自分の文章のヘタクソさ加減に、いつもイライラしている。
エントリーを一つ書き上げると、自分で書いておいて気に入らない箇所が何箇所も出てくる。かといって書き直せば書き直すほどよけいにヘタクソになるような気がして、「意味が伝わればいい」と開き直ることの繰り返しである。読んでくださる方に本当に意味が誤解なく伝わっているか、それはそれで検証の要ありだが。
自ブログで完結していればまだいいが、よせばいいのにブックマークコメントやツイッターのリプで他人に絡みに行きたがる傾向がある。他人を巻き込んだとき「どうすればよかったのだろう?」と内心頭を掻きむしりたくなることが、しばしばである。
そんな話を二題。
「私はあんずはデザートです」
雨子(id:poolame)さんのこちらのエントリーへの拙ブコメです。言及失礼します。
コロナ禍で旅行ができないせめてもの慰めに自宅で駅弁を楽しもうという記事でしたが、崎陽軒のシウマイ弁当に関してこんな問いかけをなさっていました。
みなさん、崎陽軒の焼売弁当、召し上がりまして? そして、その場合、あんずはいつ召し上がりますの? ざべすは「前菜」という扱いで最初にいただきます。
応答のつもりで次のようなブコメを投入しようとしたところ…
おうちで旅行するざべす - プール雨
私はあんずはデザートです。
2021/08/22 08:34
なんだこの日本語は!? 主語が二つあるではないか! Σ(゚Д゚;
だがこの「~は~は」の助詞の連続を回避しようと考えて、どういじっても文章が無駄に長くなってしまいそうなので、結局そのまま投入しました。
「象は鼻が長い」「日本語は主語がない」のような「~は~が」という形は、まだ気にならないのですが。
日本語の主語については昔いろいろ調べたことがあるはずですが大筋を忘れてしまっていたので、あわてて検索し直し…
内容を読みつつあとの方の項目中に
「私はその話は詳しくは知らない」
という例文を見つけてようやく「ま、いいか」と開き直ることができました。
不正確さを恐れずごく大雑把に言えば、日本語には印欧語のような文法的な主語はなく、「は」を「限定の助詞」と捉えれば不自然でない限りいくつ並べることもできるということのようです。
戯れに即興で「日本人は大抵はあんずは自分はこだわりがあっても他人はどうでもいい」なんて文章を作ってみました。順に「外国人は知らん」「少数派はいるだろ」「うめぼしは何も言ってない」と限定しているつもりです。
最後の「自分は~」「他人は~」は、どっちか外すととたんに文章が不自然に感じられるので、こうするしかありませんでした(ここだけ「対比」?)。
なお 雨子 さんはツイッターでこんなアンケートをされていました。結果の引用をお許しください。
崎陽軒の焼売弁当に入っている甘い杏、あなたの扱いは?
— 🌎 雨子 🌍 (@nuruuri) 2021年8月22日
「夏は忘れそ」
はな(id:mizukamezasan)さんの、こちらのエントリーに関してです。
はな さんのお庭で咲き誇るヒマワリは、まさに夏の主の風格であるという記事でした。
戯れに次のようなブコメを投入しました。
主 どっ、でーーーん!! - mizukamezasan’s blog❀
南風〔はえ〕吹かば匂ひおこせよ向日葵の花あるじは汝〔なれ〕と夏は忘れそ
2021/07/27 01:04
前右大臣 菅原道真 公の不朽の名歌
東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ
のつたない本歌取りです。
もう一言ひとりよがりな内的事情をばらすと、「東風」「南風」には「こち」「はえ」という熟字訓があるが「北風」「西風」にはそういうものがないという日本語のアンバランスさが気になっていたりして、どっかで「東風」「南風」を使う機会がないかなと漠然と考えていたという背景がありました。他人には関係ないことですねすみません。
そうしたところ はな さんには意外なほど喜んでいただき、手習いの題材にまでしていただきました。わわわ、光栄かつ恐縮です! ありがとうございます!
ですが一方、文法的に大丈夫だろうかと不安になりました。とくに下の七七で「な~そ」の副詞呼応を崩してしまったあたり。
あわてて検索して…
②〔禁止〕…しないでくれ。▽中古末ごろから副詞「な」を伴わず、「…そ」の形で。
という記述を見つけて安心した次第です。
菅公の元歌には
東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな
というバリエーションもあって「忘れそ」ではなく「忘るな」とする手もあったのですが、なんか嫌だったんですよね。現代語に置き換えると「忘れないでね」と「忘れるな」の違いというか…
そのわりに「梅の花」を「向日葵の花」と字余りに改変したところは、あまり気にならない自分の言語センスも自分でよくわからないところではあります。いやこれはいいのかな? 上の句の中七が字余りになるのは嫌われるという知識はあるのですが。
今考えると、「主は…」「夏は…」と下の七七で助詞が揃うところをなんとかすべきだったかもしれません。いやでもパロディとして「主」という語の位置は動かしたくなかったし…元歌の形をある程度保ったまま「夏の間の主人公はあなただよと忘れないでね」という意味を伝えようというのは、私の力では不足だったのかも知れません。はな さんなんかすみません m(_ _;)m
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