最初に私の基本的な立場を述べておきます。自由は他人の自由を制限しない限り尊重されるべきだというものです。人権が他人の人権を侵害しない限り最大限尊重されるべきであるように。
他の人のブログを読んでいて "「賀正」は目下の人に使う言葉" という文章を見かけた。そのブログ主さんを批判するのが目的ではないからリンクは貼らない。
検索すると、漢字1字ないし2字の賀詞は目下に使うとするサイトが多数ヒットした。困ったことに有名IT企業のサイトが目立ち、多分SEOの力で上位を独占している。
一例を示す。インプレス年賀状編集部 さんより。
- 1文字「寿」「福」「賀」「春」「慶」など:目下の人向け
- 2文字「賀正」「迎春」「賀春」「頌春」「初春」など:目下の人向け
- 4文字「謹賀新年」「恭賀新春」「敬頌新禧」など:目上の人向け
- 文章「あけましておめでとう」「謹んで新年のお慶びを申し上げます」など:誰にでも使える
目上の人に“賀正”はNG? 相手によって異なる賀詞の選び方 - 窓の杜 より
「迎春」「頌春」もダメなの? んなわけないでしょ!
でもインプレスさんがそう言ってるとなると、信じる人多いよね。
検索結果を眺めると、もう一つの特徴として2010年代など比較的新しめのサイトが多いことに気づく。
言葉の使える範囲を狭めると、地雷みたいなもので窮屈な思いをすることが増えるだけで、誰も得をしないと思うのだが。
チェリーピッキングと言われるかも知れないが「新年の漢詩」で検索すると
上樓迎春新春歸
で始まる唐詩がヒットした。「迎春」はたいへん古い言葉なのだ。
「賀正」は意外と新しく、第19代内閣総理大臣の原敬による造語だとツイッターで教えてもらった。
ただし「賀正」は一筋縄ではいかぬようで、天皇を寿ぐ言葉を意味する「ヨゴト」に「賀正事」という漢字が当てられると、他の人のブックマークコメントで教えてもらった。熟字訓というやつだな。
原敬がこの語を踏まえて「賀正」を造語したかは、わからない。大正期の総理大臣が天皇を寿ぐ言葉を知らなかったってことは、ありえないか?
天皇と言えば、ほんの3年ほど前に「奉祝」という2字祝辞を大量に見たはずではなかったのか? あれは目下に向けた言葉だったのだろうか?
「頌春」の「頌」に至っては、検索すると君主の徳をほめたたえるというほか、神仏をたたえるという意味まで出てくる。目上を対象とすることが、漢字に内包されているのだ!
「謹賀新年」や「恭賀新年」を目上の人に使う理由として「謹」(つつしむ)や「恭」(うやうやしい)にうやまうという意味が含まれていると説明するサイトが多いが、「謹」や「恭」より「頌」のほうが強そうじゃない? 強そうって何だよ?
だいたい2字祝辞がダメだってなら「年賀」もダメじゃん!
このハガキを目上の人に送るのはNGなの?
そして1文字の賀詞、祝辞がダメなら、揮毫を業とする書道家さんたちは、たちまち困ることにならないか?
1文字、2文字の賀詞、祝辞がダメだというのは、国文学や漢文学、それから書道にうとい人が言ってるんじゃないの?
要するに意味内容の吟味なしに、単純に文字数で判定できるものなのか、言葉という複雑怪奇なシロモノを?…とここまでを一行で要約できてしまえるな。
思うにこの手のマナー講師の跳梁跋扈によって使えない(?)言葉が激増して困惑させられるケースが、近年とみに増えているような。
「了解しました」がNGか否かは、ネットを賑わせた記憶が新しい。
「ご苦労さま」を目上に使っちゃいけないというのが流布したのはネット普及以前だったが、ネット時代になって、より古い時代の文豪・文人による用例が多数発掘された。
もちろん典拠に照らして「こりゃまずいだろう」ということは、ありうる。
私の失敗例だが、「参考にする」という意味で「他山の石」を使ってとがめられたことがある。『詩経』の「他山の石以って玉を攻むべし」が出典で、「他人のつまらぬ言行も自分の人格を育てる助けとなる」という意味だそうだ。明らかに目上の人には使っちゃいけない。
言葉というものは、時々刻々変化するものだと思っている。またまた自分語りで恐縮だが「なんなら」の「その上」という意味での新しい用例に関しては、検索すると拙ブログ記事が上位にヒットする。
しかし変化するにせよ、できれば自由を制限する方向ではなく自由を増やす方向に変化してもらいたいと思うし、ソフト会社など発信力のあるところはそういった意識を持ってほしいと希望する。
君主、天皇、神仏を持ち出したのは修辞のためであり、主眼はあくまでこちらである。
もちろん差別やヘイトスピーチは、自由に含まれない。他人の自由を侵害する「自由」は自由ではない。
追記:
b:id:a2c-ceres さんから連携ツイートへのリプで教えていただきました。ありがとうございました。「2字の賀詞は目下向け」というのは「作られた伝統」/「新しい伝統」の傍証の一つとして、引用させていただきます。
年賀状の用例無いかなと調べましたら、半世紀前のペン習字教本[ペン習字365日 大貫思水 昭和45年 14版(初版不明)]にも特に注釈無く「賀正」「賀春」が例として載っていました。仮に元々「目上から」だったとしても今さらと言う気がしますね。 pic.twitter.com/YDyHy91toM
— a2c (@a2cc) 2022年1月2日
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