💙💛しいたげられたしいたけ

нет войне! NO WAR! 戦争反対!

あまり自信ないまま言うのだが霊感商法への対抗方法として伝統宗教にある程度の力があるのではないか(その3)

なかなか手がつかないと言いながら、書き始めてみると今度はいくらでも書けてしまいそうでキリがない。

もし知識がなかった人が 前回の拙記事 を読まれたら、どんな感想を抱かれただろう?「信じられない」「荒唐無稽」といったところだろうか?

浄土三部経は今も昔も浄土教(浄土宗、浄土真宗、時宗など)の根本経典で法要では欠かさず読誦されつづけているが、門信徒向けの法話で話題にされることがあまりないのは、もちろん世襲の僧職者の不勉強といった問題もあるだろうが「話しても信じてもらえない」という経験則の積み重ねのようなことがあったかも知れない。

 

いちおう弁護のようなことを試みると、古代インド哲学では「無限」に対する問いがしばしば語られる。「もし死後に無限の生命があったら?」という設定は、いろんな仏典に現れる。

この手の哲学的問題は、カルトの話題を離れて、やっかいでもどこかで向き合っておかなければならないように考える。

…と書いていて思い出したが、ブッダは「宇宙は有限か無限か?」「死後の存在はあるのかないのか?」といった問いへの回答を迫る訪問者に、仏教の目的は現生における苦しみをいかに救うかであって、それらの問いに答えることではないと応じたとするエピソードもあったのだった。さして長からぬ経典で、早島鏡正『ゴータマ・ブッダ』(講談社学術文庫) P310~321 に現代語訳の全文が掲載されている。『マールンキヤ小経』漢訳名『箭喩経』(弓矢の喩えの経)というそうだ。

どっちやねん?

 

法然や親鸞は、深い諦念の結論として絶対他力という教義を選び取ったようだ。五木寛之 氏はエッセイ集『他力』で「究極のマイナス思考」と表現していたっけ。

例えば…と『歎異抄』の原文を引っ張り出そうとして、またしても妙なことを思い出した。私は1980年代の京都大学吉田キャンパスにおける旧統一教会(当時は「原理研究会」と名乗っていた)の跳梁跋扈を記憶している人間だが、あの頃は原理研だけでなく「歎異抄研究会」も勧誘の強引さで悪名が高かったのだった。現在では google:親鸞会 の名称で知られている。やはりカルトだ。

「幸福には"絶対の幸福" と "相対の幸福" があり、物欲など我々の欲望はすべて" 相対の幸福" にすぎない。"相対の幸福" は他人と比較することによってしか得られず、また永続せぬ一時的なものにすぎない。しかるに "絶対の幸福" はそのいずれも超越したもので…」何度聞かされたことやら。好奇心を刺激する口舌ではあるが、本物の『歎異抄』にはそんなことは一言も書かれていない。

 

『無量寿経』に描かれた極楽浄土が実在するかは、信じられなくてもいいと思う。信じない者がどうなるかも『無量寿経』にちゃんと記述があるが、そんなに悪い待遇だとは思えない。こちらもちょっと思うところがあるので、次か次の次あたりエントリーを起こしてみようかな。

いま肝要なことは、"相対" という言葉を使ってしまおう、こうした伝統宗教の教義(の一例)を引き合いに出すことで、カルトのドグマが "相対化" できないかと考える。

 

なぜ救済者の存在が信じられずサタンの存在が信じられるのか?

 

なぜ「清太と節子は救われた」と信じられず「清太と節子は永遠にさまよっている」というネットロアが信じられるのか?

 

なぜ旦那さんを信じられず他人の「あんたのダンナ浮気してるよ」というウソを信じてしまうのか…

 

等々。

 

と、書いてみて改めて考えると、やはり難しいだろうか?

私だって自分のことを振り替えると、良いことを疑い悪いことを信じがちな傾向が明らかにある。そしてなぜか自分にとって不都合な思い込みが虚妄に過ぎないと判明しかけると、いわゆるデビルズアドボケーターと化して自分に都合の悪い方の考えを全力擁護しようとしたりする。

わりと一般化可能な人間心理のバグなのではないかと思う。

 

つらつらと書いてみて、事ここに至っては法律の出番という思いが強くなってきた。人間の心理的バグにつけ込むずばり詐欺なのだ。

有名どころのフランスの反セクト法(反カルト法)の解説記事を。

www.fnn.jp

判断基準となる10項目を文字データで引用。

①精神的不安定化
②法外な金銭要求(献金など)
③元の生活からの意図的な引き離し
④身体に対する危害
⑤子供の強制的な入信
⑥反社会的な説教
⑦公共の秩序を乱す行い
⑧重大な訴訟違反
⑨通常の経済流通経路からの逸脱(高額な物品販売など)
⑩公権力への浸透の企て

なんで多くの先進国が持つ反カルト法のうちフランスの法律が有名かというと、創価学会がフランスでは同法に基づきカルト認定されていたことや…

wikipedia:反セクト法

近くは8月9日放送の日本テレビ系『ミヤネ屋』での、橋下徹 弁護士と 紀藤正樹 弁護士の同法をめぐる議論が話題になったのだった。あくまで「信教の自由」を主張した 橋下 氏に対して 紀藤 氏は「そのような議論は欧米では40年前に済んでいる」と応じたとのこと。

jisin.jp

 

ホッテントリほやほやの自称自民党地方議員による増田。

anond.hatelabo.jp

 

同記事のトップブコメを引用させていただきます。IDコールが飛ぶと思いますがお騒がせ失礼します。

自民党のいち地方議員から見た統一教会の話

「もし答えがあるなら教えてほしい」大規模な実害があるんだからフランスみたいにカルトを法的に定義して被害者を減らすのが答えだし、それがあなた達の仕事でしょう。いつから票集めが仕事だと錯覚していた?

2022/08/19 00:06

b.hatena.ne.jp

 

まさしくこのブコメに同意で、カルトを法的に定義することは、濃淡に関わらず旧統一教会との関りが問題視されている保守系議員にとってこそ必要なことではないだろうか。

カルト規制の法制化を求める野党議員にしてみれば、反対派の議員に対して「これはあなたたちのためでもあるのですよ。もし統一教会との絶縁を証明したいのであれば、どうして反対するんですか?」と攻める武器になるだろうし、議員立法を共同提案しちゃえばいいんじゃないだろうか?

 

一抹の不安を感じるとしたら、旧統一教会と関りが指摘される議員が多い自民・公明・維新・国民民主他で議席の三分の一以上を占める国会で審議してまともな法律ができるかだが(奇しくもこの面子は改憲勢力と一致するが、話がややこしくなるので今は深入りしない

2018(H30)年の消費者契約法改正で霊感商法対策が追加された国会審議の経緯を、弁護士でアルファツイッタラーの Shin Hori @ShinHori1 氏が連ツイされているのでトゥゲッターを貼る。

togetter.com

所管の 福井照 内閣府特命担当大臣は改正消費契約法への霊感商法という文言の追加には明らかに消極的であったが、尾辻かな子 議員らの度重なる追及によって答弁に混乱を来し、けっきょく衆院での与野党議員の提案による修正で霊感商法への対策が追加されたとのことだった。

 

前例のない裁判で裁判所が判例となる判決を下すにあたっては、条文そのものの他、立法意図を明確にするため国会における審議が重視されるとの由で、 Shin Hori 氏ならずともまともな弁護士であれば国会審議をチェックすることは当然の業務のようだ。

残念ながら、まともでない弁護士もまた多数実在するようだが。

 

次のTBS記事P3によると、旧統一教会が元信者に献金の一部を返却するにあたって交わした「これ以上の返金は求めません」とする合意書なるものが無効と判決されたというし…

newsdig.tbs.co.jp

 

政府は9月から旧統一教会とのトラブルの相談を集中的に受け付ける窓口を設置するという。

www3.nhk.or.jp

長い記事だが…

政府は、この期間中に東京都内の1か所に相談窓口の拠点を設けて関係省庁の職員を集め、全国からの相談対応にあたることにしています。

以上のことはわからないな。具体的にどこに行けばいいんだろう? 続報待ち。

 

私の場合、書き始めたときの結論が書いていて変わってしまうことがよくあるが、強引にタイトル回収を試みる。

8月16日付拙記事「その1」へのブコメで、次の増田を教えていただきました。ありがとうございます。

anond.hatelabo.jp

 

上掲増田によると日本のプロテスタントは保守勢力と相性が悪いそうだが、浄土真宗などにも保守勢力との折り合いの悪さを感じることがある。自民党支持の門信徒だって多数いるから、あまり表には出さないだろうけど。

例えば真宗大谷派名古屋別院では、コロナ禍の今はどうなっているかわからないが、何年か前には春の彼岸の時季に「平和展」というのを開催していた。

この拙記事から何回分かさかのぼれるはず。

www.watto.nagoya

この展示会では毎回りっぱな冊子が貰えた。冊子中には大逆事件に巻き込まれた真宗僧、戦前戦中に治安維持法により弾圧された真宗僧たち、やはり戦前戦中に神社への参拝を強制された真宗僧たちの記事が掲載され、冊子は必ず『無量寿経』の「兵戈無用〔ひょうがむよう〕」という言葉で締めくくられていた。

 

上の拙記事には「平和展」と同じ時期に名古屋別院の貸し会議室で 長周新聞社 さん主催の「原爆と戦争展」というのが開催されていることを書いた。「平和展」と「原爆と戦争展」はあくまで別の企画であるが、そういう企画を受け入れているということで。

 

別の市民団体で私とご縁のあるところでは、愛知ボランティアセンター さんが毎回ここのお茶所という施設を集合・解散場所に借りていたのだった。やはりこの拙記事から過去にさかのぼれるはず。

www.watto.nagoya

愛知ボランティアセンター さんは市民団体ではあるが、自民党であろうと共産党であろうと協力してくれる地元議員さんに幅広く協力を求めていたけど。

 

何が言いたいかというと、そんなわけで東本願寺だけじゃないだろうけど多くの仏教の宗派は、ネットワークがありそれなりのスタッフを抱え外部とのつながりもあるので、カルト被害者が助けを求めたら無碍には扱わないんじゃないだろうか、と希望的観測。

僧職の世襲化による形骸化・無気力化は多くの人が問題視しているから、ハズレに当たる可能性は考慮しなければならないにしろ。

 

五木『他力』は一連のオウム真理教事件の記憶冷めやらぬ時期に書かれたもので、「もし法然、親鸞、蓮如ら浄土教の祖師たちが今いたら、命を懸けて彼らと対峙したのではないか」という意味のことが綴られていた。五木 氏の希望を込めてのことだろうが、これを読んだ当時の私は、オカルティズムを主要な武器としていたオウムに浄土教の教義が対抗できるか心もとなくも感じた。

旧統一教会に対しても、同じ構図が考えられる。個人的には伝統宗教の側に期待したいし、それだけに「しっかりしろ!」とも言いたくなる。それは真っ先に自分自身に対して言うべき言葉であるかもだが。

 

カルトの被害者は孤立しがちである。だが孤立しちゃいけないのだ。孤立したらカルトの思う壺なのだ。

孤立を避けるためには、あらゆるルートを探ってほしいと個人的希望を述べ、今回の締めにしてみる。

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