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【創作】転生したら親鸞だった?(41)終景 現代編の後始末(1/3)

目次 各「その1」のみ クリックで詳細表示

(1) 第1景【現代編】猪飼家のマンションにて(1/6)

(7) 第2景【鎌倉編】車借・捨六(1/6)

(13) 第3景【鎌倉編】馬借・欠七(1/2)

(15) 第4景【現代編】個室病棟にて(1/2)

(17) 第5景【鎌倉編】ボクの無双(1/2)

(19) 第6景【鎌倉編】被差別集落(1/4)

(23) 第7景【鎌倉編】霊感商法(1/5)

(28) 第8景【現代編】ボクシング

(29) 第9景【鎌倉編】地頭・稲田(1/2)

(31) 第10景【現代編】哲学者

(32) 第11景【鎌倉編】心霊教ふたたび

(33) 第12景【現代編】裵〔ペ〕デスク

(34) 第13景【鎌倉編】刺客

(35) 第14景【現代編】守衛

(36) 第15景【鎌倉編】大団円(1/4)

(40) 第16景 鎌倉編の後始末

(41) 終景 現代編の後始末(1/3: 本稿)

新着お目汚しを避けるため、日付をさかのぼって公開しています。"死" に関する、ちょっとシリアスな議論が出てくるので閲覧注意です。

前回はこちら。

watto.hatenablog.com

 

電車の中。猪飼道大と妻の尾藤真琴が、ロングシートに並んで掛けている。車内はわりと空いているので、好きなおしゃべりができる。

道大、膝に置いたカバンの上に単行本を乗せている。表紙に "猪飼道大『転生したら親鸞だった?―信仰心ゼロのボクが高僧に?―』秘密結社" の文字が見える。

道大「本作は "第2景" から "第16景" まで、すべてボクの想像。虚構。フィクション。ボクは交通事故に遭わなかったし、入院もしていない」

真琴「またネットで叩かれるぞ」

道大「叩かれるのも創作者の仕事のうちさ。それに最後で物語が登場人物の一人の想像だったことが判明するのは、ぱっと思いついたところでは映画だと『チキ・チキ・バン・バン』(1968) とか『幽幻道士』(1986)とか、長編マンガだと新沢基栄『ハイスクール奇面組』、江川達也『東京大学物語』、推理小説は、とりわけ叙述トリック系はネタバレになっちゃうからタイトル出せないけど、犯罪小説で江戸川乱歩の短編『赤い部屋』とか…もっとあるはず」

 

真琴「わかったわかった。どれもじゅうぶんネタバレだと思うけど。そうじゃなくて、プロローグでアリスの話をしたんだから、また夢オチにしてもよかったのに」

道大「プロローグじゃなくて "第1景"」

真琴「どっちでもいいわ」

道大「本作は夢オチにしたくなかったんだ。夢で啓示を受けた宗教者は、それこそ数多くいて、親鸞聖人にしてからが、若い時に六角堂に参篭したとき観世音菩薩から夢告を受けたことが伝えられているし…とにかくサブタイトルに書いた通りボク自身は信仰心ゼロ人間で、今回の物語はあくまで "デウス・エクス・マキナ"、"助けられた側から見た『水戸黄門』" がやりたかっただけだから、宗教的味付けはちょっとでも軽くしたかったので」

真琴「そうかしら? かなり敬虔な浄土教徒だと思うけど」

道大「だってボクは、阿弥陀如来も極楽浄土も信じてないもん」

真琴「あっさり言うのね」

道大「正確に言うと、阿弥陀如来や極楽浄土を信じる理由がない。同様に、死んだら地獄に堕ちると信じる理由も、まったくの無に帰すと考える理由も、ボクは持っていない。ようするに死んだらどうなるか、ボクにはわからない。たぶん本当は誰にもわからない」

真琴「…」

道大「…と言いつつ、人間が宗教的に生死に関して思考を巡らせた時に生じる相似には、驚かされることがしばしばある。今回は『無量寿経』を読み返して "よい知らせ" と意訳できそうな部分があることに気づき、飛びついた。第15景、大団円(2/4) だ」

※ リアル作者注。

岩波文庫『浄土三部経 上: 無量寿経』P154 漢文書き下し より。ルビ・注釈は省略しています。

仏、比丘に告げたもう、『汝よ、いま、説くべし。よろしくこれ時なりと知るべし。一切の大衆を発起して、悦可せしめよ。菩薩(ら)、聞きおわりて、この法を修行し、縁りて無量の大願を満足することを致さん』と。

"仏" とは世自在王如来、"比丘" とは宝蔵菩薩、後の阿弥陀如来。

リアル作者注おわり。

 

真琴「キリスト教では "福音"、"エヴァンジェル" だね。『歎異抄』とプロテスタンティズムの "予定説" の類似を指摘している人も、たくさんいたっけ」

道大「13章の "極楽往生したければ人を千人殺してみろ" と唯円に迫る有名なくだりとか、結びの "法然の信心も善信の信心も、阿弥陀如来からたまわったもの" など、『歎異抄』には "予定説"と解釈できるところが何箇所かある。そういう類似が人間の思考のクセの一つにすぎないのか、それとも "死後の世界" の存在の根拠になりうるのか、ボクには結論づけられない」

真琴「お得意の収集癖で、そういうのも集めればいいのに」

道大「先行研究もうあって、昭和の学僧・渡辺照宏には岩波新書の仏教三部作『仏教 第2版』『日本の仏教』『お経の話』のほかに『死後の世界』という著作があり、もちろん生きている人間の側からだけど、死後の世界に対する考察や接し方を、葬式や遺産まで含めて、幅広く集めたものだった」

 

真琴「そうなんだ。ところで阿弥陀如来や極楽浄土が信じられないとどうなるかってことも、前に何か言ってなかった?」

道大「疑城胎宮のことかな? キリスト教の煉獄に似てるけど、煉獄よりはずっと優しい。極楽浄土の辺境にとどまって、そこは宮殿のように快適なところだけれど、500年の間、仏を見ることも、説法を聞くことも、菩薩や声聞らの聖衆に会うこともできない」

※ リアル作者注。

岩波文庫『浄土三部経 上: 無量寿経』P231 漢文書き下し より。ルビ・注釈は省略しています。

仏、慈氏に告げたもう、「もし、衆生ありて、疑惑の心をもって、もろもろの功徳を修めて、かの国に生れんと願わんに、(阿弥陀仏の) 仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了らずして、このもろもろの智において、疑惑して信ぜず。しかれども、なお罪福を信じ、善本を修習して、その国に生れんと願う。このもろもろの衆生、かの宮殿に生るるも、寿五百歳 (の間)、常に仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・声聞の聖衆を見たてまつらず。このゆえに、かの国土において、これを胎生という <後略>

ここでの "仏" は釈尊、"慈氏" は弥勒菩薩 (マイトレーヤ・アジタ) の別名。

リアル作者注おわり。

 

道大「現世での煩悩というか憎悪や執着を脱するには、それくらいの時間が必要だってことだと思う。ジャンプ+の『さかさま船の魔女』というwebマンガを読んだとき、まさしくこの "疑城胎宮" を描いているようにしか思えなかったって話、したっけ?」

真琴「うん、聞いた」

shonenjumpplus.com

 

道大「だからもし 第9景 地頭・稲田 (2/2) に出した只丸くんのように "死ぬのが怖くてたまらない" という子がいたら、実際いるだろうけど、"怖がらなくていいよ、阿弥陀さまが、イエスさまでもアッラーさまでもいいけど、きっと助けてくれるから" ということは伝えたいと思う」

真琴「そうだね」

(この項つづく)

追記:

続きです。

watto.hatenablog.com