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岐阜市の粕森公園と梅林公園に早春の木花を見に行った(前編:粕森公園)

所用があって、立て続けに何度か岐阜市を訪れている。

前回2月24日付拙記事 に、カワヅザクラの開花便りがしばしばTVの報道で流れるようになったと書いた。

のみならず、読者登録している何人かの「はてなブロガー」さんもカワヅザクラのエントリーを公開されている。

うちの近所でカワヅザクラの名所はどこだろうと検索したところ、前回記事に書いた一宮市萬葉公園の他には、岐阜市の粕森公園〔かすもりこうえん〕というところがヒットした。

元岐阜県民(岐阜市民ではない)にもかかわらず粕森公園を知らなかったので、検索した。金華山系の水道山の山麓にあり、梅林公園のすぐそばなのか。梅林公園は地元では有名なので、さすがに知っていたけど。

 

そんなで空き時間を利用して行ってみた。

東口というのかな、とっつきに児童遊具があった。

 

この並木がカワヅザクラだろうか? 花の気配はなかった。

 

木の根元に説明板がないか探してみた。

弊ブログ勝手に恒例、文字起こし。改行位置、変更しています。英文、ルビある場合は省略します。以下同じ。

イノシシに注意!
 イノシシの出没情報が周辺で多く寄せられています。
 以下のことにご注意ください。
○絶対にエサをやらない。(他の野生生物にも)
○イノシシを見つけた場合は、まれに人を襲うことがあるので、静かにその場を離れる。
  梅林自治会連合会
  岐阜市公園整備課
  岐阜市金華山一帯のイノシシ被害対策協議会

これはこれで面白いけど、これじゃない(見りゃわかるだろ>自分

 

この写真の右下の方にあった。カワヅザクラで間違いなかった。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/w/watto/20230227/20230227132529.jpg

 カワヅザクラ
バラ科 サクラ属
オオシマザクラとカンヒザクラの自然交雑種であると推定されており、1月下旬から2月にかけて開花する早咲きの桜である。花弁は淡紅色で、ソメイヨシノよりも桃色が濃い。
  岐阜市

 

ツボミをいくつか接写した。

まだ固いが、開花はそんなに先でもなさそうだ。

 

この並木が満開になる頃に、また見に来たいが、都合つくかな?

 

道すがら、可憐な紅梅が開花しているところを見かけた。

 

粕森公園の石刻門標。

 

上の石碑ごしにもちらっと見えている「粕森公園及び周辺案内図」。

山麓の並木道はごく一部で、メインは遊歩道(水道山の登山道?)のようだ。

 

ものすごいループ状階段があった。おそらく登山道に接続しているのだろう。

この日は別の用件を済ませた後で疲れていたので、上る元気はなかった。

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ループ状階段の右側(北側)は、橿森神社〔かしもりじんじゃ〕という神社の、参集殿という施設だった。

さらにその右側に橿森神社があった。

粕森〔かすもり〕公園と橿森〔かしもり〕神社か。こういう地名にありがちな微妙な表記や読みの違い、なんとなく、いいなぁ。どこがいいのか説明を求められたら、ちょっと困るけど。

 

拝殿。こういうとき、ご挨拶の参拝は欠かさないようにしている。

 

由緒書きの石碑があった。

 橿森神社由緒
神社の創建は第十二代景行天皇の御代と伝えられています。
祭神は、市隼雄命(いちはやおのみこと)が祀られ、
父君は、五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと 伊奈波神社)
母君は、渟熨斗姫命(ぬのしひめのみこと 金神社)です。
 裏山には、神が天馬にまたがり休息した時、天馬が残したという爪痕が残る岩があります。
神社前の御薗の榎(えのき)は楽市楽座の跡で、織田信長は当地の美園に制札を与え、その権利を認めました。
 境内には神佛合祀を示す石灯篭(天明六年)があり、その銘から瑞竜寺との関係がうかがわれます。
 なおご祭神のお墓は、各務原市蘇原市林山の山頂にあります。
  御神徳 夫婦円満 子供の神様

伊奈波神社と金神社は、いずれも岐阜市内の有名な大神社である。

五十瓊敷入彦命と渟熨斗姫命は、ぐぐるとウィキペに項目があり、記紀の時代にありがちな皇位継承をめぐる悲劇的なエピソードが表示される。

そこから「夫婦円満」「子どもの守り神」というご利益が導かれるのは、神社らしいと言うか何と言うか。

 

橿森神社は由緒ある神社らしく、摂社末社が多かった。

そのうちの一柱、岐阜信長神社。これも、こんなところがあると知らんかった。

岐阜県民、岐阜市民の信長びいきは、いつもながら、なんともはや。

岐阜信長神社 御由緒
御祭神 贈太政大臣正一位 織田信長公
由緒
 今から四百二十余年を遡る永禄十年(一五六七年)井の口から岐阜に名を改めた織田信長公は、城下町の発展をすすめる為、ここ美園の里に楽市楽座をひらかれた。
 縁の深いこの地に、明治天皇より信長公の御偉勲に対し建勲神社の神号を賜った京都の別格官幣社建勲神社の御分霊を勧請した。
 国家安泰・万民安堵を始め商売繁盛・災難除けの神としても崇拝されている。
国家安泰・万民安堵・商売繁盛・出世開運

信長のご利益が、こういうことになるあたり(以下略

 

橿森神社と岐阜信長神社の手前にあった巨木。

たぶの木
(椨)
この木は照葉樹林の一種で年間を通じ葉を落とすことなく太陽の光を受けて反射し光り続けている樹木であり長良川以西の太平洋側に多く樹生しています

 

神社だか公園だかの外垣に、咲き残りのツバキがあった。

サザンカではなくツバキだと思う。ぐぐるとサザンカの開花時期:10月~12月、ツバキの開花時期:12月~4月、また葉っぱの葉脈が白っぽいのがツバキ、黒いのがサザンカとのことだったので。

 

なんとなく、がっつり花を見たくなってきた。気づくとそこかしこに「ぎふ梅まつり 2023年3月4(土)、5(日)」というポスターが貼られていた。

今年のウメは百梅園と萬葉公園ですでに見ているが、こういうものは何度見たって構うものか! ということで徒歩でもぜんぜん苦にならぬ距離にある梅林公園に移動した。

(この項つづく)

www.watto.nagoya

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