暫定目次 各「その1」のみ クリックで詳細表示
(13) 第3景【鎌倉編】馬借・欠七(1/2)
(15) 第4景【現代編】個室病棟にて(1/2)
(17) 第5景【鎌倉編】ボクの無双(1/2)
(19) 第6景【鎌倉編】被差別集落(1/4)
(23) 第7景【鎌倉編】霊感商法(その1)
新着お目汚しを避けるため、日付をさかのぼって公開しています。登場人物の生死にかかわる展開や、排泄関係を含む劣悪な衛生状態に関する記述が頻出するので、閲覧注意です。今回も、とくに汚いです。
前回はこちら。
(ナレーションは主人公「ボク」によるものである)
捨六「目的地の高田の郡衙〔ぐんが〕までは、あと一日の行程です。今夜は糸魚川の駅に泊まっていだだきます」
郡衙というのは郡の役所のはず。そして駅というのは、当時鉄道があるはずないから駅家のことだろう。つか、そもそも鉄道の駅という語が、駅家の駅を借用したのだ。駅家とは「レトロニム」というべきだろう。
そうやって歩いているうちに、下半身に猛烈な違和感を覚えるようになってきた。いや、ずっと意識していたのが、だんだん我慢ならなくなってきた。
汚い話で申し訳ないが、肛門周辺だ。
下帯との間に、ジャリジャリと砂との接触を感じる。おそらく今朝、用を足したあと、あたりの砂をかき集めてで後始末をしたのだろう。第10回 でも引用した髙橋昌明『京都〈千年の都〉の歴史』(岩波新書) によると平安時代でも紙や捨木 (糞ベラ) が用いられていた (P55~) とのことだが、流人にはそのようなものは与えられなかったのだろう。
流人に限らずこの時代の旅人は、野グソ立小便が当然だったに違いない。最初に捨六さんと会ったとき、彼が茂みの中から出てきたのは、たぶん用を足していたからじゃないかと思い返した。
しかも、ご存知の方が少なからずいるのではないかと思うが、大便は乾燥するとカチカチに固くなる。どうしても生じた拭き残しが、不快感をいや増しにするのだ。
目の前に、大きめの川があった。糸魚川だろうか。違うかも知れない。そもそも河道はひんぱんに変遷するから、糸魚川だったとしても21世紀の糸魚川とは別物だろう。
幸い周囲に人気〔ひとけ〕はなかった。捨六さんに、申し出てみた。
ボク「すみません、この川で水浴びをさせてもらえませんか?」
捨六「水浴びにはちょっと季節が早いようですが、慣れない歩きづめでお疲れになったのでしょう。構いませんよ。なんなら私も一緒に水浴びをしようかな」
助かったと思いつつ、また捨六さんも水浴びをするなら多少は臭いが気にならなくなるかなと思いつつ、葦の草むらの傍らに菅笠と笈〔おい〕を置き、そばに下帯以外の着物を脱いだ。
そして河原へと降り立った。
浅瀬では、ふくらはぎまでしか水に漬からなかった。本流の方へと進んでみた。
確かに水浴びには少し早い季節のようだった。浅瀬でもかなり冷たかったが、本流はさらに冷たかった。
だが背に腹は代えられないというやつで、下帯を外し、肛門周辺をゴシゴシ掃除した。そして下帯を洗濯しようとした…ところ、うわっ、流れに押し倒されて川底から足が浮いた!
流される! と思った瞬間、捨六さんの太い腕が、ボクの二の腕を掴んだ。いさぎよい素っ裸だ。
ボク「ありがとうございます」
捨六「本流に入っていくのはムチャですよ。水が太ももより上に来ると、流されます。それに川底はお椀のようにえぐれているから、自力では這い上がれません」
ボク「すみません」
下帯は流されてしまった。それで済んでよかったと思うべきか。
浅瀬の水に身を浸している捨六さんの恰幅のいい毛むくじゃらの体を尻目に、意気消沈しながら脱いである着物のところに戻った。
捨六さんの上着と下帯が、ボクの着物に重ねて置いてあるじゃないか!
恩知らずのようで申し訳なかったが、生理的嫌悪感を感じないではいられなかった。
とくに下帯! それを言葉で形容する勇気を、ボクは持たない。
それにノミやシラミ、ダニの類がボクの着物に移住するんじゃないかということも恐れた。
捨六さんが、まだ水浴びをしているのをいいことに、着物を何度も思いっきり振って払ってから身に着けた。下帯はなくなったが、仕方ない。
だがその努力 (?) も空しく、ふたたび歩き始めると、今度は体のあちこちが痒くなってきた。
本当にノミシラミが移ったのか、ボクの着物にも元からノミシラミがいたのかは、わからない。
また新たに噛まれたのか、元から噛まれていたのが意識に上らなかっただけなのかも、わからない。
しかし、これでは肛門の周りがマシになったとはいえ、また捨六さんの体臭がマシになったとはいえ、不快の度合いは変わらないではないか。いや、余計に悪くなった!
糸魚川の駅家には、それからほどなく着いた。ただし日は、しっかり西に傾いていた。
駅家は、こけら葺きというのだろうか、木の皮で屋根を葺いた建物だった。草葺きの民家を「腰が低い」と表現するなら「腰が高い」建物というべきだろう。
建物のうち何棟かは、牛を収容していた。屋外で牛の世話をしている人もいる。草や水を与えたり、体を拭いたり。
牛に曳かせると思われる車もあった。時代劇に出てくる大八車とそっくりだった。
駅は馬偏〔うまへん〕だが、ここは牛が多いようだ。
捨六「ここで泊っていただきます。明日は別の者が迎えに来ます」
ボク「お世話になりました。ありがとうございます」
駅家の宿泊室は、殺風景なガランドウに寝藁を敷き詰めただけの空間だった。そこに、すでに先客が何人か寝転んでいた。
ここにもトコジラミの類が潜んでいるんじゃないかと思った。
果たしてその晩、ボクは全身の猛烈な痒みに襲われた。のみならず高熱まで出た! 本当に高熱だったかは、体温計で計ったわけじゃないからわからない。だが寒気がして、ガタガタと体が震えて、このまま死ぬんじゃないかと思った。
捨六さんのせいかどうかはわからなかったが、内心、毒づかずにはいられなかった。
「あの疫病神ーっ!」
案内してもらったことや、川で助けてもらったことは、さて置いた。
そして痒みと寒気に耐えながら、もしこのまま命を落としたらどうなるんだろう? また転生するんだろうか? それはまたしてもトランスミグレーションなのかそれとも今度はリインカーネーションなのか、はたまたヘブンかヘルに行くのか、それともヘブンもヘルもないことをイマジンしなければならないのか、などなど悪いことばかりに想像を巡らせながら、体は疲れているのにまんじりともできぬまま夜を明かした。
(この項続く)
※ リアル作者注
糸魚川の駅家のディテールは想像によるもので、資料に準拠したものではありません。糸魚川に本当に駅家があったかどうかも、調べ切れていません。
追記:
続きです。
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