🍉しいたげられたしいたけ

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伊坂幸太郎『死神の精度』 (文春文庫)

死神の精度 (文春文庫)

死神の精度 (文春文庫)

実力のある作家は、短編も書けなければならない、という思い込みがある。松本清張も、司馬遼太郎も、短編の名手でもある。松本清張が芥川賞を取ったのは『或る「小倉日記」伝』という短編だし、土佐の無名の剣客=岡田以蔵は、司馬の『人斬り以蔵』という短編一作によって、幕末のスターの一人になってしまった。
「面白くなかったらどうしよう?」と余計な心配をしながら手に取ったのだが、杞憂以外の何ものでもなかった。
「死神」を主人公としたミステリ連作。主人公は本物の死神。人間ではない。だから殺しても死なない。殴られても痛みを感じない。人間のように食事をすることはできるが、味はわからない。なぜか彼が現れる日は天気が悪い。なぜか音楽(作中では必ず「ミュージック」と表記される)に、異常なまでの執着を示す。なぜか「渋滞」を嫌悪する(まあ普通の人間でも、好きな奴はいるまいが)。
キャラ立ってるなぁ…^^;
正面に「いかにも」な謎が提示されて、その謎はラストまでに必ず解決されるのだが、実はそれとは別の「意外」が搦め手に周到に用意されている。こういうテクニックの使い手って、この著者以外に誰かいたっけ?即座には思いつかない。
ミステリのことでネタバレが許されないから、思いっきり邪道な読み方をしてやろう。各作品に様々なオマージュやパロディが仕込まれているのだ。
第一作「死神の精度」p9〜10「若い大統領が時速十一マイルのパレード用専用車の上で狙撃されようと」ケネディのことだな。「どこかの少年がルーベンスの絵の前で愛犬とともに凍死しようと」言わずと知れた『フランダースの犬』である。
第二作「死神と藤田」に登場する若いチンピラの姓は阿久津だが、これは傑作ヤクザ漫画『代紋〔エンブレム〕TAKE2』の主人公と同じだ。でもタイトルにまでなっている藤田という姓は、何だろう?
第三作「吹雪に死神」雪に閉ざされた洋館で、次々に人が殺される状況で、一人の作中人物が「そう言えば、閉鎖された島とかで、次々に人が殺されるってやつ、ありますよね。『オリエント急行殺人事件』とか」すると別の作中人物が「それは違いますよ」「それは、別の趣向の小説です」(p106〜107)
『そして誰もいなくなった』だな。しかしこの言い間違いの絶妙さといったら…
第四作「恋愛で死神」昔観た映画にこういう台詞があったとして、紹介される言葉が「誤りと嘘に大した違いはない」「微妙な嘘というのは、ほとんど誤りに近い」(p171他)
第五作「旅路を死神」主人公の死神が「確か、二千年ほど前にいた思想家」の言葉として引用される「人が生きているうちの大半は、人生じゃなくて、ただの時間、だ」(p213)やはり「確かこれも、以前、どこかの思想家が言っていた台詞だな」として引用される「あんなにたくさんの人間がいて、人間のことで悩んでいる人間は、たぶん一人もいない」「自分のことで悩んでいるだけだ。人間のことで悩んではいない」(P223)
これらは巻末の「■参考・引用文献」から、それぞれジャン=リュック・ゴダール『女と男のいる舗道』、セネカ『人生の短さについて 他二篇』(岩波文庫)、ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った(下)』(岩波文庫)からの引用だろうとわかる。
同じく第五作、旅をする主人公らの一行は、仙台で、スプレー缶を持った人物と出会う(p226〜)。その描写からすると…同じ著者の長編『×××××』の犯人じゃねーか!解説によると、他の作品に登場した人物がちらりと出現するのは、著者がよく使う手法らしい。おいおい、私はまだ伊坂幸太郎を読み始めたばかりなのに!油断がならない。どうでもいいがこの解説、微妙にネタバレしてないか?ミステリは、ネットの書評だけでなく、解説も先に読むべきではないらしい。
そして最終作「老女と死神」

映画という点では、映画評論家を自称する男を調査したことがあった。その男と知り合い、意味不明な映画を山ほど観させられた。よく覚えているのは、私の嫌悪する「渋滞」と、私の大好きな「ミュージック」が両方含まれた、奇妙な映画だった。常軌を逸した渋滞が前半にあって、ラストは、ドラムを叩く男の姿で終わる。内容は理解できなかったが、その映画評論家はうっとりと、繰り返し、観ていた。

(p304〜305)
これが何なのか、さっぱり見当がつかない。ゴダールではなさそうだ。私はあまり映画を観るほうではないが、なんだかすごく観たくなったぞ。