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カント『純粋理性批判』も読む

篠田訳『純粋理性批判 上 (岩波文庫 青 625-3)』p18半ば以降、カントは経験というものに依存しないで、理性の働きだけを問題にする旨を述べる。そんなことができるのだろうかという疑問は湧く。カントは「普通の論理学」も模範になってくれるという意味のことを言う。「普通の論理学」というのは、アリストテレス以来の古典論理学、すなわち三段論法とかのアレのことであろう。ああいったものは、カントの言うように「経験の提供する素材と援助」が「すべて取り去られ」ても有効なのかどうか、にわかには判断ができない。だがここはカントの言うことを受け入れよう。
続く部分(p18の後半1/3)は、完全、周到、確実、明晰を目指すことが語られる。だがこれも、私個人的には、なんとなく収まりが悪いというか、どこかしら落ち着かない気分にさせられる物言いである。揚げ足を取るようだが「完全」という言葉ほど完全から縁遠いものはないように思われるからである。「周到」という言葉ほど周到でないものはなく、「確実」という言葉ほど…「明晰」という言葉ほど…
言い方を変えるならば、「完全」と宣言すれば完全になるわけではないと私は言いたいのだ。「周到」と言えば周到になるわけではないと言いたいのだ。「確実」と宣言すれば…「明晰」と宣言すれば…
しかし、まあいい。このあたりは、読めばその意味が比較的すんなりと腑に落ちてくれる部分である。
もう少し先に進むと、再びまた読んでも読んでも意味が取れない箇所に突き当たる。先を急ごう。

純粋理性批判 上 (岩波文庫 青 625-3)

純粋理性批判 上 (岩波文庫 青 625-3)