身内からの要請である。実家にポスティングされていたという無料情報誌が『日帰り紅葉トリップ20選』という特集を組んでいた。このフリーマガジン、以前もネタにしたことがあったな。
はじめ土岐市の穴弘法というところに興味を示していたが、マップで調べたら車で片道2時間以上もかかるではないか!
もう少し近場はないかと調べ、片道1時間ほどの犬山市の寂光院というところで決着した。
寂光院の記事の部分だけ文字起こし。改行位置、変更しています。以下同じ。
愛知県|犬山市
寂光院
品種・本数 イロハモミジ、カエデなど約1000本
見頃 11月中旬~12月上旬
別名「尾張のもみじ寺」として親しまれる山寺。境内では約1000本が色付き、巨木が多くて葉が細かく、色鮮やかに染まるという特徴を持つため、見応え十分。石段参道や本堂坂前から本堂を見上げる景観がおすすめ。
『岐阜 Sakura』2022年11月号P22 より。
それでも「ここは行ったことがあるかも知れない」とか言っていたが、「バラ公園とか何度も行ってるじゃないですか」とかなんとか丸め込んだ。
目的地が近づくにつれ「やっぱり行ったことなかった」と言い出した。やれやれ。
駐車場と門標。駐車場はシーズン有料で500円。門標には「継鹿尾山〔つがおさん〕参道」と刻んであった。
「お迎え地蔵」。こういうのがあると、なんとなく「聖域に足を踏み入れた」という気がしないでもない。
部分的に紅葉黄葉が見られたが、全体としては少し早かったような。
案内板。
「継鹿尾山 寂光院 略記」と「東海自然遊歩道 愛知県」の部分を文字起こしする。ルビ省略しています。
継鹿尾山 寂光院 略記
寺号
継鹿尾山 八葉蓮台寺 寂光院(通称継鹿尾観音)
宗派
真言宗智山派(総本山・智積院・京都東山七条)
創立
当山は孝徳天皇の勅願寺として白雉五年(六五四年)に南都元興寺道昭和尚により七堂伽藍を創建
本尊千手観音は日本武尊の御神魂の作と伝えられる県下最古の霊刹である。
由緒
永禄八年(一五六五年)九月十八日織田信長公参詣のみぎり、住職拝面の上、当山を清洲城鬼門鎮護の霊刹として御黒印五十石並びに山林五十余町歩を拝領、以来今日に至る迄、心願成就・厄除祈願の千手観音霊場として法燈を継承する。
東海自然遊歩道 愛知県
この付近は、日本ラインの愛称で親しまれている名勝木曽川の風景が楽しめる格好のコースです。
左へのコースは、木曽川沿いに国宝・犬山城へ。
右へのコースは、日本ラインを眼下に見おろす継鹿尾山頂を経て、岐阜県東海コース分岐点へと通じています。
さきの「お迎え地蔵」以外にも石仏がいっぱいあったので、真言宗かなと思ったら真言宗だった。
ようこそ御参詣下さいました。
〇本堂(千手観音)
〇絶景
弘法堂 霊場
十二支 展望台
〇仏足石・結縁弁財天・不動尊本堂にお参り出来ないお方は
〇内仏堂(千手観音へ)
〇納経朱印・お礼・御祈祷御供養・御相談等のお申込は事務所総合受付へ
正面が内仏堂のようだ。
撮影は遠慮したが、千手観音像が間近から拝めた。
追記:
あとでマップを確認したら、これは千体観音堂で、内仏堂は左手の山門を入ったところのようでした。
失礼しました!
追記おわり
「寶船」。
道標によると本堂まで5分ほどで登れるとのことだったが…
高齢の参拝者のためにスロープカーなるものが用意されていた。同行者は足弱なので、ありがたく利用させていただいた!
利用料金200円。ただし「志」ということで自主的に料金箱に投入する形式だった。
定員6人とのことで、2往復くらい待たされた。
その間に撮ったスマホ写真。内仏堂周辺ではいちばん色づいていたモミジ越しの石仏。
角度を変えて同じモミジの木ごしの石塔。
イチョウかな? 高いところだけ黄葉していた。
とかなんとか思っているあいだにスロープカーが来たので乗った。レールは1本で右側の足場は非常時の脱出用だろう。
傾斜もカーブも、かなりきつい。
だが徒歩で5分ほどの山道の代替だから、そんなに距離があるわけではなかった。
降車場。顔消し失礼します。
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スロープカーを降りると、本堂と随求堂〔ずいぐどう〕という建物を結ぶ渡り廊下あたりに出た。
弘法大師像。「筆弘法大師 筆塚」と刻んであった。
筆弘法の手前あたりにあった案内板。
織田信長の眺めた
尾張・美濃
永禄八年(一五六五年)九月十八日信長公は柴田勝家を伴い参詣のみぎり、当山を清州城の鬼門鎮護の霊刹としました。
この展望台からの風光は信長も眺めたはずですね!
先々週10月29日付の拙エントリー に、岐阜人の信長好きは異常という意味のことを書いたが、愛知人にも似た傾向があるらしい。
随求堂を見上げたところ。信長の看板は正面に、筆弘法の石柱は左手前にある。
随求堂右側の本堂。
上の写真を撮ったとき、背中あたりに巨木と説明書きがあった。
犬山の巨樹古木 No.43009
寂光院のラカンマキ
樹種:ラカンマキ(マキ科)
幹周り:255cm 樹高:18.Om
樹齢:推定400年
常緑高木(雌雄異株~この木は雄株)
原産地は中国でイヌマキの変種。
雌株には秋になると実がなるが、赤い衣に丸頭の羅漢(修行僧)に似ているのでこの名がついた。
犬山市エコアツプリーダー巨樹調査グループ
(2012年12月)
そのラカンマキごしに本堂を撮ってみた。
本堂。ちゃんとお参りしました。本尊の千手観音像が覗けた。
渡り廊下を渡って、随求堂へ。大随求菩薩像が安置されているというが、覗いたら厨子の中に納まって扉が閉まっていた。左右に(たぶん)三十三体の観音像があった。
その大随求菩薩の写真は、置いてあった無料パンフレットに載っていた。同じパンフレットには「右回り三回巡礼」といって堂の回廊を三回回るという作法が載っていた。
追記:
パンフレットからスキャンした大随求菩薩像の写真、載せちゃおうかな。
同じパンフレットから「右回り三回巡礼」の写真も。
追記おわり
一回しか回らなかったけど、回廊から見た木立ち越しの市街。回の字が多いな。おそらく犬山市ではなく木曽川を隔てた隣街の各務原市であろう。
本堂の周辺に、あざやかに紅葉した木が一本だけあった。
接写。一本だけでも、あるとないとじゃ大違いだった。
スロープカーに戻ろうとすると、正面に仏足石、仏手石というのがあった。
佛足石と佛手石
佛陀釈尊は今から二、五OO年程前八〇才を一期として入滅されましたが最後の最後迄、休むことなくインドの熱砂の上をはだしで、布教教化の旅を続けられました。
佛足は「釈尊の健康、健脚」ことのほか「前向きに生き抜く勇気」の象徴であり、佛手は大衆に身振り、手振りでやさしくお教え下さった「知恵と慈悲」の象徴であります。
山主 合掌
仏足石はときどき見るけど、仏手石というのは初めてだ。いいけど。
ということで、スロープカーを使って下山。
上った時は定員いっぱいだったけど、下りるときは貸し切り状態だった。
そんなで心置きなくスマホ写真をいっぱい撮らせてもらった。操作パネルが駅にあるエレベーターに似てる。
「お見送り大師」。来しなの「お迎え地蔵」とセットになっているのだろうか。
犬山市は観光資源が多いところで、これは帰途の踏切待ちの間に撮った木曽川に架かる橋(あとでぐぐったら犬山橋というそうな)を渡る名鉄電車だが、正面の岩山は上流から見るとかなりの奇景だった。このあたりの木曽川は「日本ライン」という異称があり奇岩巨岩めじろ押しなのだが、残念ながら運転中だったので撮るわけにはいかない。
書いてて今思いついた。Googleストリートビューを埋め込めばいいのか。臨場感は肉眼にしくはないが、それでもあったほうがいいと思ったので。
撮るわけにいかないといえば、帰途は木曽川北岸の岐阜県道95号線を使ったが、対岸に犬山城が「えっ、いいの?」と思うくらい大きく見えてとてもよかった。残念ながらこれも撮るわけにいかない。
これもストビュ埋めちゃえ!
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