暫定目次 各「その1」のみ クリックで詳細表示
(13) 第3景【鎌倉編】馬借・欠七(1/2)
(15) 第4景【現代編】個室病棟にて(1/2)
(17) 第5景【鎌倉編】ボクの無双(1/2)
(19) 第6景【鎌倉編】被差別集落(1/4)
(23) 第7景【鎌倉編】霊感商法(その1)
新着お目汚しを避けるため、日付をさかのぼって公開しています。体裁にこだわらず頭の中にあるものをダンブしている、という意味です。 あとからどんどん手を入れる予定です。前回はこちら。
(主人公「ボク」による語り)
西明住職の言葉に、ボクは驚き、かつ失望させられた。
西明「金老人と会ったのか。"熊野の衆" の長〔おさ〕だな」
ボク「ご存知なのですね」
西明「とうぜんだ。こんな小さな村だ」
ボク「"熊野の衆"、というのですか?」
西明「熊野神社の裏手に住みついているから、みんながそう呼んでいる。彼らを紫雲寺に入れることは、できない」
ボク「どうしてですか?」
西明「私は構わない。だが村の衆が "けがれている" と言って嫌がるのだ」
ボク「それはおかしいです。"熊野の衆" とボクも呼びますが、彼らはみんなの必要とする仕事をしているんです。戦災に遭った人たちだって、彼らは被害者であって彼ら自身の責任じゃありません。もし村の人たちがそんなことを言うのであれば、説得するのが筋じゃないでしょうか」
西明「みんなに説得が通じればいいが、それでも嫌だという者は少なくあるまい。この紫雲寺の本堂は、さまざまな行事で使われる。支障が出ては困るのだ」
平行線だと思った。
"自分はいいが他人が嫌がる" というのは、21世紀のネットミームでいうところの「太宰メソッド」に他ならない。 元ネタは太宰治『人間失格』の "世間が、ゆるさない" "あなたが、ゆるさないのでしょう?" という主人公の独白である。
何より嫌だったのは "差別" の発生する現場をまのあたりにし、それに対してボクがまったく無力であることを体感させられたように思えたことだ。
後世の江戸時代のように "差別" が体制のシステムに組み込まれていなくても、人間は絶えず "差別" に流される傾向がある。21世紀の社会においても、一人一人がややもすると自分の中に芽生えがちな "差別" に敏感にならなければならない。そして、それはとても難しいことなのだ。
西明住職の反対が、かえってボクの決意を固くした。
ボク「それではボクが "熊野の衆" の人たちのところに出向いて、話をするのは許してもらえますか」
西明「それは構わない。自由にすればよろしい」
あっけなく許しが出て、かえって拍子抜けした。
西明「無財の七施〔むざいのしちせ〕すなわち眼施、和顔施、言辞施、身施、心施、床座施、房舎施は功徳である。諸悪莫作、衆善奉行〔しょあくまくさ しゅぜんぶぎょう〕という釈尊の御心に叶う行為だ。私に止めることはできない」
あとで調べたところ眼施は優しいまなざし、和顔施はなごやかな表情、言辞施は優しい言葉、身施は体を使った奉仕、心施は心遣い・思いやり、床座施は席を譲ること、房舎施は家を宿として提供することだそうだ。
また諸悪莫作、衆善奉行は、早く言えば "悪いことをするな、よいことをしろ" ということだった。
物語を語りに出かけることは、身施に相当するだろう。文字の通りに解釈すれば、言辞施もそれに当たるかも知れない。
それを言い出したら、本堂を利用してもらうことは、床座施や房舎施に当たるんじゃないかと思ったが、あえて食い下がらなかった。
なにより "熊野の衆" の人たちには、目や足が不自由な人も少なくない。ボクが彼らのところに出向くことが、最初から本命だったのだ。
どうか誤解をしないでほしい。ボクは功徳を積みたくて熊野神社に通うことを決めたんじゃない。物語を語って他人に喜んでもらうことこそ、作家としての本望なのだ。冥利なのだ。
ということで、さっそく翌日から昼間は "熊野の衆" のところに出向き、夜は紫雲寺でお百姓さんたち相手に話をするという、2部構成の日々が始まった。
(この項つづく)
追記:
続きです。
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