しいたげられた🍄しいたけ

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【創作】転生したら親鸞だった?(10)第2景【鎌倉編】車借・捨六(4/6)

暫定目次 各「その1」のみ クリックで詳細表示

(1) 第1景【現代編】猪飼家のマンションにて(1/6)

(7) 第2景【鎌倉編】車借・捨六(1/6)

(13) 第3景【鎌倉編】馬借・欠七(1/2)

(15) 第4景【現代編】個室病棟にて(1/2)

(17) 第5景【鎌倉編】ボクの無双(1/2)

(19) 第6景【鎌倉編】被差別集落(1/4)

(23) 第7景【鎌倉編】霊感商法(その1)

新着お目汚しを避けるため、日付をさかのぼって公開しています。登場人物の生死にかかわる展開や、排泄関係を含む劣悪な衛生状態に関する記述が頻出するので、閲覧注意です。今回は、いよいよ汚いです。

前回はこちら。

watto.hatenablog.com

 

(主人公のナレーション) やはり転生する直前だが、髙橋昌明『京都〈千年の都〉の歴史』(岩波新書) という本を読んでいた。

その本に、平安京のすさまじい衛生環境について書かれた部分があった (第2章「花の都の光と影」P52~)。
今回もページはあとから拾ったものである。

平安京の街路の両端には、それぞれ側溝が掘られていた。専用の下水道などない当時の住人には、生活排水の流路も兼ねていたという。

問題はこの溝に住人が塵芥すなわちゴミを投棄して顧みなかったことで、平安時代の公文書からは側溝から水があふれ通行人がぬかるみに悩まされたり側溝そばの民家が浸水被害に遭っていたりしたことがわかるという。

さらにやっかいなのは、この溝渠には人間の排泄物も流されていたことだ。

貴族邸では側溝の流水を築地塀ごしの暗渠でいったん邸内に引き入れ内塀側の木枠に流し、汚水を混ぜて別の暗渠から築地外の溝へと出していたそうだ。一種の水洗トイレである。

一般民衆の場合は老若男女問わず街頭排泄があたりまえで、街路の一部に糞便が堆積していたことを伝える文献があるという。また後始末に使われた紙や捨木 (糞ベラ) も散乱していたという。

そして大雨が降り、鴨川が氾濫したり溝渠が溢水したりすれば、住人が飲料水を依拠していた井戸に汚水が流入する。

上掲書には万寿3(1026)年、京中の井戸にヒルのような小虫が発生し、これを飲んだ者は腫れ物ができたという気味の悪いエピソードが紹介されている。また平安時代の京都において赤痢の発生は8回記録されているが、規模の小さいものを含めればずっと増えると推測している。

 

そんなことを思い出しながら先導する捨六さんの後姿を見ていたら、何気なく髪の鬢のあたりを掻いたとき、黒い小粒が重力の法則に逆らって斜め上方に飛び出すところが目に入った!
ノミがジャンプするという知識はあったが、21世紀の日本では実物を目にする機会はなかった。

 

なお本編のストーリーとは関係ないが参考までに、上掲書には16世紀すなわち室町時代後半から戦国時代にかけて人糞尿を肥料に転用する技術が確立したことが述べられている (第6章「都を大改造する」P52~)。
意外と時代が下るのは、排泄物を肥料にするには肥溜めに貯蔵し青みがかるほど腐熟させねばならず、そのためには便所で排泄を管理する必要があったためだそうだ。排泄物を直接田畑に撒いても、肥料にはならないようだ。

これはこれで気味のよい話ではないが、これによりポルトガル宣教師ルイス・フロイスに「われわれ (ヨーロッパ人) は糞尿を取り去る人に金を払うが、日本ではそれを買い<後略>」などと語らしめ、スペイン人ドン・ロドリゴに「かくの如く<中略>清潔なる町々は世界のいずれの国に於いても見ることなきこと確実なり」と書かせたという。

つい余計なことを言いたくなった。李御寧『「縮み」志向の日本人』 (講談社文庫) の最初のほうに肥溜めが韓国にもあることが書かれているから、排泄物管理の一点をもって日本の都市が世界一清潔だったと即断するのは早計だろう。また人糞の肥料への転用は、寄生虫禍のような弊害もあった。

時代の制約からは、なんぴとも逃れることはできない。大変な困難をともなうが時代からの跳躍は可能であるにしろ。

 

やがて我々は灌木に挟まれた小径を抜け、平地に出た。

左右には青田が広がっている。やはり春のようだ。ただし機械植えの苗が直線状に整然と並ぶ21世紀の田園と違って、手植えの田んぼは苗の列が緩やかにうねっている。だがていねいに手入れされていることは、明らかに見て取れる。

遠景に民家群が見える。草ぶきの屋根が大きく壁が低い、いわゆる「腰の低い」家だ。ぱっと見、復元模型で見る竪穴式住居と大差ない。

(この項つづく)

追記:

続きです。

watto.hatenablog.com