ごく最近、キャロル『鏡の国のアリス』をようやく読んだ。
『不思議の国のアリス』を読んだのは何十年も前で、『鏡の国』も本自体は同じころ入手した。あちこち拾い読みはしていたものの、通読はずっとしなかった。岡田忠軒訳の角川文庫版である。奥付によると昭和34(1959)年初版、平成4(1992)年66刷とのこと。古い訳だ。
おお、今Amazonをチェックしたら新訳に変わっている! だが以下の拙記事は岡田訳に準拠します。
なんで読むのにこんなに時間がかかったか、つか長らく読むのを中断していたかというと、中途半端に英語ができるせいで、つい原文がどうなっているか気になってしまうからだ。
正編の『不思議の国』にもそういう傾向はあったけど、続編『鏡の国』に至ってダジャレやダブルミーニングへの嗜好は病膏肓に入った観がある。
幸い講談社英語文庫から出ている英語版も書店の棚に並んでいたので、揃えて読んでみた。
こっちは私が持っているものと同じ表紙をAmazonが出してくれた。だが私のは奥付が1993年初版でAmazonのページは初版かどうかはわからないけど1997年という日付があるから、内容に異同があるかも知れない。
でもって日本語訳で読んでいて疑問を感じ原文に当たりたくなると、まず英語版の当該ページを探さなきゃならない。当該部が見つかってもピンポイントでそこだけ読めばいいというものではなく、少し前の部分からおさらいしたくなる。
だったら英文で読めばよさそうなものだが、私の語学力では英文のみを読み進めるのは不可能である。特にこんなダジャレとダブルミーニングに満ちた文章を。のみならずトゥイードルダムとトゥイードルディ、ハンプティダンプティ、ライオンと一角獣などマザーグースのキャラクターは次々と登場するわ、ヴィクトリア朝時代の子どもの遊びも出てくるわ、そうそう、「んなわけないだろ?」と自分の理解力を疑いたくなる突拍子もない非現実までが、しばしば登場する。英文学専攻でもなければ通読は難しいんじゃなかろうか?
いや『不思議の国』でも同じことをやったんだけど、すなわちやはり角川文庫の和訳と講談社英語文庫を揃えたんだけど、あっちは最後まで読めた。なんでだ?
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大昔の学生時代、語学の勉強をこんなやり方でやっていたことを思い出した。大学ノートの横罫を3段ずつとり、一番上に原文を書き写し、次の行に未知の単語と訳語を書き込み、3行目に和訳を書くのだ。
この方法が語学学習に最適かどうかは疑問があるが、あとで内容を思い出すのには役立った。3行目の和文のみを読めばいいのだ。努めて1行目の原文に目を向けようとすることはあるが、当然ながら母語である和文に目が吸い寄せられるのは自然な流れである。
今回一通り読み終わったあとで、わが学生時代にはなかったスキャナとOCRを使って一部それを再現してみようと思った。2行目には巻末の注釈を転記しようかと思ったが、時間がかかりそうなのでやめておいた。
ブログ上で再現するにあたっては、画像データを使用するしかなかったことをご容赦ください。パソコン画面とスマホ画面で1行当たりの文字数が異なるので、改行位置が変わってしまうのです。
奇数行に講談社英語文庫『Through the looking‐glass』P109~111、偶数行に岡田忠軒訳角川文庫『鏡の国のアリス』P94~97を引用します。難解と悪名高き(?)ジャバーウォックの詩を、ハンプティ・ダンプティが解釈している部分です。
引用の4要件には配慮したつもりだけど、こういうレイアウトをいじった引用のし方ってセーフだったっけ? どっかから怒られたら本エントリーは非公開にします。原文は著作権切れてるからグーテンベルクから引いてきて、自力で和訳をつければ著作権的には問題なかろうけど、後半が私には無理。
改行位置、変更しました。ルビ省略しました。
トーヴとぼろ鳥とラースを描いたジョン・テニエルの挿絵も、著作権が切れているはずだから引用させていただきます。講談社文庫P110からスキャンしたものですが、岡田訳角川文庫P95にも同じ絵が載っています。
中ごろで "Alice remaked" とあるのは "Alice remarked" の誤植ではないかと思われますが原文のママにしました(講談社文庫P109 14行)。
後半で「長柄ぞうきん」という語が出てくるが(岡田訳角川文庫P96 10行)原文は "mop" で、現代の感覚からするとモップと言ってくれた方がわかりやすい。
だが気になるところはそれくらいで、わかってみるとよくできてませんこれ? 和訳も、原文も。
理解できないとつい読み飛ばしてしまうけど、それがいかにももったいないことに、これだけやってようやく気づく。
それからハンプティ・ダンプティがかっこええ! こいつただの妖怪だと思っていたけど。ただの妖怪ってどんな奴だよ?
ジャバーウォックの詩を読んで闘志を燃やす英語屋さんは少なくないようで、何のつもりだったか「かばん語」"wabe" を検索したら weblio の例文にそっくり載っていて思わず吹いた。「別人がやると別物になる法則」の発動も見て取れた (^∀^;
Twas brillig, and the slithy toves Did gyre and gimble in the wabe; All mimsy were the borogoves, And the mome raths outgrabe.
それは煮(に)そろ時(じ)、俊(しゅ)るりしオモゲマたちが幅かりにて環繰(わぐ)り躯捩(くねん)する頃ボショバトたちのみじらしさ極(きわ)まり居漏(いろ)トグラがほさめる頃 - LEWIS CARROLL『鏡の国のアリス』
https://ejje.weblio.jp/sentence/content/wabe より
訳者名が表示されなかったのが残念。
「かばん語」google:portmanteau word も、検索すると「あっ、そうだったのか」「えっ、そうなの?」的情報が次々とヒットして興味が尽きない。
modem = modulator + demodulator
motel = motor + hotel
smog = smoke + fog
brunch = breakfast + lunch
:
は日本語でも通じて、これが「かばん語」だと言われるとそうなの感あるが…
pokemon = pocket + monster
cosplay = costume + play
:
は「英語民はそう認識しているのか」と新鮮であった。つか日本発祥と意識されているのだろうか? いいけど。
そゆえば
blog = web + log
も「かばん語」だな。
話はとめどなく広がるつかずれるが元に戻して、言いたかったことはこうした試みはあくまで日本語で読むための便宜として有効ではないかということである。英文は必要に応じてチラ見のためのものだ。精読したって構わないけど。『鏡の国』は『不思議の国』ともども新訳が次々と出る本なのだから、一冊くらいはこういう試みがあってもいいんじゃなかろうか。岩波文庫の中国古典シリーズや漢訳仏典シリーズは、見開き2ページに漢文の白文、書き下し文、現代日本語訳が収められているものが多い。文庫本で狭ければ大判にすればよい。
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