4月20日付 ならびに 22日付拙過去記事 には、身内がハナミズキを見たいみたいなことを言い出してどうしようかあれこれ考えた旨を書いた。だが一週間ぶりに実家に顔を出すと、ボタンを見に行きたいと言っているではないか? 今回に限ったことではないが、気まぐれな人である。
でもって具体的な場所として提案されたのが、郡上市にある桂昌寺という寺院だった。どこかのTVで満開だと放送されたようだ。
マップで調べると、実家から高速を使って片道1時間弱、下道だと1時間半近くかかるようだ。片道2時間とちょっとかかる大府みどり公園より近くはあるが。
それくらいなら仕方ないと車を出す気でいたら、直前になって「前日、激しい雨が降ったから花が落ちているかも知れない。近いところでいい」と、やはりボタンで名高い本覚寺を提案された。こちらは車を使えば十数分の距離で、至近である。
言わなかったけど内心「ありがたい!」と思いつつ、運転しなくても車で長距離移動するのは疲れるのだろうとも想像した。
車を停めるところがあるか、ちょっとだけ心配ではあったが、門前に十分なスペースのある参拝者用無料駐車場があった。こちらもありがたい!
その駐車場から本堂と境内を見たところ。
駐車場に面して掲げられていた説明書き。
弊ブログ勝手に恒例、文字起こし。改行位置、変更しています。以下同じ。
真如山本覚寺
当山は福井県の永平寺と横浜市の総持寺を二大本山とする曹洞宗(禅宗)のお寺です。
当山は永正(一五〇四~一五二〇年)の頃、時の領主・不破綱広源六公が始祖・本覚寺殿大雲義沢大居士のために一宇を創建したのを始まりとします。竹鼻城主の菩提寺といわれる由縁です。
その後、当山は小牧長久手の戦い、関ケ原の戦いの戦乱、安永三年(一七七三年)の大火、明治二十四年(一八九一年)の濃尾大震災などに見舞われ、そのたびごとに倒壊・焼失、復興・再建を繰り返し、現在の伽藍は大正四年(一九一五年)に建立され、第二次世界大戦の戦火をまぬがれ今日を迎えています。
本尊は宝冠釈迦牟尼如来、本堂内には十六羅漢像の他に少なくとも江戸期に製作された百二十五体の震災の傷あとが痛ましい羅漢像が祀られ、天井には幕末の勤王家で京都の大和絵師であった浮田一恵による八方にらみの雲龍(岐阜県重要文化財)が描かれています。この板絵は濃尾大震災により破損したのですが、本文再建の際に森村宜稲画狛によって復元されたものです。当山には同画伯による八面の松の襖絵があり、期間限定で展示されています。
本堂の左手奥には不破家伝来の霊験あらたかな茶枳尼天をご神体とする竹鼻稲荷大明神が祀られ、数知れぬ多くの人びとの信仰を集め、節分や初午には盛大に祈祷法会が営まれています。
また、庫裡の裏手にある境内墓地には美濃聖人・永田佐吉翁(一七〇一~一七八九年)の墓所(岐阜県指定史跡)があります。
なお、境内の万霊塔上には満面に笑みを湛えられたお地蔵さまを始め、如意輪観世音さまや十一面観世音さまが祀られ、そのぐるりや稲荷堂の周辺には百数十株の色とりどりの牡丹が植えられ、四月中旬から五月の始めまで、参詣者の目を楽しませています。
羽島市観光協会
この説明書きは、あとからちょこちょこ参照させてもらいます。
山門近くのボタンを、さっそくスマホで撮った。
ちょい接写。柵の節の抜けた竹を真上から見ると、印刷の汚れのように見えて脳がちょっとバグった。
境内に咲いていたボタンのスマホ写真を、もう何枚か。
4枚上の写真の左奥に写っている「摩頂地蔵尊」というお地蔵さんと、さらにその左奥にあった顔出し看板。顔出し看板には見づらいが「ハイ ボーズ」と書いてある。
由緒書きの石碑。
由緒
過去、このお地蔵さまは子供の供養仏であられたが、頭部を破壊され、大層お痛みであられた。今、誓願も新に「頭のことで悩める衆生を救わん」とお姿を改めお立ちになられました。かざされた御手の下に立ち、合掌し、心からおすがりする時、頭をなでさすり(摩頂)苦しみを解いて下さいます。両脇の小坊主地蔵さまは願いを持つ者と大地蔵さまとの間を取持って下さるお方です。
ちょっと怖いことが書いてある。先の説明書きにはこの寺院が度重なる戦乱、災害に襲われたことが記されていたが、その折に損なわれたのだろうか? まさかイタズラってことはあるまい?
池のほとりに、アヤメが開花していた。
本堂。「絵天井 県文化財 ご自由におあがり下さい」と書いてある。
先の説明書きにあった雲竜の天井画、本尊の釈迦三尊座像、彩色された十六羅漢像などが拝観できた。賓頭盧尊者像もあった。
だが、撮影禁止とのことだったので写真を示すことはできない。
天井画の写真は公式HPで見ることができるので、ブログカードを貼る
追記:
検索したらYoutubeチャンネルがあった! 「 おびんずるさま お参りの仕方」というのをエンベッドしちゃえ!
時事ネタなので忘れちゃうからニュースのブログカードも1枚だけ貼っておこう。
追記おわり
本堂前にもボタンが咲いていた。
本堂左側にお稲荷さんがあった。
こういうとき、ちゃんとお参りをする主義だが、柏手を打つべきかちょっと迷った。
やや控えめに打ったが、あとから考えると説明書きにあった茶枳尼天というのは同じく曹洞宗の寺院である豊川稲荷と同じだから、柏手を打たず合掌礼拝だけすればよかったかも知れない。
東海地方では、神社の境内にお地蔵さんがあったり、それどころか三重塔や多宝塔が残っているところがあったり、神仏分離がわりと緩かったのではないかと思われる(三重塔は岐阜県神戸町の日吉神社、多宝塔は愛知県知立市の知立神社、他にもあるかも知れない)。
いっぽう同じ岐阜県でも google:東白川村の廃仏毀釈 は有名だったりする。今後の研究課題だな。何をどう研究するんだ?
お稲荷さんの赤い鳥居の奥にあったボタンの株。ボタンは品種によって花の形がずいぶんと違うもんだ。
この寺院は、境内の真横を名鉄電車の線路が通っている。
折よく電車が来たので撮ってしまった。
走り去る電車も撮ってしまった。
追記:
本覚寺さんのYouTubeもう一枚貼らせていただきます。去年(2022年)のボタンの様子だが、電車やっぱり気になりますよね。