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ツイッタータグ「#乙女語」をめぐる愚考

太宰治『人間失格』に、次のようなくだりがある。

自分たちはその時、喜劇名詞、悲劇名詞の当てっこをはじめました。これは、自分の発明した遊戯で、名詞には、すべて男性名詞、女性名詞、中性名詞などの別があるけれども、それと同時に、喜劇名詞、悲劇名詞の区別があって然るべきだ、たとえば、汽船と汽車はいずれも悲劇名詞で、市電とバスは、いずれも喜劇名詞、なぜそうなのか、それのわからぬ者は芸術を談ずるに足らん、喜劇に一個でも悲劇名詞をさしはさんでいる劇作家は、既にそれだけで落第、悲劇の場合もまた然り、といったようなわけなのでした。

太宰治 人間失格 青空文庫

以下、主人公と堀木という登場人物の対話が続く。頭からナンセンスと切り捨ててしまうことも可能だが、彼らの言うことがなんとなく感覚的にわかるような気がするのが不思議でもある。

中間のない厳密な二分は不可能だろうし、また喜劇にしろ悲劇にしろ本当にこのようなポリシーを守った脚本が書き上げられたことは多分ないと思うが。

いや英語圏には『ギャズビー - Wikipedia』のようなとんでもねー小説があると言うし、太宰ほど後世に影響を与えた作家はいないから、ひょっとしてヘンなことをやってのけた劇作家の一人や二人はいるかも知れない。

 

よけいなトリビアだが、物語を喜劇と悲劇に二分するというのは、古代ギリシャ以来の西洋文化では広く行われていたらしい。そういう二分法が無意味であるとする論もまた、ほとんど同時進行的に行われていたらしく、久保勉訳プラトン『饗宴』岩波文庫版の約者による「序説」には、『饗宴』自体を喜劇とし、プラトンがソクラテス臨終の場面を描く『ファイドン』(パイドン)も著したことによって

かくてプラトンは自ら実行によって同一人が悲劇〔トラゴーデイヤ〕とともに喜劇〔コーモーデイヤ〕をも作り得ることを見事に証示したのである。

とした文章がある(P36)。 

 

以上、無駄に長い前置きで、以下が本題。

FFさんでもある「はてなブロガー」雨子(id:poolame)さんから、たいへん興味深いハッシュタグをご紹介いただいた。ツイート引用失礼します。

この説得力に驚いてしまった。わかる。でもなんでわかるんだ??

 

さすがに「いちご水」の出典が『赤毛のアン』であることはすぐ思い出せたが、原文では "raspberry cordial" であることは検索して初めて知った。このツイートに続くスレッドでは、それを当然のように踏まえたリプが交わされていた。  

 

ハッシュタグ「#乙女語」を検索してたどると、「乙女語」の定義は「乙女っぽい言葉」という程度であり、具体例として…

マホガニー
ローブデコルテ
いちご水
パフスリーブ
砂糖漬け
キャンディス・ホワイト・アードレー

などなど。

が示してあった。最後のものは「単に響きが乙女っぽいってだけ」とのことで、それでもOKだそうだ。

 

ただし引用ツイートに登場する「乙女語収集家」さんの判定がきわめてシビアらしく

とのことであった (^_^;

 

こういう、なんとなくわかる、だけど言語化は極めて難しい、そして100%正解することはほぼ不可能、という問い立てって、惹かれるものがありませんか?

私は好きだなぁ。当方汚いジジィだけど (^_^;

 

やはりツイッター界から拾うと、他に

ボンボニエール

ショコラティエール

サナトリウム

リリアン

等々…

ただし「ショコラティエール」に関しては、「ショコラティエだと、若干乙女度が低いので乙女語として認定されることは難しいのではないか」との注釈がついていた。

うーん、やっぱりわからん (^_^;

 

 日付変わって今日(6/18)のこと、雨子 さんの次のツイートを拝見したとき、言語化というか定式化というかのヒントのようなものを掴んだ…ような気がした。

 

次のようなリプをつけさせていただいた。

 

定義と言うなら、ここで用いた「消費」という言葉も再定義せねばならぬかも知れない。ネットでは陳腐なほどよく見かける言い回しではあるが。

思い返すと大塚秀志氏の『物語消費論』(初版1989年)あたりがきっかけで流通するようになった語義ではなかったかと思うが、ウィキペにある短い要約を見ると…

ビックリマンシールやシルバニアファミリーなどの商品を例に挙げ、それらは商品そのものが消費されるのではなく、それを通じて背後にある「大きな物語」(世界観や設定に相当するもの)が消費されているのだと指摘し、主に1980年代にみられるこういった消費形態を物語消費と呼んだ。

物語消費論 - Wikipedia より

とのことで、意味にズレがあるようだ。

 

念のために書くが、「女性*が*消費する」と「女性*を*消費する」は対等ではないし、なにごとかに対し「どっちもどっち」を成立させるものでもない。

 

ここで引き合いに出すのが適切かどうかはわからないが、時事ネタより。

演習問題的に「配偶者を都合よく利用する」=「配偶者を*消費*する」という言い換えを行うと、平井 氏らの弁明が弁明になっておらずかえって受け手のフラストレーションを高めることがありうることと、この手の弁明を行う人たちがそうした心理作用に決して気づいていなさそうなことが図解できるのではなかろうか?

 

閑話休題。ただしその後のツイートを拝見すると、私の分析の射程は思ったほど長くはないようだった。

これはわかるかもだが… 

 

これはわからない (´Д`;;

 

ハッシュタグはご自由にとのことだったが、ブログに書くのはいいですかと尋ねたところOKとのことでしたので、拙いながらエントリーに仕立てました。

追記:

こういうときは自分でもやってみるのを忘れていた。
じじいだが考えてみる。

ローブデコルテ

コサージュ

ボーンチャイナ

ビスクドール

あとスイーツ系はなんとなく新しくなきゃいけない気がしたが、今は何だろう? えーっと、えーっと
クロッフル?

 

…とツイートしたところ、乙女語収集家さんは「いい線行ってる。コサージュだけちょっと弱いかな」とおっしゃっているとのコメントを頂きました。

 

わかる。コサージュ弱い、それなんとなく自分でも感じました。
あとローブデコルテもやや弱いんじゃないかと。

追記の追記:

今気づいた! ローブデコルテ例示で既出やんけ! 弱いどころじゃない。失礼しました。

追記の追記おわり 

 

逆に自信があったのが、特にクロッフルがというわけじゃなく「スイーツは新しい方がいい」という考え方で、この部分には収集家さんからの言及はありませんでしたが別の方から「マリトッツォかな~?」というリプをいただきました。

そう、それ!

 

でも、なんでだ?
なんでわかるんだ??(振り出しに戻る

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