父親が商売をしていたものだから、商売繁盛の神様ということで初詣というと必ずここに連れて行ってもらっていた。

おちょぼさんというのは今にして思うと、いや昔から感じていたのだが、かなり特殊な神社で、どう特殊かというと田んぼのほか何もないところに何十件もの飲食店や土産物店が軒を連ねる門前町がこつぜんと姿を現すのである。もっと賑やかな門前町を持つ神社はあるが、たいてい大きな都市の中にある。似たようなところは、なかなか思いつかない。

 

幼い時からずっとここに連れて行ってもらっていて、甘栗や大判焼きなども買ってもらって、もちろん楽しかったが、繰り返し同じところばかり行っていると、だんだん飽きてつまらなくなってくる。

かなり早い時期から、たぶん小学生頃には「もっと楽しいところが、どこか他にあるにちがいない」と夢想するようになった。

大げさに言うと、それは「将来の人生に対する期待」みたいなものじゃなかったかと思う。

 

それから成長して、神社に限っても熱田神宮とか(なんだかしつこいな)伊勢神宮とか、神社じゃないけど大須観音とか豊川稲荷とか、門前町だけを比較するともっと賑やかなところをいくらでも知るようになった。

これは社寺参拝に限るべきではなく、年少時のさまざまな「将来に対する期待」と、ある程度人生経験を経てからのそれらに対する振り返りが、ほの甘の追憶と激苦の後悔をまじえて合わせ鏡の多重像のように自動再生されるのである。

「なんだこんなものだったのか」と思う一方、詳細を思い返して「いや、それでも素晴らしいことはいっぱいあった!」と自分自身に反論したり、「まだ終わってないぞ、今からでもすべての山に登り、すべての道を探り、すべての川を渡るのだ!」と自らを励ましてみたり…

 

おっと、書き始める前は全く予想していなかったが、ここでも「答え合わせ」という言葉が使えてしまうではないか!

だがなんとなく安っぽく感じられてしまうので、使いたくないな。

 

こういう感想は、思い返していると普遍性がありそうに感じるのだが、もちろん人によって考えることはさまざまだと思う。

唐突だけど思いついたんで書いてしまえ。去年の年末ギリギリに日雇いバイトに行ったときの話である。

休憩時間に、初対面の年のやや行った(と言っても私より若かった)バイトさんと雑談したとき、なんとなく禁煙の話になった。

私は成功するにはしたが、禁煙を試みるたびに「これでもうタバコは一生吸えなくなるんだ」という喪失感と戦うのがキツかったと話した。

そうしたら相手は、同調してくれるかと期待したら思いもかけないことを言った。

「私は『これでもう喫煙場所を探さなくてもよくなった』と思ってホッとしました」

ええっ、私はそういう感想はビタ一文も湧かなかったけど、そういうものなの? ヘヘ;゚Д゚)

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