目次 各「その1」のみ クリックで詳細表示
(13) 第3景【鎌倉編】馬借・欠七(1/2)
(15) 第4景【現代編】個室病棟にて(1/2)
(17) 第5景【鎌倉編】ボクの無双(1/2)
(19) 第6景【鎌倉編】被差別集落(1/4)
(23) 第7景【鎌倉編】霊感商法(1/5)
(28) 第8景【現代編】ボクシング
(29) 第9景【鎌倉編】地頭・稲田(1/2)
(31) 第10景【現代編】哲学者
(32) 第11景【鎌倉編】心霊教ふたたび
(33) 第12景【現代編】裵〔ペ〕デスク
(34) 第13景【鎌倉編】刺客
(35) 第14景【現代編】守衛
(36) 第15景【鎌倉編】大団円(1/4)
(40) 第16景 鎌倉編の後始末
(41) 終景 現代編の後始末(1/3)
新着お目汚しを避けるため、日付をさかのぼって公開しています。体裁にこだわらず頭の中にあるものをダンブしている、という意味です。 あとからどんどん手を入れる予定です。前回はこちら。
(主人公「ボク」による語り)
カメさんというのは、小太りの40代くらいの女性だった。もう一人、顔色が悪く無口な30代くらいの女性を伴っていた。
カメさんは、マメさんとボクに目もくれず、イネさんに語りかけた。
「イネさん、今日は "みんなの真のお母さま" のところに、証文の手形を押しに行く約束でしたね」
イネさんはおびえた表情を浮かべた。
「すみません、とりこんでいました」
カメ「迎えに来ました。すぐに出かけましょう」
マメさんが、大きな声を上げた。
マメ「やめてください! 母はまだ同意していません」
カメ「またあなたですか。あなたは左袒〔さたん〕です。私たちはあなたの相手をしません」
サタン? なんだそれは? ボクは思わず口を出した。
ボク「ちょっと待ってください。マメさんはイネさんの娘さんです。関係ないは、失礼じゃないですか? それにサタンって何ですか?」
カメ「おや、お客さんでしたか」
坊主だと名乗ると、イネさんのときと同じように「外国の宗教」と頭ごなしに否定されると思ったので、俗名を名乗ることにした。
ボク「私は藤井善信という者です」
カメ「私はカメ。"世界統一家族心霊教" の正悟師です」
うわっ、なんだその肩書きは?
カメ「左袒というのは "味方する" という意味です。イネさんの娘は悪魔の味方になってしまったのです」
家族の分断か。これもカルトや悪徳商法の定石だ。この人たちに対しては、手加減は不要と判断した。
ボク「左袒とは、どういう意味かご存知ですか? もともと "左肩を脱ぐ" という意味なんですよ。そして、どうして左袒が "味方をする" という意味になったかは、ご存知ですか?」
幸いボクの守備範囲だった。乱読した書籍が、頭の中の引き出しから出てきてくれた。
カメ「…」
ボク「出典は古代中国の歴史書『史記』です。中国前漢王朝初期の "呂氏の乱" に際して、漢の将軍・周勃が "呂氏に味方する者は右袒せよ、皇帝の劉氏に味方する者は左袒せよ" と号令して、全軍が左肩を脱ぎ呂氏を討ち果たしたことに由来するのです。左袒するほうが、正義なのです!」
歴史の勝者を "正義" と称するのは疑問の余地があるが、こういう場合は言い切らなければならない。
思い通り、カメさんは絶句した。ボクは、さらに畳みかけることにした。それで事態が好転するかどうかはわからなかったが、こうなっては引くに引けなかった。
ボク「それに "悪魔" って何ですか? 仏典中の有名な悪魔というと魔王・波旬〔はじゅん〕くらいですが、『維摩経』では在家信者の維摩居士との議論に敗れ三千人の侍女を連れ去られてしまうという、なんとも情けない役回りです」
カメ「…」
ボク「悪魔は『雑阿含経』の全体の十分の一ほどの章にも出てきますが、もっぱら仏陀に問答を挑むという役回りで登場し、ことごとく仏陀に言い負かされて退散しています。私たちが恐れるべきは、悪魔なんかじゃないです。この世でいちばん恐ろしいのは、生きている人間に他なりません!」
キリスト教の聖書に出てくる悪魔の話もしたくなったが、残念ながら通じまい。興味深いことに、イエスや旧約聖書の聖人たちを "試す" あるいは "誘惑する" という役回りが仏典とそっくりである。また、ヤハウェや天なる父に完全に屈服し従属している。よく言われることだが、聖書でいちばん恐ろしいのはヤハウェまたは天なる父なのだ。
カメ「わかりました。あなたも左ですね。左袒ですね」
またまた何だよ "左" って??
ボク「だから、左だったら何だと言うのですか? 左袒だったら何だと言うのですか? 私はまったく困りませんよ」
カメ「あなたは左です! 左袒です」
ボク「だーかーらー、あなたにそう思われても、私はぜんぜん平気なんですったら!」
そんな調子で、しばらく押し問答が続いた。だが、当然ながら平行線のままだった。
カメ「いつまで話していても、キリがないようですね。とにかく私たちはイネさんを "みんなの真のお母さま" のところに連れて行かなければなりません」
ボク「誰ですか、その "みんなの真のお母さま" というのは?」
カメ「世界統一家族心霊教の教祖・鶴御前さまです」
ボク「では、私も一緒に行きましょう」
マメ「私も一緒に行きます」
カメ「迷惑です。ついてこないでください」
ボク「そういうわけにはいきませんよ。だいたいあなたに、私たちを止めることはできないでしょう」
マメ「私はイネの娘です。どうして一緒に行っちゃいけないのですか?」
カメ「御前さまの恐ろしさを知らないのですね。後悔しても知りませんよ」
(この項続く)
※ リアル作者注:
どうでもいいムダ知識をひけらかします。
左袒のエピソードは、『史記』「呂后本紀」に出てきます。
魔王・波旬 (パーピーヤス) は、『維摩経』の持世菩薩 (ジャガティンダラ) の章に出てきます。
『雑阿含経』の悪魔の章は、現代語訳が中村元訳『ブッダ 悪魔との対話―サンユッタ・ニカーヤII』(岩波文庫) 第IV~V篇 (P13~82) で読めます。
追記:
続きです。


