🍉しいたげられたしいたけ

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滋賀県醒ヶ井駅前地蔵川のバイカモ(梅花藻)は見頃よりだいぶ早かったがいくらかは見られた

最近ほんっっっとうにこういうネタが多いが、今回もまた実家の身内からの要請である。

NHK岐阜放送局のローカルニュースで、高山市内の側溝にバイカモ(梅花藻)が咲いているという話題をやったというのだ。

バイカモの名所は滋賀県の岐阜県との県境に近い醒ヶ井というところの方が有名で、なにかのきっかけで以前その話をしたことがある。だが高山のバイカモというのは初耳だ。

同じ岐阜県とはいえ、実家から高山市は遠い。ETCカードを持ってこなかったとか何とか理屈をつけて渋ったが、妥協のつもりなのか醒ヶ井の方は? みたいな方向転換をしていた。

醒ヶ井は関ケ原と米原の中間あたりで、車で移動するとしても高速はやはり使えた方がいいのだが、ナビで検索すると下道を走っても一時間とちょっとで行けるようだ。いらんことだが醒ヶ井のヶは小さいヶが、関ケ原のケは大きいケがサジェストされたが、これでいいの?(誰に訊く

ただし事前に検索したところによると、バイカモは5月下旬に開花が始まるが見頃は7~8月とのことだった。高山で開花してたとしても、醒ヶ井はどうだろう? 行ってみるしかないか。

米原市公式HPのブログカードを貼ろう。

www.city.maibara.lg.jp

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醒ヶ井駅。背景の山の緑が鮮やかだった。

駅の駐車場が利用できた。30分まで無料、3時間まで300円。

 

駅前にあった絵地図。中山道ぞいを流れる地蔵川という川が、バイカモの名所だそうだ。淡水魚のハリヨも生息しているそうだ。

 

ハリヨは岐阜県大垣市の曽根城公園の池にも生息しているとのことだったが、10日ほど前に訪れたときには見られなかった。先に書いてしまうと、今回も見つけられなかった。

www.watto.nagoya

 

案内看板。逆光だったので画面が暗い。

下の看板には…

梅花藻鑑賞される方へお願い
車の侵入はご遠慮ください
歩行者の方は、道路の右側を通行ください。

と書いてあった。改行位置、変更しています。文字起こしする場合、以下同じ。

歩くのが苦手な身内はぶつくさ言っていたが、自分で行こうと言い出したんじゃないか。言わなかったけど。

代わりに「百年公園にハナショウブを見に行ったときは、もっと歩いたじゃないですか。高低差もあったし。あのときに比べればだいぶマシでしょ」と励ました。励ましになっていたかどうかは知らない。

www.watto.nagoya

 

駅前から中山道に向かって歩き始めて、最初に目にした観光名所、かな?

OCRがサクサク読んでくれたので嬉しい。

明治時代の醒井小学校の玄関
 この玄関は、明治二十六年に竣工した醒井村立醒井尋常高等小学校の玄関です。昭和三十六年名神高速道路敷設に伴い、醒井小学校が鉄筋コンクリートの建物に改築されるときに、当時の松尾寺住職は、この貴重な建造物を後世に残したいとこの玄関に移築されました。
 玄関上方部分には、雄大な唐破風に力強い鬼瓦を掲げ、下には精巧な彫刻が施されています。また天井は格式高い折上げ格天井で御殿の天井を思わせます。小学校の玄関に取り付けられていたこの重厚で手の込んだ建造物は、門をくぐった人々の懐かしい故郷の醒井小学校の名残を今に伝える唯一の貴重な建造物です。
             (平成十六年修復)
 後方の建物は、大正二年に建てられた料理旅館「醒井楼」(さめがいろう)でした。終戦後の昭和二十七年、無住になったところ、当時の松尾寺住職は松尾寺山頂より寺仏、寺宝を、この中山道の街道筋に移し松尾寺政所(まんどころ)として活用されてきました。
 昭和五十六年の豪雪により倒壊した山頂の本堂は、現在、役の行者修行聖地 松尾寺山山麓に再建復興が計画されています。
 醒井楼も又、松尾寺山山麓の醒井養鱒場の近くで、旬の山菜とマス料理のお食事処として受け継がれ、松尾寺の護持の一役を担って息づいています。山水の湧き出る山里のおもてなしは、心身共に健やかなひとときをお過しいただけます。
  平成二十三年 七月
 飛行観衆の寺普鬥山松尾寺(天台祟)
 近江百国三十三観音霊場 第十三番札所
びわ湖一〇八霊 場第五十番(湖北二十四番)
 ≪住所・電話番号略≫

 

もうちょっとだけ歩くと、通りの反対側に旧醒井郵便局局舎を利用した「米原市醒井宿資料館」というのがあった。各種マップには必ず載っている観光ポイントである。

この説明書きは退色してOCRにはかかりそうになかったので、手起こしした。

醒井郵便局
 旧醒井郵便局は大正四年(一九一五)に米国出身のウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によって建てられた木造二階建の擬洋風建築です現在残されている建物は昭和九年(一九三四)に外側を木造モルタル張りの建物に改築されたもので、基本的なない母構造は創建時の建物を利用しています。平成十一・十二年度に実施した修理工事中には各所にその痕跡が認められました。尚、この建物は平成十年度に国の登録文化財に登録されています。

利用案内 ≪略≫

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
 明治十三年(一八八〇)米国に生まれる。二十四歳で英語教師として来日。近江兄弟社を設立しキリスト教の伝道活動をする。宗教以外にも各種芸術活動に携わり、中でも建築にはとりわけ熱心に取り組みヴォーリズ建築事務所を開設する。彼の関わった建築作品は全国各地に存在し、その数は一千件を超える。

同行者に「入ってみます?」と訊いてみた。

「入らない」と、にべもない返事が返ってきた。

 

さらにもうちょっと歩くと「いさめばし」と刻まれた石の欄干があって…

 

橋の手前から、地蔵川(だと思うのだが)の川面ぎりぎりに下りられるようになっていた。

 

水が綺麗! 観光用の足場だろうか? 生活用だろうか?

 

ただし水藻はいっぱい生育していたが、これがバイカモなのかはわからない。花も見当たらなかった。

 

バイカモの花らしきものは、いさめばしと、その上流(東方)の橋の中間あたりに見つけられた。

 

ただし川面に近づける岸から見ると、対岸近くにあった。

 

スマホカメラのズーム「×4.」を使って、ぎりぎり拡大したところ。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/w/watto/20220623/20220623110548.jpg

 

もうちょっと移動すれば、もっと見やすいところがあることを期待して、上流方向(東方)へ移動した。


「十王水」という看板と説明書きがあった。ここもマップに載っていた。

 十王水
平安中期の天台宗の高僧・浄蔵法師が諸国遍歴の途中、この水源を開き、仏縁を結ばれたと伝えられる。もとより浄蔵水と称すべきところを、近くに十王堂があったことから、「十王水」と呼ばれるようになったという。

 

下の緑地の看板に白抜きで書かれていた文字。

 米原市には豊かな森や山が育んだ美しい湧き水が数多く存在し、昔から地域の暮らしの中で大切に使われてきました。水道の蛇口をひねればあたり前のように水が出てくる便利な現代社会の中で、忘れられつつある水や水を育む森の大切さを改めて感じていただき、地球の美しい水環境を未来へ受け継いでいくきっかけとなることを願っています。

 

民家の間を縫うように水路が流れていたが、これが十王水のようだ。

 

地蔵川と反対側にあった「天然記念物 了徳寺の御葉附銀杏」と刻まれた門柱。

あとで検索したら、ウィキペに項目があった!

ja.wikipedia.org

 

もうちょっと歩いたところにあった「木彫美術館」。

 

今はイベントをやってないようだった。

 

川沿いに鮮やかなオレンジ色の花が咲いていた。何という花だろう? Googleレンズを起動したり画像検索したり、いろいろやってみたがよくわからなかった。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/w/watto/20220623/20220623111349.jpg

 

この赤い木花を通り過ぎたあたりに、ようやく接写可能なバイカモの花を発見!

 

下流には可愛らしい水車が回っていた。何かに実用してるのかな?

 

もうちょっと上流、4枚上の写真の石橋の向こうには、休憩所があった。

だがこのあたりで引き返すことにした。

 

引き返しがてらに見た「寺ヶ谷寺院跡 源海寺本堂」という案内板と…

 

満開のガクアジサイ。さきほどの赤い花といい、バイカモ以外にも見頃の花はそこかしこにあった。

7~8月の見頃と言われる時季には、この川面が一面バイカモの花で覆われるのだろうか?

 

とてもいいところだなと思っていたら、こんな看板もあった。

醒井 急傾斜地崩壊“危険”区域
 この土地の区域内において宅地造成、家屋の新築、土採取の行為をする場合は知事の許可が必要ですから、滋賀県長浜土木事務所にご相談ください。
 連絡先 滋賀県長浜土木事務所 TEL.≪略≫

よそ者は風光明媚と言っていればいいが、地元に暮らす人にはそれなりの苦労があるんだろうなと想像しないではいられなかった。

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