しいたげられたしいたけ

選択的夫婦別姓の早期実現を求める

NHK大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』の違和感

最近ほとんどTVドラマというものを観ていないのだが、実家の老母が好きなので付き合わされたりして、このドラマを観ることがよくある。
上野樹里の熱演は好ましいし、オサーンとしては宮沢りえが淀の方を演じるのにも大いに興味がある。
しかし…ずっと強い違和感を感じ続けて、今ひとつ感情移入し切れない。母親には言ってないけど。
上野樹里の演じる主人公=江の感情に、「恐怖」が欠落しているのだ。
いや主人公だけじゃない。このドラマの登場人物が「恐怖」を感じているところを演じたシーンというと、どこがあっただろう?全部をきちんと観ているわけではないけどね。
戦国を生きた人々を突き動かしてきた最大の感情は「恐怖」だったと思う。秀吉は家康を恐れていたし、家康もまた秀吉を恐れていた。戦国最強者の二人にして、この始末である。ましてや寄る辺なき女子の感じつつけてきた恐怖は、いかほどのものであっただろうか。『高慢と偏見』のオースティンや人気漫画家のけらえいこがばらしてしまったように、平和な時代においてすら、女は実は男が怖いのだ(ちなみに爆風スランプがばらしたように、男は実は女が嫌い…っていらんことを言うなよ>自分)。
しかし、もしその「恐怖」をありのままに描いてしまったら、ドラマが「壊れる」かも知れないということも、わかる。「それを言っちゃおしめえよ」というやつである。「身も蓋もない」というやつである。ヘンテコリンな喩えだけど、演歌の「ヨナ抜き」のように、沖縄音楽が「レ」と「ラ」を使わないように、ドラマにおいては、ある種の感情を除外することは、物語世界を構築する上において必要不可欠なことなのかも知れない。
はるかな昔、学生時代に無理やり読んだスタンダールやドストエフスキーの世界には、そのような手心が一切加えられていないことは、出来の悪い学生だった私もさすがに気づいた。古典と呼ばれる作品の作者の力量は、やはり群を抜くものなのだろう。
ただし問題は、当時の私が(多分、今も?)それらの巨匠たちの作品を、まったく面白いと感じられなかったことである。これはひとえに受け止める側の力量の問題である。