しいたげられたしいたけ

拡散という行為は、元記事の著者と同等以上の責任を拡散者も負う

中島美代子『らも―中島らもとの三十五年』(集英社)

らも―中島らもとの三十五年

らも―中島らもとの三十五年

奥さんの書いた中島らもの半生記。奔放に生きたように見える中島らもだが、節目節目の転機では、「一家の生活をいかに支えるか」という、いわば古典的な倫理観を判断基準にしていたのだそうだ。さらに筆者は、そうした行動規範は、宿題を期限通り提出し試験勉強をして試験に臨む「学校秀才」としての生き方から涵養されたものだと分析する。
へぇ。ちょっと(というか大いに)意外。でも「なるほど」とも思う。
一坂太郎『高杉晋作 (文春新書)』に、自由奔放な生き方をしたように見える幕末の風雲児・高杉晋作も、実は長州藩の名門・高杉家の当主としての責を果たすことを価値基準の第一に置いていた、というような意味のことが書いてあったのを思い出した。
なお本書で述べられる中島夫妻の「性生活」は、古典的な倫理観からは大きく逸脱したもので驚かされるのだが、「学校では性を教えない」ことがその遠因の一つになっているのかも知れない。