よく勝手に他のブロガーさんのエントリーに乗っかって自ブログを書きます。
今回は uribou(id:uribouwataru)さんのこちらのエントリーに乗っからせていただきます。言及、失礼します。
青い空に誘われるように、自発的にあるいはやむを得ず、立て続けに高額の支出をされたという内容でした。
予算的には節約した5万円が財源で、オークションで素敵なお買い物ができる予感がしていたのです。マッカランの18年か~楽しみだな~
uribou:まとめて買ったら少し負けてくれないかな~
出品者:マッカラン(負からン)なんちゃって(楽しみの絶頂おやじギャグ)
上掲記事より
ついつい私も…
空がとっても青かった - 紬とウィスキー ~ウイスキーブログと着物生地のブログ~
空が青いと、感傷的になる男と、ハイになる男がいるようで…スカイハイ、なんちて…いや私は前者だ。誰が何と言おうと前者だ!
2022/02/16 08:30
というブックマークを投入してしまいました。お目汚し失礼しました。
ところで「スカイハイ」の元ネタは、英国のバンド=ジグソーによる洋楽のつもりでした。1975年リリースの古い曲ですが、しばしばCMソングなどに採用されたりしているので、若い人にもなじみがあるのではないかと思います。
特撮番組でも始まるんじゃないかというイントロが印象的ですが、実は失恋の歌ってご存知でした?
こちらのTouTube投稿に尽くされているように思いましたので、ブログカードを貼るにとどめ多弁は慎みます。
改めて考えると、高揚と感傷は二択ではなく同時に発生しうる感情なのではないかという気がしました。
感傷のほうは、Sky High が1975年の曲だってことにつなげて、年寄りなんで1977年のチューリップ「ブルー・スカイ」と…
1978年の西城秀樹「ブルースカイ ブルー」を思い出しました。
どっちも改めて歌詞を読むと、なんつーか情けない内容だな (^_^;
高揚のほうでは「だまって俺についてこい」かな、やっぱり。
オリジナルの植木等は1968年ですが、ブログカードはなんとなく「こち亀」OP を貼ります。
これも改めて聴いてみると、高揚の陰に感傷というか悲しみに似た感情の存在が感じられないでもありません。ペーソスってやつかな?
最後に音楽から離れて、ちょっと思い出したことがあったので書いてみます。
山之口獏の「天」という詩があります。「教科書の名詩」の一つです。
青空文庫から全文を引用します。
草にねころんでゐると
眼下には天が深い風
雲
太陽
有名なもの達の住んでゐる世界天は青く深いのだ
みおろしてゐると
體躯〔からだ〕が落つこちさうになつてこはいのだ
僕は草木の根のやうに
土の中へもぐり込みたくなつてしまふのだ
この詩に関して丸谷才一がエッセイ集『日本語のために』で瞠目すべき指摘をしているので、ぜひ紹介したくなりました。
これはたしかに詩である。まがひものではない。だからその点、文句はないのだが、気にかかることが一つある。教科書の「詩」と言へば、普通、道徳的な内容の、むやみに健全なものが選ばれるのに、かういふ劣等感と敗北感を歌った作品が採用されたのは編者たちの誤解のせいではないかといふ疑惑を押へることができないのだ。
丸谷才一「国語教科書批判」P19 『日本語のために』(新潮文庫)所収
『日本語のために』は「完本」の文字が関された改訂版になっているため、ページ数が変わっている可能性があります。
丸谷の国語教科書に対する火の出るような批判は一読も二読もの価値ありですが、教科書編者ですら「天」を「挫折の詩」と読める可能性を見落としてしまうのであれば、そのことは高揚と感傷はかほどに近しいものであることの傍証の一つに十分なるように思われます。
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