しいたげられたしいたけ

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カント『純粋理性批判』も読む

見出しが宮沢章夫氏の『『資本論』も読む』のパクリのまま定着してしまいそうだが、きっかけの一つが同書であることは間違いないし、語感が気に入ってしまって、これ以上のものはなかなか思いつきそうにないので、当面このまま進めていこうと思う。
篠田秀雄(訳)『純粋理性批判 上 (岩波文庫 青 625-3)』のp14、前回の次の段落。
形而上学の主流が「独断論」→「懐疑論」→「(ロックによる、人間の悟性に関する一種の)自然学」という変遷を辿ってきたことを述べている。
独断論懐疑論・自然学というのがどんなものかは一切わからないが、『純粋理性批判』の成立の前史として、ロックの影響が大きいということだけは、何かで読んだ記憶がある…
と思ったら、あっさり見つかった。まさに今、手元にあったのだ。ちょっとびっくり。シンクロニシティというやつか?黒崎政男カント『純粋理性批判』入門 (講談社選書メチエ)』(講談社選書メチエ)p37に、ロックの経験論の概略が紹介されており、続くp38にライプニッツの合理論の紹介があり、p41に「両者の統合としてのカント」という見出しが掲げられている。
だが、内容はすっかり忘れている_| ̄|○
ちょっと読み直してみよう。しかし、いかなるシンクロニシティや奇跡が起きようと、一向に救われるように見えない私の知性の貧しさといったら…