自宅と実家の往復経路をちょっと変更すると、途上に「森川花はす田」というところがある。高齢の身内の無聊を紛らわすためのお出かけ先候補にリストアップし、2度ほど下見に行ったこともある。
これは、その1度目の過去記事。2度目は省略する。
2度目の下見に行ってからほどなく、何やら工事が始まった。よって、まだここには身内を伴っては行っていない。
その工事は、1年以上続いていた。大がかりな工事のようだった。
久しぶりに (3年ぶりだよおい) そばを通りがかったところ、工事が完了していたので、様子を見てきた。幸いここには広い無料駐車場がある。
思ってたのと違った!

スマホ写真の中央に写っているのは実物であり、ローディング中のアイコンではない。
この施設は「はす見テラス」と言い、施設のメインのテナントであるカフェレストランの名前を「aicon〔アイコン〕」というそうだ。
建物の右側 (西側) に見切れているあたりに、案内図が立っていた。


スマホ写真からは細かいところが読み取りにくいので、公式HPのブログカードを貼る。
グローバルメニュー「施設一覧」中に、同じマップがある。
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以下、敷地内をおおむね反時計回りに散策している。
さらに右側 (西側) の「花はす田」。このあたりは元は一面のハス田だったが、5分の1ほどの面積に縮小され、さらに通路で区切られていた。


遠景の木立ちは、あとで出てくるけど古木江城〔こきえじょう〕址に建てられた富岡神社の、宮の杜である。
花の時季じゃないけど「ミセススローカム」という品種札が立っていた。

ミセススローカムは、ここのじゃないが、この拙過去記事中に花の写真を載せていた。
「陽山紅蓮」 。こちらは過去記事に花の写真が見当たらなかった。

代わりに何ができていたかというと、子ども向けの施設が多くできていた。
「わんぱく広場」。大きな遊具があった。


微力極まりないが、子どもと大人であれば子どもの側の立場に立ちたいと思っている。
少数派と多数派であれば、少数派の側に立ちたいと思っている。
弱者と強者であれば、弱者の側に立ちたいと思っている。
そういう意味では、この大規模な改装に対しては評価の意見を持つべきであろう。
だが、おそらく多額の予算を投入して、ハス田を埋め立てて人工的な施設に作り替えたことに、なんとなく釈然としない気持ちが湧きあがった。私には環境オタクの傾向もあるからだろうか。ハス田も人工物だけど。
そんなでまだ気持ちの整理がついていない。
「じゃぶじゃぶ池」。中に入れるのかな? 日本の夏の名物の一つ「水ガキ」はここでもできるのかな?


看板は見当たらなかったが、マップによると「花しょうぶ池」。花は見当たらなかった。


「芝生広場」。いらすとや さんのイラストが「しばふのなかにはいらないでね」と言っている。

「ちびっこ広場」。大型遊具一基と、乗って遊べるタイプの遊具が何基かあった。



最後のスマホ写真は、乗って回転させて遊ぶ遊具である。
人物が写り込まないように写真を撮ったが、この遊具は直前まで利用している家族連れいた。
「子どもと大人であれば、子どもの側に立つ」というのであれば、この大規模改装はやはり評価する立場に立つべきだろうか。
「はす見テラス」の右側 (東側) に戻ってきた。


「aicon」というのはテナントであるカフェレストランの名称で、これは実物でありローディング中のアイコンではない (しつこい
駐車場を隔てた「はす見テラス」の反対側に「道の駅 ふれいあいの里 HASUパーク」という看板が立っていた。

「道の駅 ふれあいの里」というのは、鵜戸川という2級河川を挟んで西側にもともとあった施設である。
そこも、大規模な改装を行っていた。
道の駅と森川はす田を改装したHASUパークを一体化したということだろう。
「森川はす田」の看板も残っていたけど。

反時計回り2周めをして、古木江城址の富岡神社にご挨拶のお参りをしようと思った。
本社拝殿と鳥居は南面している。境内の北側に、こんな案内板があった。

弊ブログ勝手に名物の一つ、Microsoftフォトの「テキストのスキャン」機能による文字起こし。改行位置、変更しています。ルビ省略しています。
古木江城跡
古木江城は小木江城とも記されている。
古木江城は、1570~1574年にかけて起きた長島一向一揆の際に一揆勢力鎮圧のために築城されました。
想定図によれば、古木江城は立田輪中の南端(図1)、河川をはさんで長島城の対岸に位置していたといわれています。現在城址とされるこの富岡神社の周囲には、堀跡と思しき地形も確認できます(図2)。
1570年、織田信長の勢力拡大に危機感を抱いた大坂の石山本願寺の顕如が発した檄文に応じ立田門徒らが蜂起したのが契機となり、長島一向一揆が勃発しました。
その後一揆勢は、長島城(三重県桑名市)に続いて、信長の弟織田彦七郎信興(信与という説もある)が守る古木江城を攻め、11月21日には彦七郎が自害に追い込まれたと伝えられています(『信長記』等)。彦七郎は殺害されたという説もあり、古木江城付近には「討レ」といった地名ものこっていました。
一揆は、1574(天正2)年9月織田信長によって鎮圧されました。
公園敷地から南側に回り込もうとしたら、フェンスに仕切られているではないか!

フェンス越しにお参りしました。
出入りできるようにしておいてほしかったな。あくまで個人の感想です。

鳥居左側にも説明書きがあった。内容はさきの説明書きと異同があった。

私のスマホカメラの解像度では文字が読み取れなかったが、2023年6月23日付拙過去記事 で文字起こししていたので、ご興味をお持ちいただいたかたはそちらをご参照ください。いないか (一言多い
もちろん鵜戸川沿いに敷地外から回り込めば境内には入れたが、この日は訪れた時間が遅く、午後6時に駐車場の出入り口が閉まるというアナウンスがあったので、これで退去した。
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