しいたげられた🍄しいたけ

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『転生したら親鸞だった?―信仰心ゼロのボクが高僧に?―』拾遺

まとまった創作をアップロードするたびに、勝手に恒例化させている「自己解説」カテゴリーのエントリーです。『転生したら親鸞だった? 信仰心ゼロのボクが高僧に?』をお読みいただき、ありがとうございました。

目次 各「その1」のみ クリックで詳細表示

(1) 第1景【現代編】猪飼家のマンションにて(1/6)

(7) 第2景【鎌倉編】車借・捨六(1/6)

(13) 第3景【鎌倉編】馬借・欠七(1/2)

(15) 第4景【現代編】個室病棟にて(1/2)

(17) 第5景【鎌倉編】ボクの無双(1/2)

(19) 第6景【鎌倉編】被差別集落(1/4)

(23) 第7景【鎌倉編】霊感商法(1/5)

(28) 第8景【現代編】ボクシング

(29) 第9景【鎌倉編】地頭・稲田(1/2)

(31) 第10景【現代編】哲学者

(32) 第11景【鎌倉編】心霊教ふたたび

(33) 第12景【現代編】裵〔ペ〕デスク

(34) 第13景【鎌倉編】刺客

(35) 第14景【現代編】守衛

(36) 第15景【鎌倉編】大団円(1/4)

(40) 第16景 鎌倉編の後始末

(41) 終景 現代編の後始末(1/3)

 

真っ先にお断りしておかなければならないことがあります。親鸞の配流先は 渡邊大門『流罪の日本史』(ちくま新書) P97 に、次のようにコンパクトにまとめられていたので引用します。改行位置、変更しています。ルビ省略します。以下同じ。

 承元元年(一二〇七)、親鸞は北陸道を下り、現在の新潟県糸魚川市(旧能生町)から船で上越市直江津の居多ヶ浜に上陸したといわれている。そして、五智国分寺 (新潟県上越市) の竹之内草庵で一年余りにわたって滞在し、次に現在の国府別院 (上越市) の地である竹ヶ前草庵へと移り住んだのである。今る五智国分寺の境内には小堂があり、親鸞にまつわる旧跡と伝わるが、確証はなく江戸時代の伝承に過ぎないようである。

 

正確なところはわからないようで、"親鸞" を書名に掲げた本でも "越後" とだけ記し詳述のないものが少なくないです。

弊作で主人公の配流先を "高田" としましたが、まったくの無根拠です。上越市に "高田" という地名はあり "高田城址" などで知られていますが、なんでここにしたのか、実は自分でも覚えていません。なんでだろう? 年を取るにつれ記憶の欠落が激増して悩んでいます。

 

気づいて修正をかけようかと思ったのですが、伝承に従うと越後国分寺ならびに越後一宮の居多〔こた〕神社の近所になり、それらの引力が強いので架空の寺院と神社を舞台にしづらくなります。かといって相手が国分寺や一宮となると鎌倉時代のそれらがどんな役割を果たしていたかまで調べる必要が生じ、物語を完結させるハードルが上がります。よってフィクションということで押し通そうと思います。ご容赦願いますm(_ _;)m

 

承久の乱には間接的にしか言及できませんでしたが、しばしば参照した坂井孝一『承久の乱』(中公新書) から、さらに「第五章 大乱決着」より2箇所ほど引用させていただきたく存じます。

 

「宇治の激戦」と題された節の、P189から。

 川を渡らなければ京方を打ち破ることはできないと判断した北条泰時は、翌六月十四日、水練の達者、芝田兼義に渡河できそうな浅瀬を探るよう指示した。前日の大雨で川は増水し、白波が漲り落ちている。兼義は南条七郎を連れてやや下流の真木島まで馳せ下った。そして、二股になった瀬の付近にいた土地の者らしき翁を脅して、浅瀬の位置を聞き出した。知りたい情報を手に入れると、兼義は非道にも翁を切り捨てた。情報が漏れるのを防ぐためである。『平家物語』には、佐々木盛綱が藤戸の浅瀬を聞き出した土地の者を切り殺した逸話がみえる。これも兼義の話をもとに作られた可能性が高い。いずれにせよ、戦争の犠牲になるのはいつの時代でも庶民である。

「激闘、決着!」のP191-192から。

 その後、尾藤景綱が平出弥三郎に命じて民家を取り壊し、筏を作らせた。北条泰時、足利義氏らはその筏に乗って対岸に渡った。川を渡り切る武士も増え始め、迎え撃つ京方の武士と組み討ちをし、あるいは取り囲んで首を取った。
<中略>
 ちなみに、乱後の十月二十九日に出された「官宣旨」(二八五五号、二八五六号)によれば、朝廷は「備前・備中の二箇国を武士に宛て賜ひ、諸国諸庄の三升米の濫責を停止せらる (備前・備中二ヵ国からの徴収分を駐留する鎌倉方の兵粮用に充当し、諸国の諸荘園で鎌倉方が行ってきた兵粮米三升の苛烈な取り立てを止めさせた) 」という。乱後ですらこの通りであるから、当然、合戦の中では兵粮米の厳しい徴収、あるいは強奪が行われたと考えられる。

 

承久の乱に限らず前近代の戦乱は、庶民の側から見たら災難以外のなにものでもなかったようです。

いっぽう負けた側の戦闘員は "落ち武者狩り" で襲撃され殺されふんどしまで剥がれたのですが、とうていそれでつり合いが取れるわけではありません。越後は (42)現代編の後始末(2/3) で述べた城長茂と木曽義仲の "横田河原の戦い" に続いて、むざんなことに承久の乱でも戦場になりました。

 

親鸞が居を移した関東は、北条氏による粛清の嵐が吹き荒れていました。とりわけ (30)第9景 地頭・稲田(2/2) に書いた比企能員 (wikipedia:比企氏) の本拠地は、ウィキペによると現在の埼玉県比企郡と東松山市。wikipedia:畠山重忠 は、現在の埼玉県深谷市畠山。また梶原氏、和田氏、三浦氏は相模国ですが、梶原景時の嫡男・景季の息子の景望は "一族滅亡後に叔母の嫁いだ宇都宮氏を頼って、子孫を残したと言う" (wikipedia:梶原氏) とのことで、北関東が目立ちます。

戦乱に巻き込まれ、心身ならびに財産的に深い傷を負った人たちにとって、専修念仏、絶対他力の教義はトラウマケアとなったのではないかと想像されます。

承久の乱で鎌倉と朝廷の主力が激突した東海道も含め、現代でも浄土真宗の強い地域と重なります。

 

ちなみに相模国 (元・神奈川県) など南関東は、少しあとの時代に日蓮上人の活動の主舞台となりました。だから日蓮宗が強いです。

 

歴史は、汲めども尽きぬ素材の宝庫、ネタの宝庫とよく言われます。なにせ、歴史上のビックネームから名もなき一庶民に至るまで、一人一人が我々と対等の "一人の人生" を持っているのですから。 

創作者が、年を重ねて歴史にテーマを求めるようになった事例が、次々と思い浮かびました。

とりあえずマンガ家ばかりですが、横山光輝の『三国志』を始めとする諸作品とか、みなもと太郎の『風雲児たち』、近くは ゆうきまさみ『新九郎、奔る』、松井優征『逃げ上手の若君』。他にもあると思われます。

 

『無量寿経』に説かれた教義の一つに、極楽往生した人たちは涅槃寂静という究極の境地を目指すのですが、何人かは現世に立ち戻り縁のあった人たちを救うことを、あえて選択するというものがあります (還相回向) 。

劇作家の鴻上尚史が書いたとされるセリフに「一人の人生を救うのに必要なものはなんだと思いますか? 別のもう一人の人生です」という意味のものがあるそうです。残念ながら出典は突き止めきれていません。白水社などから出ているシナリオや、エッセイ『ドン・キホーテのピアス』シリーズは、一頃ずいぶん読んだのですが。

追記:

とりあえず、この記事は見つけました。

dot.asahi.com

追記おわり

 

洗脳、マインドコントロールは、ほんとうに恐ろしいです。ツボにハマれば、素人でも他人をマインドコントロールすることは可能のようです。思い出すのも苦痛な事件の一つに、幼い子どもが餓死に至った「ママ友事件」というのがありました。

www.nikkei.com

 

いっぽう脱・洗脳は、困難を極めるといいます。本編で描いたような洗脳解除は、あくまでフィクションです。あんなに簡単にいくはずありません。

それでも伝統宗教に期待して、「あまり自信ないまま言うのだが霊感商法への対抗方法として伝統宗教にある程度の力があるのではないか」と題する一連のエントリーを書いたことがあります。

その3」中に書いたことの再掲です。五木寛之『他力』(幻冬舎文庫) はオウム真理教事件の記憶さめやらぬ時期に書かれたエッセイです。その中に "もし法然、親鸞、蓮如ら浄土教の祖師たちが今いたら、命を懸けて彼らと対峙したのではないか" という意味のくだりがあったはずです。著者の希望を込めてのことだったと想像します。

これを読んだ当時の私は、オカルティズムを武器としていたオウム真理教に浄土教の教義が対抗できるのだろうか心もとなく感じました。

オウムは壊滅しましたが、宗教に限ったことではなく現代日本社会は洗脳まがい、マインドコントロールまがいの手口が、ますます横行していることを深く憂慮します。それらといかに対峙するかは、ほかならぬ我々自身に突きつけられている課題のように思われます。

他力

他力

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話はガラっと変わりますが、最後に本編に含められなかったトピックをもう一つだけ。「(27)第7景 霊感商法(5/5)」に "ボクシングは、絶対にケンカに使ってはいけない" と書きました。ボクシングに限らず、世間によく知られた格闘技の常識だと思います。

それは道徳的だからではなく、身も蓋もないリアルな理由があってのことです。

名誉のためボクシングでないことを前置きします。格闘技の名前も伏せます。

若い知人から聞いた話です。ある程度強くなって自信をつけると "盛り場に行ってヤクザにケンカを売ろう" と言い出す奴が、よくいるそうです。

1度目はヤクザをボコボコにできるのですが、2度目に同じところに行くと、ヤクザは必ず刃物を持ってくるのだそうです (((°Д°;;;)))

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