しいたげられたしいたけ

人権を守るには人権を守るしかない。人権以外の何かを守ることにより人権を守ろうとする試みは歴史的に全て失敗した

下川裕治 『日本を降りる若者たち』(講談社現代新書)

日本を降りる若者たち (講談社現代新書)

日本を降りる若者たち (講談社現代新書)

堀田あきおの「オビまんが」がいいのだが、amazonの書影では出ないじゃないか。スキャンして貼ってみよう。

著者の「バンコクもの」は好きで、双葉社文庫を何冊か読んだことがあるのだが、本書には現代日本を覆う「格差社会」の影が濃厚に感じられて、筋違いとは思いつつなんとなく「そういう本を読むつもりじゃなかったんだがな」とも感じてしまった。「外国で引きこもる」の意の「外こもり」という造語は秀逸。また旅行者が旅先の街で動かなくなることを「沈没」と言うことは、私は鴻上尚史の傑作戯曲『スナフキンの手紙』で知ったが、本書によると旅行作家の蔵前仁一の『旅ときどき沈没』という本が元祖らしい。
さまざまな人物が登場する。物の言い方がきつくて、相手の話をやんわりと否定していくような会話術がなく、これが仕事となると「社内でも浮いてしまうだろう」と著者に評される青年であるとか、大学の臨時職員として就職したものの、周りの職員を「腐った構造の中で生きる給料泥棒」と見、やがて臨時職員が派遣社員に置き換えられるのにともない、身の置き所を失って辞職した青年であるとか、映画を撮りたいと大学を休学してニューヨークの映画専門学校に留学までしたのに、「映画の世界のとば口にも立っていない」まま深夜のコンビニで4年もバイト生活を送った元フリーターであるとか、高校時代にストーカーに二週間にわたって監禁され、それを理由に退学させられた(!)という女性も登場する。
著者は、タイが日本の生活に行き詰まった者たちを引きつける理由を、次のように分析する。

 暮らしてみるとわかることだが、タイ人という民族は、本当に怠惰な人たちだと思う。なんとか楽をしたい――という方法論を、タイで起きている現象やブームに当てはめると、なぜかきれいに解明されてしまうことがある。そんなとき改めて、タイを感じてしまうのだ。
 それはたとえば暑さである。タイ人は暑い昼間、本当に外に出ようとしない。冷房が効いた涼しい部屋で「サバーイ、サバーイ(快適、快適)」といってすごすのが大好きである。
<中略>
 僕がバンコクに暮らしていたとき、日本からしばしば知人が観光にやってきた。僕は彼らを案内することになるのだが、じっとしていても汗が噴き出てくるような午後、つい、こんな言葉を発してしまったことがあった。
「いまは暑い時間帯ですから、いったんホテルに戻ってお昼寝でもしたらどうでしょう。夕方からまた案内しますから」
 すっかりタイの暮らしに染まっていた僕には自然に出てきた発想だった。実際、僕自身もその暑さにはへたっていた。しかし日本からやってきた知人たちは、
「なにをいってるんですか。私たちは明日までしかバンコクに滞在しないんですよ」
 といった怪訝〔けげん〕な眼差しを僕に向けたものだった。

(p147〜148)
本書で語られる「外こもり」の生活は、うらやましくも見えるのだが、自分自身に当てはめてみると、今すぐにそのような生活に踏み出すことはできないかな、やはり。理由は「将来の不安」、もっとぶっちゃけ「老後の不安」である。タイには国民全体をカバーする健康保険制度はなく、また年金制度も始まったばかりで、本当に年金が支払われるかどうかは誰にもわからないそうである。
それでもなんとかなるのがタイ社会というものだそうで、またタイで老後を過ごす日本人の姿も語られるのだが、つまるところ私はまだ「日本を降りていない」のかも知れない。