大学の先生の話を聞く機会がある。家族や親戚に学齢期の子どもがいないから「今はそうなのか」と興味深い思いをすることが多い。
とは言え「なんだそれ?」と思うことも、しばしばである。今期(この4月から)聞いた話で「あれっ?」と思ったのは大学の授業の採点で、100点満点中60点以上で単位が出るのはこれまでと同じだが、文科省から「合格者の平均点が70点台になるよう調整してくれ」というお達しが出たとのこと。大学は相対評価ではなく絶対評価だったのではないの? つか何のために、そんなことをするのだろう?
文科省がどっかズレてると感じるのは昔からで、有名なところでは何年か前にSNSで「#教師のバトン」というハッシュタグを募集したことがあった。教師という職業のやり甲斐を先輩から後輩に伝えようという意図だったそうだが、実際に応募が殺到したのは教育現場の過酷な労働環境を訴えるポストだったという。
顔見知りの先生も、新規の共通授業の教材開発をしている先生を思いやって「〇〇先生、タヒんじゃうよ」と話していた。そういうあなたも、けっこうな激務ぶりではないですか。
のっけからネガティブなことばかり書いてしまったが、ほんらい文科省職員に限らず国家公務員は優秀な人たちばかりのはずで、また意図的に自国民をしいたげようと思って仕事をしているはずもない。世の中をよい方向に向けようという意図は感じられるのだ。
何年か前に「アクティブラーニング」あるいは「主体的・対話的で深い学び」という志向について、聞いた。AI・機械学習のディープラーニングとは別物である。
従来の教育は講義形式の一斉授業だったが、それを教師主体から学習者主体(教師はサポート役)に、
教師から学習者への知識伝達から、学習者の主体的な知識獲得に、
記憶中心から解釈・理解中心に、
クラス内のコミュニケーションがあまり考慮されなかったのを重視するように、
それぞれ変革しようというものだそうだ。
へぇ、なるほどと思いつつ私は根がネガティブなやつなので「うまくいくんかいな」という疑念が先に浮かんだ。海外の学校と比べた日本の学校の明らかな違いは、多くの国では学生・生徒の発言が自然にどんどん出て教師は抑制しなければならないが、日本では教師が発言を促さないとなかなか出てこないことだと言われる。
これは7年ほど前(うわもうそんなになるの?)1週間だけだったがニュージーランドの語学学校に短期留学したときに、私が自分で体験したことでもある。教室のつくりは、かの国も日本もそっくりなのだが、生徒の授業態度が明らかに違った。私より先に留学していた日本人生徒が一人いたが、講師が "Jananese?" と発言をうながすことがすでに常態化していた。留学生の国籍は多岐にわたったが、ほかの国でそんな扱いを受けていた生徒はいなかった。
とまれ、アクティブラーニングは教育現場へのICT(情報通信技術)機器の導入と並行して進められ、愛知県内のとある小学校が先進的な取り組みをしていてYouTubeに授業内容を発信している。
拙過去記事の創作で、それをモデルにさせてもらったことがある。私が全くの想像で書いたものなので、実態とどの程度合っているかはわからない。たぶん違うと思う。
今期、新たに印象に残った言葉に「肯定的相互依存」というのがあった。協同学習を成立させるための要素の1つで、早く言えば「一人はみんなのために、みんなは一人のために行動する」ということだそうだ。ラグビーのモットーではなかったかと思って確認のため検索したら、AIに元ネタは『三銃士』だと言われた。
例示されたのが、文化祭でのクラスの出し物だった。まずはイベントを成功させるという目標を定め、メンバーごとの役割分担を定めたら、メンバーはそれぞれ分担した役割に集中する。どこかに遅れが生じたり協力が必要になったりした場合は、互いにサポートする…
話を聞いていて、思い当たることあるあるでちょっと胸が苦しくなった。逆の極端を考えると、わかりやすい。意図的に足を引っ張り合ったとまでは言わないまでも(いやそれ実はあったぞ)、「自分はこれだけ苦労しているのだから、他人ももっと苦労するべきだ」みたいな態度をとったりとか…
なんでそんなことを今になって書こうと思ったかというと、きっかけは今次の参院選で首尾よくゼロ打ち当選を達成した某候補のスタッフの対談を、動画配信アプリで流しっぱしていた。そうしたら「みんな勝手に自分のことをやっていればいいから楽だった」みたいなことを言っていた。
そう、「肯定的相互依存」なるものが成立していると、楽なのだ。それほど実例は多くないが、私もそういう経験をしたこと、なくはない。自分の仕事にだけ集中しているうちに、他のメンバーの分担分もできあがっていて、最後に組み合わせれば完成となったときの楽さときたら!
もしも、そうした「楽さ」を言語化したものが「肯定的相互依存」であれば、歓迎である。普及してほしい言葉である。
だけど、教育現場で「楽」とはあまり言わないかな。言い出しっぺのはずの文科省にそういう意識があるのかも、「平均点70点」や「#教師のバトン」を思い起こすと大いに怪しい。そもそも「楽さ」は「肯定的相互依存」に対する私の独自解釈にすぎない可能性が濃厚である。
教育現場で「楽」を強調することが、皆無ということはないんだけど。ICT、具体的にはワードやエクセルを使いこなすと「業務が楽になる」という言い方は、普通にするみたいだ。
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