ネットではなくリアルで、よそんちのリフォームの話を聞いた。何がきっかけで特定されるかわからないから詳細は書けない。
と言いつつ本当に何も書かないと読んでくださる方にはワケワカメだから、ごくかいつまんで書くと、かつて人が住んでいて今は物置きになっている離れの畳が腐って、板敷きへとリフォームしようとしたら費用がとんでもなくかさみそうだった、というような話である。
モノが捨てられないお宅あるあるで、節約のつもりで不要物をとっておいて結果としてかえって高くつくというやつだな。もちろん言わなかったけど。
もう一箇所、話を聞いていて内心「はっ」としたことがあった。
カネがかかる理由の一つに、引き戸の戸車がなぜか特殊な形状をしていて入手しづらいとも言っていた。
うちのアパートの引き戸に、めっちゃ重くなっているところがある。
戸車を交換したら解消するかも知れないと考えた。
何でも古いアパートではあるが、人間が作ったもので経時劣化しないものはない。戸車がすり減っている可能性が高いと想像したのだ。つかこれまで想像しなかったのが、うかつと言うべきか。
本来こういう場合は大家さんか管理会社に相談すべきだろうが、DIY で何とかしようとする性癖があることは、弊ブログを昔から読んでくださっている方は覚えていてくださるかも知れない。
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自宅に戻ってさっそく引き戸を外した。
内心「ぎゃあああぁぁぁぁっ!」と悲鳴が出た。
戸車の隙間にぎっしりとゴミが詰まっていたのだ! 回転するどころじゃない。
ゴミというのは、綿ぼこりと、すり減った敷居だか下桟だかの木くずの混じったものだ。
実物のスマホ写真は、とても載せられない。これは掃除した後の写真である。
釘を抜いて一旦外して、戸車だけ嵌め直してます。釘はペンチで簡単に抜けました。
戸車を外したところ。この奥までぎっしりと綿ぼこりと木くずの混じったものが詰まっていた。スマホ写真は、それをマイナスドライバーでかき出して掃除機で吸ってから撮った。
新しい戸車は、よく行く市内の金物屋で簡単に買えた。
右側が外した古いもの。右上のなんか、すり減っている様子が写真からでもわかりますでしょうか。
回転できない状態で力ずくに開け閉めしていたら、そりゃすり減るだろう。
新しい戸車を差し込んで、元の釘で固定した。
幸いうちのは特殊なタイプじゃなかったらしい。穴にスッポリ収まってくれた。いつもながら標準化のありがたさには感謝しかない。
逆にもしサイズが合わなかったら、どうすりゃよかったんだろう? 最初のよそのリフォームの話で、なんで戸車くらいで費用がかかるのかと思わないでもなかったが、こういうところに手がかかるということだったのかも知れない。
交換した結果、引き戸の開け閉めは驚くほど軽快になった。
ところが意識しなくても体はいろんなことを覚えているもので、ついつい以前と同じ力で引き戸を開け閉めしてしまおうとする。勢い余ってガッチャンと大きな音を立てること一再ではない。
いずれ慣れるだろうけど、ご近所の迷惑にならぬよう気をつけねば。
問題がもう一つ残っている。
やはり重くて戸車を交換したい引き戸がもう一枚あるのだが、経年変化で鴨居が下がったのか、外せないのだ。
正確に言うと、外せたり外せなかったりする。足で蹴ったりすると、辛うじて外せることがある。気温や湿度が影響しているのかも知れない。
新しい戸車を買ってきて以降は、どうやっても外せなくなった。からかわれているのかも知れない。
追記:
外せなくなっていたもう一枚の引き戸の件、思わぬ形で解決した。
なんに使ったんだったか DIY で使って、捨てずにとっておいた長さ50cmほどの木の棒がある。先端が木刀のように薄くなっている。
立てたところつか薄い方から見たところ。
これで孫の手みたいに背中を掻くことがあるからとっておいたのだが…
偶然、幅が敷居の溝にぴったりのサイズだった! スマホ写真だと保護色でわかりにくいかな? 上の方から溝に嵌めてます。
建材はさまざまな部位の寸法が規格化されているから、ホームセンターで買ってきた木材がたまたまどこかと同一サイズだったということは、ありふれたことかも知れないが、それでもちょっと驚いた。
この状態で引き戸を木の棒の上に乗せるように引くと、脱線の要領で引き戸を溝から外すことができた!
引き戸が外れなくなっていた原因も判明した。前回外して戸車を取り除き木くずとホコリを掃除してつけ直したとき、釘がゆるくて戸車が脱落しロックになっていたのだ!
脱落した釘の一本は、引き戸の下桟に食い込んでいた。危ねぇな!
戸車は、無事、新品と交換した。交換した戸車の一つは、これまでで一番すり減っていたようだ。
だがこちらの引き戸はなぜか、戸車の交換で体感的にメチャメチャ軽くなったというほどではなかった。少なくとも勢い余ってガッチャンはやってない。最初の引き戸と比べると、慣れがあるつか感動が薄れるというものであろうか?
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